第7話 初めての同人即売会
日曜日の朝8時30分。
亮は咲良先輩が指定した場所、国際展示場駅前で待機していた。電車に揺られてから1時間強。この場所は亮の実家からかなり離れている場所だ。
よく使わない路線に、よくわからない場所での待ち合わせ。それは亮に取っては苦痛でもあった。
だが、来なければあのスケッチブックを取り戻せない。
ここは覚悟を決めて咲良先輩を従った方がいい。
と、改札口の近くに顔見知れた人が立っていた。
「来たわね……」
黒い髪が風になびき、白いワンピースを身にまとい、麦わら帽子を被り、大人っぽい格好の咲良先輩だった。
亮は迷わずに彼女の元へと歩き出す。
「先輩……僕のスケッチブックを返してください」
「このイベントが終わったら返してやるわ」
そう言い出すと、咲良先輩はあるものを手にして渡す。それは四角い長い紙切れ。小さな文字やら記載されているもの。
受け取ってみて見ると、そこにはこう記載していた。
「『魔法少女アイリ同人即売会イベント』?」
「ええ。いまから、あなたは薄い本を売るのよ」
「薄い本?」
「それも知らないの?まあ、いいわ。ついてきなさい。これが終わったら、ちゃんとスケッチブックを返すわ」
それだけ告げると、咲良先輩は東京ビックサイトに向かって歩いていく。
亮は彼女についていくように、後から追いかけていったのだ。
東京ビックサイトの中に踏み入り、西ホールへと入っていく。
「え!?」
中に入ると亮は愕然する。
彼の目の前に映っているのは、人々が各机のところに本を準備している姿。
文字通りの「薄い本」を机に並べている姿が見られた。
ここは市販で売られている本ではないと、一眼見てわかった。
手作りの本があれば、どこか印刷会社に発注し制作する本もあった。
そんな大量の人々、と本の数々に
「咲良先輩……ここて……」
「ええ。同人即売会よ」
「同人即売会?」
「同じ趣味を持つ者の集まり同人誌を販売すること。同人誌とは製作者が資金を出して、自分なりの物語を描く本のことよ」
「……それって……まるで、『オタク』じゃないですか」
「ええ。ここに居るものは全員『オタク』よ。わたしを含めてね」
咲良先輩は静かに答えると、亮は大きく口を開けた。
左右を振り向くと、このホールはざっと、数百人の参加者がいる。そのすべてが自分と同じ趣味があるオタクであった。亮は自分以外のオタクとは出会ったことがないから、この光景には驚いてしまう。
始めて海を見た子供のように、亮の胸が高まる。
「ここはプロモアマチュアも関係ない場所よ。みんな好きに本を創作している」
咲良先輩を自分の言葉を証明するように、とある机に指を刺す。そこには小学生が書いたような絵本が販売されている。
どうやら、この本を描いたものはまだ絵を始めたばかりだ。
だが、作品、魔法少女アイリ、に愛があるゆえに本を制作した。
芸術界ではありえない。いや、あり得るかも知れない。
素人とプロが絵の即売会をするイベントのストリートアートなら、あり得るかも知れない。
「なにしているの?早くこっちに来なさい。みんなの邪魔になるでしょ?」
「あ、はい」
と亮がそんな感心していると咲良先輩は注意を払う。
亮はおとなしく彼女の後ろについていく。
ぞろぞろと会場を歩いて1分も立たない内に、咲良先輩はあるサークルの前に立った。壁に配置されているサークルの前に立つと、中に声をかける。
「クラウスはいる?パシリを連れて来たわよ」
「……ん?ああ!来てくれたんだね!咲良先生!」
咲良先輩に呼ばれたかのように、一人の男性が満面な笑みで迎えてくる。
彼は金髪の髪をして、サングラスをかけている。少しチャラっぽく見えるけど、どこかしらしっかりしている部分もある。白いワイシャツにデニスのズボン。整った身だしなみで咲良先輩を歓迎していた。
「よく来てくれた!今日は、珍しいね!コスプレして売り子をするのを観念したのかい?」
「嫌だね。わたしはコスプレしないわ」
「それは残念。衣装は準備したのに」
「それより、売り子を連れてきたわ?」
「……え?」
話の展開に追いつけない亮ははてなマークを頭上に浮かばせる。
咲良先輩はにたりと、妖艶の笑みを浮かべてクラウスと呼ばれた男に向ける。すると、クラウスはこのことを察したように笑い出す。
「まあ、いつもの奴か!わはははは」
取り残された亮は首を傾げていく。
一体、これからなにをするのか?状況を理解できていない。
そんなところで、咲良先輩はクラウスと呼ばれた男性を紹介する。
「紹介するわ。彼はクラウス。神絵師よ」
「クラウス?神絵師?」
ますます亮は混乱する。
クラウスとは、外国語の名前。それって、その男は外国人であるのか。
そんな思考を巡らせると、咲良先輩が説明に入る。
「クラウスはペンネームのこと。この業界はペンネームで呼び合う。あと神絵師は優れた絵を描くプロのこと呼ぶ」
「神絵師……プロ?」
「これを見て」
すると、咲良先輩は一冊の本を取り出して、亮に見せる。
それは『魔法少年アイラ』の主人公『アイラ』が裸の姿で描かれていた。よくよく見ると、そのキャラクターはアニメで見た『アイラ』とは微妙に違っていた。目が少し丸く、表情は少し豊な感じ。絵の塗り方もアニメでは見ない、水彩のように塗りで行っている。
そして、開いているページは魔法少女アイリが挿◯されているページだった。
「何を未成年に見せているのですか!?」
「よく本を見てみなさい」
亮は真っ赤な顔で怒り出すと、咲良先輩が他のページを捲る。
魔法少女アイリのセッ◯スシーンが続くが、亮は目を閉じる、そしてゆっくりと開けて内容を見る。
絵があまりにも綺麗だった。
内容もしっかりとしている、幼馴染とアイリの純愛物語。
読んでいると、亮自身が恥ずかしく感じた。
「この絵で脱げない男はいないぜ」
「……確かにそうですね」
このエロ本は、すごい技量を持った人が描いたのだと、一眼見てわかった。
「驚くのは早いぜ。俺はこれも描けるんだ!」
「なっ……!?」
と、デカデカのポスターを見せる。ポスターB1サイズに魔法少女アイリと仲間たちを描いている。繊細に描かれた魔法少女5人の魔法少女キャラクターが一枚のポスターに描かれていた。
巧妙な描き方。輪郭がうまくつかめている。色の塗り方も誤魔化しがなくちゃんと塗っている。光の当て方も巧く当てられている、角度を調整して影を当てられている。芸術面から見ても、文句の言う用がない作品だ。
素人の目でも、それがすごいと思わせる事ができる絵だ。
……これが神絵師の実力。
と、亮はその絵を心に噛み締めていたら、咲良先輩は壁に積んでいる箱数を目にやる。
それに釣られて、大量に積んでいる箱を眺めると、他のスタッフが次々と中から同人誌を出している。
「今回は何冊刷ったの?」
「いやーこれがね、調子乗りすぎて、2千冊刷ったわ」
「全部売れるの?」
「売れるっしょ。でも、咲良先生がコスプレするなら速攻で売り切るさ」
「死ねば★」
と、咲良先輩の毒舌に笑うクラウスだった。
亮は二人の会話を聞くと、ちょっと心配になってくる。
つまり、この即売会だけのために同人誌が2千冊を刷った。
いくらこの絵が上手くっても、流石にこの大量の本を売れ切ることはできないだろう。
亮が冷静分析していると、クラウスは心を読むように亮の方へと視線を向けた。
「もしかして、これ売り切れないと思っているかい?新人」
「へ?」
「まあ、即売会が開催されたらわかる。そこまではお楽しみだな。だが、忘れるなよ。俺は『神絵師』だ」
クラウスはワハハと高笑いをして、腕を亮の首に抱きつく。
かなりフレンドリーで陰キャラの亮は驚く。
だが、亮はやはり気になる。『神絵師』とは一体どう言う存在なのか。
神絵師ならこの同人即売会でエロ同人誌2千冊を完売できるのか。
「じゃあ、君は売り場担当な」
「売り場担当?」
「売り子だ。要するにこの本を売るのだよ」
クラウスがそういうと、時計を見る。
9時を回っている。同人即売会の時間は10時だ。あと残り1時間の準備。
「おっと、時間が押しているな。そろそろ準備しないといけない。そういえば、君の名前は?」
「えっと、西園寺亮です」
「いや、ペンネームでいいんだけど」
そこで咲良先輩が助け舟を出す。
「ああ。この子この業界のこと何も知らないわよ」
「ド素人を連れて来たわけか、人が悪いな」
「でも、この子は素晴らしい画力才能を持っているわよ」
「へー。そうかい」
クラウスは苦笑いを浮かべると、じっと、亮の方を眺めるように見つめた。特に腕や手を観察し、「ほう?」と、謎に何かを納得したかのように口を開いた。
「絵を描いているだな?あとで見せてもらうよ」
「え……ぼくはそんなに上手くないですよ。描き始めてばっかで……」
「なら、より楽しみだ。手にあざが出るまで描いていると言うことは、人より数倍描いているんだろ?そうだな、ざっと今月で100枚以上は描いているな」
「!?」
……一瞬で見抜かれた?どうしてだ?枚数は数えていないけど、スケッチブック4冊分は描き出した。もしかすると、これが神絵師の力というのか?
亮はクラウスの見抜く力に戦慄していると、裏から少女の声がする。
「兄さん!スペースの準備が出来ました!」
「ありがとう!サボテン!」
赤い髪をした少女がひょこりとブースから準備が完了したことをクラウスに声をかけると、彼はお礼の言葉を放った。
亮の察するに、そのクラウスもサボテンも本名じゃなくて、ペンネームのようなものだと。
この業界にはどうやらペンネームを使うらしい。
あとで、自分のペンネームを考えて置かないといけないな。
亮がそんなことを考えていると、クラウスは亮の肩を掴み、ブースの方へと連れ出す。そして、大量の本の前に立たせて、ここに立つように指示する。
「よし。君の仕事はお客さんから500円受け取り、この本を渡すことだ」
「あの?お客さんとは?」
「まあ、開催されたらわかる。今日は『魔法少女アイリオンリーイベント』だから、人はすごいぞ?」
「???」
亮はクラウスが放った言葉の意味を理解出来ずに、またも心の中に首を傾げた。
いろんな単語が出てきて、よくわからなくなった。
オンリーイベント?何それ?
「さて、俺は裏在庫の方を担当するから、頑張れよ。亮」
「え!?僕がこの本を売るのですか?」
唐突の掛け声に亮は戸惑う。つまりこれから、この本を販売する。接客の経験がない亮は自信がなかった。
上手く接客できるか、正直言って、出来るか自信がなかった。
この十年間は芸術に捧げた身だ。こうして手渡しで販売するのは初めての経験だ。
そんな亮が助けを求めると、咲良先輩は容赦なく、追い打ちをかける。
「ああ、そうそう。もしも、あなたがこの売り子を断ったら、あなたのスケッチブックを返さないわよ?」
「わ、わかりました!頑張ります!」
期待していた、助け舟は来なかった。
亮は強制的にここで同人誌を販売することになった。時給0円という労働法を完全に無視している、最低なバイトについたのだ。
「おいおい。この子の弱みを掴んだな?相変わらず最低な行為だな」
「猫の手を借りたいと言ったのはあなたの方でしょう?なら、文句を言わないの」
「……お前が手伝えばいい話だろ。コスプレして来い」
「ハハハ。次、その言葉言ったら、あなたの鼻をへし折るわよ」
「やれやれ」
クラウスは顔を左右に振ると、咲良先輩は爽快に裏にある椅子に座り、亮の方を見ていた。正しくいえば、亮の監視をしていたのだ。
今回の件は、咲良先輩が仕込んだ一見で、クラウスは何も知らされていない。外道な行為は咲良先輩が一人で計画立てたもの。
そんなクラウスは心配そうに、亮の方を見下ろすと肩をぱんぱんと軽く叩く。
「まあ、無理はするなよ?新人」
「あ、はい。出来る限り頑張ります」
亮は背筋を伸ばして返事をすると、「そこまでかしこまらなくてもいいのに」とクラウスはぽりぽりと頬を掻いた。
真面目な性格している亮は、サボテンから業務の内容を覚えることになった。
お金を受け渡し方法、同人誌の渡し方、配置のローテーション、困ったら誰に報告するのか、それら諸々ノートを取り覚える。
そんなことを覚えていると、突然放送音が流れ出す。
『ただいまより。開始十分前になります。サークルの皆さんは準備をお願いいたします』
と、準備をするようにとアナウンスがホール内を響き出す。
それを聞いたクラウスは自分の配置へと戻り、準備しているみんなに声をかける。
「さて、みんな今日も一日頑張るぞ!」
「「「おお!」」」
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