第一章 王都への道

第9話 荒涼の大地

 オーレンを出て三日間、ガラガラと音を立てながら進む荷馬車の上で、アンリはただただ運ばれていた。荷台に据え付けられたほろの中にあるのは、アンリただ一人とそれを囲うケージのみ。こもる蒸し暑さと隙間から侵入する砂埃で、アンリは不快で退屈な旅を余儀なくされていた。


 アンリを載せた馬車は、本来であればロドリコ大親方を運ぶ予定だったエミリオの部隊が運んでいる。数台の馬車と五十人ほどの兵士に取り囲まれる様は、猛獣用のケージに入れられた貧弱な少年を運ぶにはもったいないほどの大行列だった。


 一行が進むのは、オーレンから南北にのびる荒れ地の大峡谷の谷底だ。

 オーレンから王都ビットリアまでの道のりは木々の無い荒れ果てた土地が続いている。それはドラゴンにとって獲物が見つけやすく、いつでも巨体を休められる場所ということを意味していた。狭く薄暗い谷底を進んでいるのは、なるべくドラゴンの視界を避けて身を守るためだった。


「ほんとに大丈夫? 空、丸見えなのに?」


 ヘルガはアンリの馬車のすぐ近くで馬にまたがっていた。アンリから姿は見えないが、荷馬車を覆うほろ越しに、くぐもった声として届いてくる。いつもは他の男兵士と会話しているヘルガだったが、今日の話し相手は女性のようだ。


「大丈夫よ。これだけ狭い谷底に降りてくるドラゴンなんて、そうそういないわ。翼を広げるには狭すぎるのよ」


 大人の落ち着いた雰囲気を醸すその声を聞くと、アンリは知的で高尚な人物を想像した。ただ運ばれるだけで退屈をしていたアンリは、いつものように外の会話に耳を澄ませる。


「そうかなぁ。見た感じ、小型のドラゴンなら降りて来そうだけど……。荒れ地のドラゴンは小さいんじゃなかったっけ」

「確かにこの大峡谷付近のドラゴンは小さい個体が多いわね。でも小さいってことはそれだけ風に煽られやすいから、尚更谷底には来れないのよ。ほら、谷の中腹には激しい気流が吹いてるから」

「なるほど、そうゆう仕組みなのね。昨日までびくびくしてた私が馬鹿みたい」

「分かっていても怖いよね。私も気がつくと空を見上げちゃう」

「分かる。首痛くなっちゃったよ」

 ヘルガとその女性は楽しそうに笑い合った。


 今度は、前方から馬の走る音が聴こえてきた。恐らく甲冑を着ている兵士が乗っているのか、ガチャガチャと耳障りな音が幌の中に反響した。

「上部の気流が弱まり始めてる。兵士は武器を構える準備をしろ。そうでないものはなるべく岩陰の下を静かに進め」

 兵士はそれだけ言うと、列の後方へと馬を走らせた。

「全然安全じゃないじゃん」

「そんな、まだ中継拠点まで距離があるのに……」

 二人の声は一転して不安そうだった。それから暫くは、皆静かに慎重に歩みを進めた。雑談をしている人は誰一人としておらず、なるほど人々はドラゴンがそんなに脅威なのかと改めて感じるのだった。

 オーレンが洞窟型の街だったのも納得だが、王都は一体どうしているのだう。王都と言うからにはそれなりの人数が暮らす都市なのだろうが、それが収まるほどの洞窟などあるのだろうか。

 アンリは聴こえてくる音から、外の世界を想像した。馬の足音、兵士の甲冑の音、荷車の軋む音、幌が風にはためく音……。


 ――あれ?


 アンリは聞こえてくる音の中に、妙な物を感じ取った。

 気のせいかも知れないとよくよく耳をそばだててみるが、隊列の歩む音に紛れてたしかにその音は聴こえてくる。

「すいません、兵士さん」

 アンリは荷馬車の馬に跨る兵士にだけ聴こえるよう、小さな声で呼びかけた。

「声を出すな。言われてるだろ」

 兵士は小声でアンリを叱った。

 アンリは秘密裏に王都へ運ばれる約束になっているため、声を発することは禁じられていた。しかし、言いつけを無視してでも伝えるべきことだと思ったアンリは構わず話を続けた。

「崖の上に誰かが居ます。あなた達の仲間ではないと思う」

「いいから黙れ。何を馬鹿なことを言っているんだ」

「兵士は居ないんでしょ? 危険だもの」

「だからなんだ、いい加減にしろ」

 その兵士は苛立っているようだった。

「馬じゃない、なにか二足歩行の獣に乗って僕らと同じ方向へ進んでる。皮か何かでできた服装をしていると思います。わざわざドラゴンに狙われやすい危険な場所を歩いているやつが、あなた達に何か良いことをもたらすとは思えない。……記憶が無いから、検討外れなことを言っていたらごめんなさい」

 アンリが喋り終えると、その兵士は困惑した様子で仲間に声をかけた。

「おい、隊長を呼んでくれないか?」

「どうした?」

「積荷が崩れたみたいだ。隊長の私物が混ざっているから、直々に確認してもらいたい」

「面倒な積荷だな。ここらに捨てちまおうか」

 わざわざアンリがいることを明言しないのは、アンリの存在を周囲に漏らさないためだろう。人里離れた大峡谷の谷底には兵士たちの会話を聞く人などいないだろうに、彼らはアンリの輸送に関してとても慎重だった。


 エミリオはすぐに現れた。荷馬車にかかる幌をくぐり、ケージの外側にしゃがみこむと、やけに小声でアンリに問いかけた。

「何がどうした。約束を破ってまで伝えたいことか」

 エミリオはいつになく真剣な表情をしていた。

「崖の上に人がいます。ドラゴンの脅威を恐れない存在、それってもしかして僕の仲間だったりしませんか?」

 アンリはエミリオに倣って出来るだけ小さい声を出した。エミリオは少しの間黙り込み、そして訝しげな目でアンリを見つめた。

「崖は数十メートルの高さがある。そんな所の音をなぜ聞きとることが出来る?」

 その言葉にアンリは驚いた。聴き取れないはずの音が聴こえていたからではない。数十メートル先の音が聴こえないことがさも当たり前かのように話すことに、アンリは驚きを感じたのだ。

「出来るでしょう?」

「何を言っている、我々には到底できない」

 エミリオはそれから、あれこれとアンリに聴き込んだ。しかしどうやらあまり聞く価値がないと判断したらしく、お願いだからこれ以上喋らないでくれと言いつけると列の先頭のほうへ戻って行ってしまった。


「崖の上の音が聴こえるだとさ。どうやら何者かが我々を尾行しているらしい」

 列の前方に戻ったエミリオの声が微かに聴こえてきた。この声の大きさからすると、かなり距離が離れているに違いなかった。


「崖の上? 誰かに見に行かせますか?」

「いや、そんな危険行為をさせるわけにはいかない。彼が本当のことを言っているとは限らないからな」

「我々を騙して脱出しようと考えているのでしょうか。崖の上の音が聞こえるなど有り得ませんから」

「騙そうとしている可能性はあるが、嘘をついているとは限らないぞ。どれ、試してみるか」

 するとエミリオは、ごく自然な話し声でこう言った。

「アンリ、この声が聴こえたらケージを三回叩くんだ」

 突然のことにアンリは驚いた。応じるべきか一瞬悩んだが、今はエミリオの信頼を得たほうが良いと考えたアンリはすぐに実行に移した。ケージの隅に置いていた金属製のスプーンを手に取ると、ケージにカンカンカンと打ち付ける。思っていたより音が小さくなってしまったが、その音はどうやらエミリオ達に届いたようだった。

「そんな馬鹿な……!」

 エミリオと話す兵士は、酷く驚いているようだった。


「おい、何をやっている」

 荷馬車をひく兵士が、またアンリを咎めた。

「エミリオさんに言われたんだ。もう大人しくするよ」

 アンリは小声でそう伝えると、固い床の上に横になった。

 それ以降、エミリオ達の話し声は聞こえなくなった。遠くへ行ったか、もしくは小声で会話をすることにしたのだろう。


 アンリはエミリオ達には聴こえないはずの距離から発せられた音を聴くことが出来る。それは、アンリが普通の人間とは異なることを確定付ける要素の一つに違いなかった。




 翌日になるまで、アンリは一言も発しなかった。相も変わらずアンリは外の音に耳を傾ける事しか出来ず、一日に二度与えられる食事の時間以外は酷く退屈だった。崖の上の足音はといえば、エミリオと会話をしたあたりから聴こえなくなっていた。


「ドラゴンの鱗を貫通するには単に鋭さがあればいいわけじゃない。刀身の硬さに重さ、それにある程度の柔軟さが必要だ。肉を断ち切る事は現実的に難しいから、表面を傷つけることを考えて刀身を厚めにしてる。この重さが攻撃力を後押ししてくれるんだ」

 兵士に向かって、チコは得意気に自作のナイフを説明していた。

「理屈は分かるが、そんなものどうやって持ち運ぶんだ? 機敏性が落ちればリスクは格段に跳ね上がる。大事なのは身軽さだよ」

「背中に担ぐための専用の鞘を作ってる。背負えばたいした重量じゃない」

「うーん。見た目はかなり重そうだがな……」

「次の中継地点に行ったら背負ってみるか? なんなら試し斬りをしてもいいぞ」

 チコは毎日のように色々な兵士に自作の武具を売り込んでいた。

「試し斬りはしてみたいな。だがいいのか? 俺らの武具は基本的に軍の持ち物だから、俺らじゃなくて軍本部の奴に売り込まなきゃ意味がないと思うんだが……」

「構わないさ。いつか軍に口を出したり、軍の備品を買えるような立場になったときに買ってくれれば良い。もちろん欲しかったら今日にでも買ってくれていいんだぞ」

「お金を勝手に使うとカミさんに怒られるからな、いつか買うことにするよ」

 アンリの聴いていた限り、チコはまだ誰にも武具を売れていないようだった。だが、チコの声は終始一貫して楽しそうだった。彼は生まれの土地オーレンを出るのは初めてだからか、全てが希望に満ち溢れているような心持ちなのだろう。不安しかないアンリとは正反対だ。

 せめて外の景色がちらりとでも見れたら良いのにと、アンリは深くため息をついた。


「ついたぞ。最後の中継地点、ジェロマッカだ」

 兵士がそう言った。

「最後ってことは、明日には王都か?」

 チコが尋ねる。

「まあ順調に行けばそうだな」

「いよいよか、思ったより長かったな」

 チコは満足そうだった。

 アンリはその時、様々な匂いを感じ取っていた。人々の匂い、食べ物の匂い、削りたての樹木や錆びた金属の匂い。ジェロマッカと呼ばれたその拠点が、今まで通過した中継地点とは比べ物にならない程栄えていることは、何も見えないアンリにも容易に想像できた。

「王都も良いが、ここジェロマッカもなかなか良いところだぞ。北西部の交易拠点となる大きな街だから、食事は種類が豊富だし、工芸品やら武具やら何でも売ってる」

 兵士もまた、ジェロマッカの街に心を踊らせているようだった。

「武具屋もあるのか、それは楽しみだな」

「羽目を外しすぎないようにな」


 それから一行は、ガヤガヤと音の溢れる街中へと入っていった。アンリを乗せた馬車は暫くともに進んでいたが、だんだんと静かで人気のない場所へと進んで行った。


「おい、お前はここで明日まで待て。食事は係が持ってくる」

 馬車が止まると同時に、兵士がきつい口調で言ってきた。

 どうやら、ジェロマッカの景色は見れなそうだ。街で宿泊するということは馬車を降りれるかも知れないと、僅かながらに期待していた自分をアンリは悔やんだ。


「見張りは付けてあるからな、変なことをしたら命はないぞ」

 吐き捨てるようにそう言うと、その兵士の足音は遠ざかっていく。


 ――こんな檻の中で、一体何ができるってんだよ。


 アンリはふて腐れた。残されたのは、薄暗く蒸し暑い空間のみ。とても退屈だ。また外の音に耳を傾けるが、今度は何も聞こえない。


 いや?


 足音が聴こえる。今度はかなり近かった。アンリのいる荷馬車の周囲を、何かを探すように彷徨いている。

 アンリはじっと固まって息を潜めた。その人物は何かを探し歩いているようだ。忍び足で徘徊しながら、時おり何かをそっと触って動かしている。その足音はどんどんと近づき、遂にはアンリのいる荷馬車のところまできた。

 アンリが助けを呼ぶべきかと思案していると、そっと荷馬車の幌が捲られた。そして、一人の女性がひょっこりと顔を覗かせた。


「いた。大発見」


 その声は、昨日ヘルガが会話をしていた女性だった。まだ若い、アンリと同い年くらいの見た目をしている。


「龍の遣い魔を連れているってのは本当だったのね。さて、どうしようかしら」


 その女性は不敵な笑みを浮かべながら、荷馬車の上へと登ってきた。

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