第9話 沼の主

 久々に宿舎に帰ると、宿を経営するおじさんとおばさんに「一週間以上音沙汰なくてとても心配していたのですよ……!」と泣いて喜ばれた。理由を問われたが話が長くなりそうなのでモンスター討伐中に道に迷ったということにしたが、ちゃんと誤魔化せたかいまいち自信がない。

 ファルチェとは解体処理所で別れた。てっきり食い下がられるものかと考えていただけに、気が変わったらここに連絡してと通信用の真石を渡されただけだったのは拍子抜けだった。ちょっと寂しいなんて思ってなんかいない。

 色々あって放ったらかしだったクエストの途中経過を報告するべく、ギルドに恐る恐る顔を出せば、すでにキャンセルされていた上、三ヶ月間がむしゃらに働いても到底稼げない額が口座に振り込まれていた。誰の仕業か明白だった。こんなことされても心は揺れない。揺れないのだ。

 折角ギルドに来たのだ。ハンターとして調子を取り戻すべくギルド掲示板で仕事を探していたら、後ろから肩を叩かれた。振り返れば見知らぬ年かさの男がいた。もじゃもじゃの黒い髪が無造作にもつれ、貧相な体をしている。

「ちょうど募集中のクエストがあるんだ。どうだい?」

 手渡されたクエスト内容は辺境の集落でここ最近、小型モンスターに畑を荒らされるようになったため討伐して欲しいというものだ。少し遠出になるが割がいい。ふと、ファルチェが別れ際に「次、雷攻撃を使う時は周囲に人がいない場所を選んだ方がいい」と言っていたことが脳裏をよぎった。理由は分からないが、これなら申し分ないだろう。

 受注しようとすれば俺がやるから行く準備を頼むと言われ、早々に出発することにした。


 指定された街まで転送で飛び酒場に辿り着くと、村から来た迎えと名乗る男に馬車に乗せられ数時間、途中で街道が途切れて徒歩になり、ようやくたどり着いた集落はとんでもない山奥にあった。予想以上に裏寂れており、朽ちかけた住居がちらほらある。初心者ハンター向けのクエストにしてはあまりにも遠距離だが、きちんと場所を地図で確認していなかった俺の落ち度だった。

「ご覧のとおり、若者のいない寂れた村でしてモンスター一体を倒すにも大変苦労しているのです。長旅でお疲れでしょうから明日にしてはいかがでしょうか。宿も食事も手配しておりますゆえ、ゆっくりしていってください」

 出迎えてくれた村長は頬がこけ肩幅が小さいが、目がギラギラしてどこか威圧的だった。家の中へと案内されようとしたが、首を振って断った。

「今すぐにでも討伐に行きたいです。場所はどちらでしょうか?」

 宿屋のおじさんたちにまた出かけると話したらオロオロと心配されたため、今度はすぐに帰るから大丈夫と言った手前、あまり時間はかけたくない。そうですか、と村長はやや残念そうに言うと地図を取り出して印をついた場所を指差し、ここに例の小型モンスターたちの巣があるようですと言った。


 そうして該当の場所を目指して山を進むこと数十分、完全に迷った。地図上では沢があるはずなのに見当たらず、目の前には切り立った崖が広がっている。山を歩くのは初めてだったので、きちんと後ろの景色を確認しながら歩いたのにこの様だ。あとこの鬱蒼と茂った森自体に違和感を感じる。スライムの一匹や二匹、歩けば遭遇しそうなのにまったく見当たらない。それどころか小型も中型モンスターも野生動物さえ見かけない。少し変だなと思ったが、モンスターの巣へ行くまでに真力も体力を使わなくて済むのでヨシとした。

 山で迷った時は沢は降るな、尾根を登れと教わった通りに歩いていたら、雑木林の中にぽっかり穴が空いたような場所にたどり着いた。中心には大きな沼があり、湖面がエメラルドグリーン色に輝き神秘的で恐ろしく綺麗で、見ているだけで吸い込まれそうな魅力があった。あたりを見回してもモンスターらしき影はなかった。もちろん人影もない。

 何度も周囲に誰もいないことを確認して、ここなら誰の迷惑にはならないと分かると、ふっと笑みが込み上げた。

 さっきから無性に雷を放ちたくて体がムズムズしていたのだ。まだ日が高く時間に余裕があり、一回ぐらいなら討伐にさして影響はないはずだ。

 意識を集中させて、頭の奥で光をイメージする。

 ピリビリと周囲に電流が走るまではいつも通りだった。けれど、奥底から湧き上がる力が波となり押し寄せてくる感覚があった。波はだんだん大きくなり、開け放たれた出口へと殺到していく。全身に汗がにじむ。これに逆らってはいけない。直感だった。流れに身をゆだねた次の瞬間、それは一気に外へと放たれた。

 湖に向かって撃たれた青白い光が、水面につき刺さると膨大な熱と光を撒き散らして爆発した。水蒸気が巻き上がり白い霧が包み、湖の水があたりにぼたぼたと降り注いだ。

「何で?」

 疑問を口にしたものの、答えは明白だった。首輪だ。今まで首輪の拘束によって抑えられていた力がダダ漏れになっているのだ。あの地獄の一週間はいずれも中型大型モンスター相手で、しかもギリギリの体力で無我夢中で打ち続けていたから、ここまで強くなっていたことに気づかなかっただけだ。

 ファルチェが人のいない場所で使えと忠告したのはこういう理由だったのか。いや、それならもっと詳しく教えて欲しかったが、彼から早く離れようとして話をろくに聞かなかったのは俺の方だった。これは本当に周囲に人がいなくなってよかったと沼を見ていると、大きな影が湖面に浮かび上がる。影はどんどん濃くなっていき、やがてプカリと姿を現したと思うとそのまま微動だにせず浮いていた。その巨体は、伸ばせば沼の端と端をつなげられそうなぐらい長く、ぬらぬらと鈍く光る鱗で覆われた姿はまるで大蛇のようだった。

 沼の主。その姿を見たら誰もがそう思うに違いなかった。

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