第9話 エピソード記憶

 ―――ルトアは、迷っていた。


 この星に、『魂魄』という概念は存在しない。



 心咲の体中に刺さった毒針を1本、また1本と抜いていく。


 もし神命でなければ、この女性の頭部を吹き飛ばせば済む話だろうか?

主より賜った 回復能力 を鑑みれば、頭部を失えば細胞が修復する。


 だが、そこには [エピソード記憶] が、存在しないだろう。


 この能力は修復であって、復元能力 ではないからだ。


 あるのは、[手続き記憶] [プライミング記憶] など、残された細胞が有する[ニューロン(神経細胞)] による少量のバックアップが関の山か……。


 ならば、毒針がある箇所にあたりをつけて、空間転移を試みる?

残念ながら、透視能力を有していないルトアには部の悪い賭けになるだろう。


 山勘やまかんというものに頼れるのは、症例を多くこなした者が持つ特有の思い込みのようなモノだ。それに、転移したところで血液と髄液が入り混じって、正確に修復できるかも怪しいものだ。


 この場合は、頭蓋を切開して取り出すしか方法は無い、だろうな。

だが、そこにも不安がある。それは、先ほどから見られる 回復能力 だ。


 頭皮を切った所からすぐに修復をされたら、頭蓋を切開するどころではない。


 ルトアは、小さく溜息をつく。


 これが神命でなければ『神力』を振り絞って、莉拝に [時間遡行] を使ってこの街に入る前の時間に戻せば良いだけだっただろう。自分へことづけを授ければ、王宮の避暑地街‐ミイライ‐へと向かったであろう。


 この世界の現状とは大きくズレる街ではあるが、危険は少ない。


 だが、[時間遡行] させたところで、こちらとは別の世界となるだけである。

まさに、『丸投げ』だ。莉拝しか、救われない世界。それが可能なのは、天使の気まぐれによる『寵愛』でしかないだろう。神命とは、厄介なモノである。

 


 ルトアは、心咲の身体が小刻みに揺れ始めている事に気が付いた。



「時期に、体内に残された毒針が激痛をもたらすだろう。

 叫び声をあげられる前に、この街から脱出する」


「脱出って、どうやってだ?!」 


 莉拝は、正常な判断が出来ていなかった。

自身に与えられてた能力を、スキルの存在を忘れていた。


「空間跳躍も空間転移も使えないが、空を飛ぶことぐらいは、できる」



 そう言って、神具 [天使の輪] を何もない空間から取り出す。



「………は?」 莉拝は開いた口がふさがらなかった。


「これならば、さして『神力』を使わずに済む。コントロールは難しいが……。

 そうだな。そちらの世界で言えば [ドローン] を飛ばすような難しさだ」


「………、、、いや、……そうじゃなくて………」


 莉拝は[ドローン] を知っているが、操作なんてしたことない。


 いや、それよりも。光る輪を見て思ったこと。


「蛍光灯だろ、それ?」であったのだ。


 先ほどの水筒の件が、チラついてしまった。



 それに構わず、ルトアはそれを頭上へと浮かべる。


 突然、水色のクリアパーツホリゾンブルーの大きな翼が背中から出現する。


 その姿は、まさに美しい天使であった。


 ルトアは心咲を抱き上げると、2階へ移動する。莉拝もあとに続いた。


 壁の前に立つと、自然と窓が崩れ落ちる。


 天井まで崩れ落ち、曇天が誘う。

 まるで、脱出を急かすかのように。


 莉拝がその現象に驚き、大きく空いた壁から階下を見下ろすと、男が3人。玄関扉の前で、剣を抜いて2階の様子をうかがっている。それぞれ3人と目が合い、慌てて中へ引っ込んだ。


「いいか。私が飛び上がれば、すぐに足首を掴め」


「あ、あぁ。わかった」 ちなみに、掴み損ねれば?とは聞く気にはなれなかった。


 男たちが、急いで2階へ駆けあがってきたからだ。



「行くぞッ」 ルトアは、天に向かって、跳躍する!



 大きく羽ばたくと、あっという間に5階建てのビルほどの高さにまで昇る。

それは、水中の中とは違う感覚。これまでに味わった事のない感覚が去来した。


 莉拝は思わず、足の真下を見た。感動よりも、地面との距離に震えあがった。


 高所による恐怖が、ゾッと背筋を凍らせた。


足の着かない恐怖が、握りしめた莉拝の手に、グッと力が入ってしまった。



 ミシッ‼ という大きな音が鳴った―――。



「ぐッ、アッ!?」 ルトアが、悲鳴を上げる。



 強く握りしめすぎて、骨にひびが入った音だった。


 ルトアは痛みに耐えきれず、急速に下降し、コントロールを失う。

ふたりは、民家の屋根に激しく背中をぶつけ、激しく転がりながら石畳の道へと叩きつけられた。その衝撃で [天使の輪] が砕け散ってしまう。



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