第7話 メイドのリリー

 神官戦士団の名誉のために語りますが、この時、シンシアとルクレツィアに彼らがすっかり蹂躙されてしまったのは、武力の問題ではありませんでした。


 神殿勢力と貴族勢力というのは非常に深い付き合いがあり、取り繕わない言いかたをしてしまえば、そこには癒着ゆちゃくがありました。

 神殿は昼だろうが夜だろうが門を叩く者をこばみはしないのですけれど、その神殿の門中でよりよい座席に就くことができるのは、限られた高位の血筋を持つ貴族だけなのです。

 また、貴族などが裁判を起こしたり、家を継いだりする際には神殿の証明が必要になる背景もあり、貴族と神殿とは切っても切れない、どちらが上かどうかも判然としない、非常に混沌とした関係性にありました。


 ルクレツィアがいかに神学校の生徒とはいえ、昼の神官戦士団を率いて精霊信仰の礼拝堂に攻め入った理由もここにあるのですが……


 昼の神官戦士団がたった二人の少女に蹴散らされ、退却をした背景には、この複雑な関係性が強く作用していたのです。


 ルクレツィアは公爵家の四女であり、兄もおり、家を継ぐわけではないのですが、貴族の権力というのは、名前の前の爵位を示す言葉だけにつくものではないと、この界隈に詳しくない者にも、なんとなくはわかることでしょう。


 縁とか人脈とかコネとか呼ばれるものです。


 公爵家令嬢は公爵ではありません。しかし、その背後には公爵がいます。

 これが『ただの少女』を『逆らっていいかどうかわからない、不気味な力を持つ者』に見せ、神官戦士団はこの不気味な力によって、下手に抵抗もできず、混乱の中で、退却に追い込まれたのでした。


 また、シンシアの存在も、いっそう神官戦士団の混乱を深めたことでしょう。


 冒険者というのは神殿とも貴族ともまた違った権力機構の中にいます。


 言うまでもなくどこの街でもダンジョン資源というのは重要であり、また、日雇いの細かい労働力なども、重要です。

 このダンジョン資源と労働力を担う役割を持っているのが冒険者組合であり、独立した国際的組織ということになっており、表向きは貴族や神官の権力が通じないのでした。


 もちろん、今回シンシアが公爵令嬢ルクレツィアの縁故によって神官戦士団とともに来たというように、『個人個人の付き合い』はあります。

 しかし組織自体は独立した権力と独自のルールを持っており、上位の冒険者もまた、貴族と同様にこの『冒険者組合という組織の持つ不気味な力』を所持しているように見えるのです。


 この二人に率いさせるための配慮なのでしょうが、神官戦士団側に、強固な意思決定権を持つ指揮官がいなかったことも、二人の少女に蹴散らされた背景にあるとは思います。


 ともあれ、『無力な邪教の信徒』として捕縛されるはずだった私は、『昼神教の神官戦士を蹴散らした、邪教である精霊信仰の上位神官』という立ち位置になってしまったのです。


 もはや昼の神殿との敵対は避けられません。

 彼らは邪教に蹴散らされたという外聞の悪さをよしとせず、次こそは昼の神殿出身の指揮官を据えた大部隊で、私たちに報復を試みるでしょう。


 『昼の神殿』、『夜の神殿(こちらはこの呼称をされることは滅多になく、主に『魔術塔』と呼ばれますが、ここではあえてこの名で記します)』、『冒険者組合』という、三つの『世界中に支部を持つ組織』のうち一つに、私は敵対してしまったのです。


 この時の私の気持ちといったら、もう、筆舌に尽くしがたいものでした。


 わかっているのです。すべては、私が悪い。


 シンシアを家から追放し冒険者になるようすすめたのも私なら、ルクレツィアとの相互理解を深めようともせず目の前から逃げ出したのも私です。

 精霊信仰についても、オデットに紹介されたのが始まりとはいえ、その後にそこにとどまって傾倒したのは、すべて私の意思なのです。


 この状況の発端は間違いなく私にあり、シンシアとルクレツィアが昼の神官戦士団を蹴散らしたのだって、私のついこぼしてしまった『助けて』という言葉が、彼女たちの誤った解釈を誘った結果なのです。


 すべては私が悪いのです。


 けれど、だからといって責任をとろうと決意できるかは、また別な話なのです。


 私は、逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。


 いつでもそうなのです。幼いころから、今にいたるまで変わらない、私のもっとも度し難い悪癖。それは状況が窮し、ストレスが極限に達すると、どうにか現状から逃避する方法を考えてしまうことなのでした。

 私の人生にはいつでも『逃げる』という選択肢があり、それは『逃げた先でどうにかやっていけるだろう』という自負などなく、ただ、いっぱいいっぱいになって、目の前の苦境から逃げ出すことしか考えられなくなるという、弱い心の発露なのです。


「どうしたらいいんだろう」


 未来の視点から言えば、さっさと精霊信仰礼拝堂から出て、どこかに身を隠すべきでした。

 ところがこの時の私は『どうしよう』以外のことを思うこともできず、先ほど戦いの舞台となった場所に留まったまま、頭を抱えるばかりだったのです。


 私を挟むようにシンシアとルクレツィアがおり、彼女たちは、私がなにか次の方針を思いつくのを待っていました。

 また、当時の礼拝堂に居合わせた不幸な精霊信仰者たちも、私の意思決定を待っている様子でした。


 しかし、私には意思決定などできないのです。


 今すぐにでも彼らを放っておいて逃げ出したい気持ちしかなく、それはさすがに良心がとがめるのでできませんでしたが、ここから無事にすむ方策を編み出すほどの知識も機転もありません。


 ですからその時、私に次の行動を選ばせたのもまた、私自身ではなかったのです。


 不意に地下礼拝堂に誰かが降りてくる足音が響き、私たちは一個の意思で動く生命体のように、いっせいにそちらへ注目しました。


 礼拝堂の石の階段というのは足音がよく響くのです。

 普段は『同胞』の来訪を知らせるその福音は、先の神官戦士団襲撃によって、すっかり私たちの神経をざわつかせる音になってしまっていたのでした。


 まして現れた人物が見覚えのない女性だったものですから、私たちは先ほど退却したばかりの神官戦士団がもう先触れとして人を遣わして来たのかと恐怖してしまったのです。


 というのも、その女性の雰囲気があきらかに、ただ者ではないからなのでした。


 それはどこぞの貴族のお屋敷につとめるメイドという見た目で、いかにも地味にまとめた黒髪や、大きすぎる丸いメガネなど、ともすれば野暮ったい印象を人に与える特徴ばかり備えていました。


 しかし、姿勢があまりにも美しいのです。

 立ち、歩き、階段を降りてくる。たったそれだけの動作が静かで、なめらかで、一種の舞台演劇でも見ているような、そういう、うかつに誰何すいかさせない迫力がありました。


 私がこの時、ルクレツィアを思い浮かべたのは、階段を降りてきたメイドとルクレツィアにつながりがあると思ってのことではありません。


 ただ、二人の魅力が対照的だなと、たぶん、そのようなことを思ったのでした。

 ハニーブロンドに蜂蜜色の瞳をもち、背の高い、厳しく美しい容姿をした、『絵画のような』ルクレツィアと、今現れた、立って歩くだけで舞台演劇を連想させるメイド……二人の魅力に奇妙な対称性を見出したのです。


 その偶然の連想のおかげでしょう、私は、メイドに向けてルクレツィアが声を発するのを、おどろきもなく聞いていられたのです。


「リリー? なぜここに?」


「お嬢様」


 リリーというメイドが、ルクレツィアを『お嬢様』と呼びながら、その質問に答えるそぶりを見せず、それどころか遮るように声を発した。

 しかもルクレツィアはそのことに怒った様子もなく、むしろ、ひるんだように口をつぐむ。

 その様子から私は、彼女たちが表向き主従関係にあることと、しかし、その力の差とでも言うべきものが、リリー有利に傾いていることを察しました。


「お屋敷にお戻りくださいませ。お父上に報告せねばならないことが起こっているのは、わかりますね?」


 リリーというのは見れば見るほど若く、大きすぎて似合わない丸いメガネをかけているせいもあってか、ともすれば幼くさえ見えました。

 しかし、その声に宿る断固とした雰囲気には、古兵ふるつわものの気配というのか、この場の誰にも口を挟ませない力があったのです。


 リリーとはこの当時、つまり私が十六歳だったころからの長い付き合いになるのですが、それでも彼女は今なお、十三、四歳ぐらいに見える容姿のまま、おとろえた様子もなくルクレツィアに尽くし続けています。


「わかった。だが、この者たちも連れて帰りたい」


 そこでリリーが私に視線を向けた時に一瞬だけ流れた緊張感は、ほとんど槍の穂先か、魔術の杖か、神官の拳でも向けられたかのような、それはそれは鋭利な殺意さえはらんだものでした。


「まあ、よろしいでしょう」


 私が醜態をさらす前にそのような許可が出ましたから、リリーが思案した時間はまばたき一つ分さえなかったのでしょうけれど、それでも私には、もう少しで叫び出しそうなほどに、長く重苦しい時間だったのです。


 こうして公爵のお屋敷に招かれることになった時、私は現状から逃れられることと、『きっと、ルクレツィアのために公爵がこの件をどうにかしてくれて、その流れで自分も助かるに違いない』という身勝手な予想で、勝手に安堵をしていたのです。


 もちろん、事態はそう私に都合良く推移はしませんでした。


 このあと私は半年ほど、牢で過ごすはめになるのです。

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