誘い

第8話 スライムソテー

 物心がついてきた頃、最も強く記憶に残っているのは初めて俺が力を発露した時の父の顔だ。

 求められる資質がまったく備わっていなかったばかりか、人を傷つける真逆の性質を持って生まれた子を前に、父は恐れをなした。

「どうしてお前はこんな力を授かってしまったのだろうな」

 それでも父は父なりに俺と向き合い、何とか力を制御する術を身につけさせようとした。けれど日が経つにつれ、どんどんと力を増していく異端児に困り果てた。家の持つ歴史の重さゆえに誰にも頼れなかった父の選択は決して正しいとは思わないけれど、愛はあった。そうでなければ今日まで生きてこれなかった。

「あの人に止められなかったら、あんたなんてとっくの昔に殺していたわ」

 あの日、ぽつりと呟いた母の言葉はいつまでも耳に残っていた。



 穏やかな日差しを頬に受け、うっすら目を開けると見知らぬ天井があった。背中にあたる部分はゴツゴツしておらず、柔らかいベッドだ。野営じゃないなんて何日ぶりだろうか。テントでも宿でも実家でもない。どこだここ?とぼんやり考えていたら、丸耳が視界にぴょこっと入ってきた。

「おはよう、初心者くん。元気? 生きている?」

 ファルチェだった。思わず口を手で塞ぎ兵糧丸が突っ込まれるのを断固拒否する姿勢を示せば、耳をぴょこぴょこさせて愉快そうに笑った。

「もう調査は終わったよ。一昨日そう告げたら君、その場でぶっ倒れてしまってね。ここまでこの僕が運んだ訳だけれど、そのまま丸一日ぶっ通しで寝てさ。ひっぱってもつねっても全然反応しないから流石に焦ったよね」

 終わりというのは本当かと疑わしい視線を向けると、疑り深いなぁと言いながらファルチェはベッドに腰掛けた。


 思い出しただけでも身震いするほど、壮絶な一週間だった。

 モンスターの体をあまり損なわない雷撃は後々の検査に便利だと、あちこち連れ回されこき使われた。

 体力が尽きてフラフラになったらファルチェに例の兵糧丸を食わされ働かされ、寝るのはいつも野営地にはったテント内でほぼ地面の上。熟睡できず、ようやくうつらうつら出来たと思ったら、出番だと真夜中に叩き起こされるのはザラだった。無理だと言っても限界を超えた限界を求められ、もうテコでも動かないと拒否したら、わざと荒れ狂うモンスターの前に放りだされ、生きるか死ぬかの選択を迫られた覚えもある。他にも散々酷い目に遭ったが、ところどころ記憶が欠けている。人間は辛い思い出を忘れられるからこそ生きていけるのかもしれない。こうしてゆったり朝を迎えるのも奇跡のようだ。

「ここは?」

 体を起こしあたりを見渡せば、寝るための寝台が二つある以外は必要最低限の調度品しかない安い宿屋のような部屋だった。

「解体処理所内の宿舎だよ」

 ということはあの灰色の建物たちの一角か。こんなところさっさとオサラバだとベッドから降りようとしたら、ファルチェが服の裾をつかんで引き止めた。

「もうお帰りかい? ゆっくりしていけば?」

「いやだ。お前と一緒にいたら確実に寿命が削れる」

 振り切って部屋から出ようとしたが、床に足をついて一歩歩こうとした途端、めまいがしてそれ以上進めなかった。ついでに腹も盛大に鳴った。ゴロゴロと周囲に響き、恥ずかしさで顔が真っ赤になる。そんな俺をファルチェはニヤニヤしながら見ていた。

「帰るにしてもまずお腹を満たしてからじゃない? すぐそこに食堂があるから食べていきなよ。おごってあげるよ」

 とっとと彼から離れた方がいいと直感が告げていたが、このままだと宿に着く前に行き倒れる。背に腹は変えられない。食べたらすぐに帰るのだと決意してこくりとうなずいた。


 食堂は長椅子、丸テーブルが所狭しと置かれ広々として大きく人の姿であふれており、楽しげな会話や香ばしいパンや肉の焼ける匂いが包んでいた。本で読んだことのある、冒険者たちの集う酒場のようで活気がある。

 食事を持ってくるから代わりに席を確保しておいて欲しいと頼まれ奥の丸テーブルに腰を下ろしていると、まもなくファルチェがトレイを抱えてやってきた。上に乗っていたのは、赤青緑のゼラチン質の塊とパンだった。

「何これ? もしかしてスライム?」

「そうだよ。僕のおすすめメニューだ。食べたことない?」

「モンスター肉は食べてはダメだと言われてきたから口にしたことがない」

「へぇー今どき珍しいな。そういう事情があるなら無理にすすめないけれど」

 口ではそう言っているが明らかにファルチェの耳がシュンと下がっており、ものすごく罪悪感を感じる。そもそも今現在、俺は家出の身。今更言いつけの一つや二つ、破ったところでどうってことない。スプーンを手に取り、食べるという意志を示すとファルチェの耳はピンと立った。分かりやすい。

 改めて皿に盛られた三原色スライムを見る。見た目では甘いのか辛いのかさえ分からない。恐る恐るスプーンにとり口に運び、意を決して噛むとブワッとその味が口の中に広がった。

「うっま!! 」

 ここ最近、兵糧丸以外まともな食事に在り付けなかったのもあるかもしれないが、それを差し引いても美味しい。味は脂がのった魚に近く、弾力性があり噛めば噛むほどスライム汁が広がる。

「でしょう? 鮮度はもちろんのこと、ここの料理人はモンスター別の調理法を熟知していてね。モンスター肉をいかに美味しく食べるか研究すべく日々、腕をあげているのさ。ソースに絡めてパンと一緒に食べるとより美味しいよ」

 言われた通りにすると、これまたえらく美味い。空きっ腹に沁み渡り、底をついた真力も回復しているようだった。ひたすら黙ってもぐもぐ食べていると、ふと顔に影がさした。

 見上げると、ウェアウルフが丸テーブル越しに俺のことを見下ろしていた。見覚えのある顔だと思ったら先日、ヨロイザルを倒した時に現れた解体班の一人だった。

「君が先日の大規模調査で活躍した雷の使い手であろうか?」

「そうですが」

 あたりの喧騒をものともしない、すっと通る低い声だった。口の中のスライムを飲み込み答えると、彼は頭を深々と下げた。

「此度の力添え、誠に感謝する。おかげで被害を最小限に食い止めることができた」

 大の大人に頭を下げられた経験などなく目が点になる。驚いたまま硬直していると「僕の直属の上司だよ」とファルチェが耳打ちしてきた。つまりは解体処理隊第ニ部隊隊長か。ウェアウルフのモフモフの耳を見ながら、なんて声を掛ければいいのか悩んでいれば、彼はバッと顔をあげた。

「だが、君のようなクチバシの黄色いヒナっ子が過酷な業務の多い解体班に入るには早すぎる。誠に申し訳ないが入隊を認める訳にはいかない」

「入る気なんてないし、これを食べたらとっとと帰る気満々ですが!?」

 何の話か分からず思わず突っ込めば、彼は目尻を下げた。

「そうなのか? ファルが入隊させたいと言っていたから、てっきり希望していると思っていたのだが」

 横のファルチェを見ると素知らぬ顔をしている。いつの間にそういう話をしているなんて、このイタチ油断も隙もないと眺めていると、ファルチェはスッと立ち上がった。

「隊長。彼は貧乏のあまり明日の飯を食うにも困る身です。どうか拾ってあげてください」

「人を捨てられた子犬みたいに言わないで欲しいかな!? あながち間違っていないけれどさ!?」

「そうは言っても本人にその気がないのであればしょうがないではないか」

 そうだそうだと心の中で応援する。このまま諦めてくれと願ったが、ファルチェは不敵に笑った。

「では彼をその気にさせて、なおかつ、隊長に是非とも入隊させたいと思わせればいいのですね?」

「ふむ、そこまでお前が言うなら少し考えよう」

「待って? 勝手に話を進めないで?」

 本人無視のまま思わぬ方向へと話が進むのを避けるべく、両手をあげて存在をアピールするも、二人の間ではもう了承を得たのか「楽しみにしているぞ」と言って隊長は去っていった。

「入隊できるよう頑張ろうね、新人くん」

「人の話を聞いて?」

 俺の両肩に手を置いてファルチェが微笑む。俺を食堂へ連れてきたのは隊長に会わせるためだったのではと気づいたのは今更な話だった。

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