第8話 成功の一歩手前
準備しているみんなは元気よく手をあげて一斉に声を上げた。
亮は目をぱちぱちしながら、その光景に啞然していた。どう見てもこの光景は何かの祭りのようで、自分には知りえない文化に巻き込まれていた。
そんな仲間たちを見て亮は小さな音量でサボテンの耳打ちをする。
「これは仲間ですか?」
「サークルだね」
「サークルですか?大学みたいのものでしょうか?」
「うん。そういう認識で合っているよ!」
サボテンがハイテンションで答えると、配置についた。
残り時間があるので、サボテンに薄い本の意味を聞く。
「僕、この業界初めてなんだけど。薄い本はどういう意味?」
うーんとね、とサボテンは音を上げてから説明する。
薄い本とは、亮がいまから販売しようとしている『二次創作の本』のことだ。由来は薄くて、すぐに読める事からきている、隠語である。
「同人誌のこと?」
「そう!」
「なるほど、そういう言葉もあるんだね」
亮は頷き、言葉を覚える。
復唱するように、亮は仕事の内容をクラウスに訪ねる。
時計を見る。あと5分で朝の10時になる。つまり、これから即売会が始まる。
亮はどのように体制すればいいのか、わからず、直立不動となる人体の姿勢になる。
「そんな緊張するな。こう思え、今日はただのお祭り騒ぎだ。気にすることはない。失敗しても、祭りで笑って誤魔化せる」
クラウスはわはは、と笑って見せると、亮の緊張感がほんの少しだけほどけた。
だが、それでも緊張は解けることはなく、亮は緊張する。
まるでコンビニエンスストアで初めて入って来た新人のようでもあったのだ。
そんな緊張観がほんの少しだけほどけていると、クラウスはあるサークルブースの前に目を向ける。
「お、列ができたぞ」
「え?」
と、そこにはもう既に数十人の人が列を立てていた。
「開催前なのに、なんで!?」
「サークルチケットで入って来たのだろう」
「え?サークルチケットって僕がここに入場したチケットですよね?あれってこういった使い方してもいいのですか!?」
「……まあ、汚い世界なんだ。そういうこともあるとよと考えればいい。それより、準備した方がいいぞ?」
「は、はい」
クラウスはうやむやに言葉を濁すと、亮は納得できない様子、売る準備に入った。売り子担当であるため、机の前に立つように待機をする。客は机の向こう側で待機していた。
机一つ挟んで、亮と客がにらめっこするような形だ。
客の目付きがいかにも真剣で、どこか熱意を感じる。猛獣のような目つき、誰もかれも、地図を広げて何かをマークしている様子。ある人は通話機を使い、誰かと通話していた。ある人は真剣にノートに書き込みをする。
その行為に、亮は理解できなかった。
その後、彼らの行為の意味を知ることになる。
ちなみに、咲良先輩はサークルの裏で座り、読書をしている。彼女はもっぱらこの作業に手伝うことは一切なかった。
そんなことを亮が考えていると、またもホールのアナウンスが号令を出す。
『ただいまより、『魔法少女アイリ』オンリーイベントを開催いたします!』
「え……」
号令と共に、ざっと、人の波が亮の方へと押し寄せてくる。
ダダダダ、と獣の群れのように列が一気に動き出すと、亮は唾を飲んだ。
最初の客が亮に向かって、大きな声で注文し出す。
「新刊ください!」
「あ、はい!500円です!」
亮はぎこちない笑顔と共に本を差し出す。客はそれを受け取ると、すぐに500円玉を亮に渡した。そして、そのまま走るようにと去っていく。
そんな姿に亮は気になり、隣にいる、サボテンちゃんに訪ねる。
「え?なんで、走っていくのですか?僕、何か悪いことしました?」
「あー。それは彼が急いでいるからだよ。他のサークルにも買い物があるからね」
「なるほど」
「それより、早くそこの客を対応して!すぐに来るよ」
「は、はい!」
会話する時間はないよ、と遠回りに忠告するサボテンちゃんに亮はペコリと頭を下げて謝罪し、接客に戻った。
亮は次の客を対応する。観客が来たらぎこちない挨拶に震えた手で薄い本の新刊を取り、来た客へと渡す。500円を受け取り、机の後ろにある投げ銭入れに入れる。そして次の客を対応する。
そんなロボットのように繰り返す単純作業を延々と続けた。
開催時間が10時からお昼の二時間までにぶっ通しで作業をしていた。
そんなロボットのような業務に亮は一つだけ、気付く。
……客が笑った。
同人誌を受け取ると、どの客も笑顔になり、帰っていく。
そんな些細な幸せを見つけて、亮は無意識に唇先を端あげる。
(……楽しい)
と、亮は緊張を解き、笑顔で接客するようになる。
来ているお客が楽しみに新刊を受け取る様子が、自分まで伝わり、嬉しい気持ちになる。
人は貢献することで、自分の心の満足感を満たすことができることに気付く。
(……これもこれでいいな)
亮はあることに気付く。
世の中は自分が歩んできた芸術の十年間だけじゃない。こんな祭りで楽しいものも存在している。
楽しい気持ちで接客すると、異変に気づく。
(……まずい。在庫がなくなった?!)
心臓が一瞬止まる。
今、手にしているのが最後の一冊。
在庫の山がなくなってしまったのだ。
「これで最後です!申し訳ございません!」
と、亮は営業の鏡であるように、大きく頭を下げた。
すると、客はそれを受け取り、ガッツポーズをしてから去っていく。
後ろに並んでいる客は残念そうに緩んだ態度をする。
亮はそんな客に顔向けできず、ただ単に頭を下げていた。
自分に非はないが、客の期待に応えられなかったことに非常に残念で申し訳ない気分であった。彼らにどう詫びればいいのか、口にはできないほどの重い罪悪感を感じていた。
すると、周囲からパチパチパチと拍手が鳴り響く。
亮はなにがなんだかわからない状況に頭を下げたまま混乱していた。
一体なにがどうなっているのか、なんで、拍手が響き出すのか?
そんな混乱の中、クラウスは亮のところまで来て、背中を叩く。
亮がクラウスの顔を見ると、にっこりと笑う。
「もう、頭を下げなくてもいいんだぞ」
「え?お客さんは怒っていないのですか?」
「何言ってんだよ。周囲を見て見ろ」
亮は言われた通りに頭をあげると、そこにはお客さんだけではなく、隣のサークルまでの拍手喝采。それと共に笑顔でサークルの周囲を囲んでいた。
完売に対して、みなは怒るのではなく、祝福してくれていたのだ。
「こ、これは一体……」
「まだ、わからないのか?みんな俺たちのことを祝福してくれているんだよ」
「完売したのに?」
「ああ。完売したことに祝福してくれているんだ」
クラウスは腕をあげて、『みんなありがとう!』と、喝采している客たちにお礼を返す。
客も盛り上がるように万歳!と叫びながら楽し気に悪ふざけするようにクラウスに向けていた。
これはもう、お祭り騒ぎの祭りでしかなかった。
それは感動の言葉を嵐に、亮の心は温かくなっていく。この喝采はどこか心に響き、自分の作品じゃなくても、こちら側にも嬉しさが湧き上がってくる。
目から涙が零れ落ちそうになる。
ぐっと、亮は涙を堪える。
嬉しさが胸いっぱいで、口では表現できない気持ちがあった。
この気持ちはどう表現すればいいのかがわからない。
同人誌2千冊が完売した。最初は無理だったと考えていたのに、2時間で完売するとは思わなかった。
これが『神絵師』の実力なのか。
絵は綺麗だけではなく、ファンも付いて来ている。2千冊をこうあっさりも、こう完売する。これは文句の言いようがない。
と亮がそう考えていると、クラウスは亮の方に顔を向けると、ニット歯を見せる笑みを浮かべる。
「お前はよくやった。今日は本当に助かったよ。新人」
「えっと。僕は特に何も……」
「いや、お前がいなければこの祭りは成功しなかった。お前がお客さんに本を提供したお陰で完売したんだ。それは保証する。それにな、祭りは一人で楽しむものじゃない。お前も素直に喜べ。俺たちの成功はこのイベントの成功にも繋がっているんだ」
「そうですよ!亮さん、頑張ってたじゃないですか!」
サボテンもキラキラとした目で亮を励ます。
亮はすごく嬉しくなった。自分の努力は報われた気がした。
「あ、そうだ。こいつを胴上げしようぜ」
「いいですね!彼すごく頑張ってましたから」
「え!?」
亮は何が何だかわからないまま、怪訝の声を上げた。
だが、サークルメンバーはそんなことを気にすることなく、亮を持ち上げて胴上げした。
「「バンザーイ」」
「ええええええええええ」
と、まあ亮は情けない声を上げたまま胴上げされる。
読書していた咲良先輩はくすくすと亮の胴上げを見ながら笑った。
早く解放して、と亮は涙目で胴上げされていた。
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