第8話 王都へ

 サーペントを討伐した次の日、アンリの一旦の処遇が確定した。

 王宮警護団所属、オーレン遠征隊長のエミリオが責任を持って王都ビットリアへと連行し、王都にて七賢人による裁判にかける。王都の民衆の混乱を避けるため、表向きには北方の古い要塞に隔離したとの情報を流しておき、秘密裏に王都へ運ぶとのことだ。


「ということで、最終的にどうなるかはまだ決まってないんだ。申し訳ないね」

 エミリオは、牢の外からそう笑いかけた。

「いえ、大丈夫です。ただ、手足の枷を外してもらっただけでもありがたいです」

 謙虚に、アンリは答えた。

「君には不思議なことが沢山ありそうだからね、裁判には期待しているよ」

 エミリオは昨日の事が嘘のように朗らかに笑った。王都の兵士やオーレンの兵士は皆、昨晩の事件の後処理に追われていて疲弊した顔をしているのに、このエミリオという男はどうも何かが抜けているような雰囲気を醸していた。

「いやぁ、どうやったらあんな大きな声が出るんだ? 普通の人間じゃないことは確かだが――」

 アンリにとっても、サーペントの件は不思議な出来事だった。気がつけば、喉の奥底から信じられないほどの大声を出したかと思えば、サーペントと会話をし、誘導することに成功したのだ。

「君、ほんとに分からないのか?」

 エミリオの問いかけからは、アンリを怪しんでいる様子は感じられなかった。

「すみません、本当に、訳が分からずって感じだったので⋯⋯」

 アンリは申し訳なさそうにした。

「まあ、君を生かしておくのは、君のその力に利用価値があるかも知れないっていうところだからね。力をコントロール出来ないからといって殺されることは無いと思うけど、裁判次第だなぁ⋯⋯」

「ちょっと、エミリオさん! なに呑気にばらしちゃってるんですか! 秘密にしとかなきゃ!」

 隣の兵士が慌てて制止する。エミリオはただがははと笑っていた。


「やっぱり……、僕は悪魔なんでしょうか」

 アンリは、神妙な面持ちでエミリオに問いかけた。

 エミリオは少し間を置いたあと、疲れたような笑顔でアンリを見つめる。

「それは分からない。でも、使、きっと君は龍の使い魔だ」

 そう言ったエミリオの顔は、とても慈しみのある、優しさに溢れた表情をしていた。

「ちょっと、言ってる意味がわからないです⋯⋯」

 アンリのその苦笑いに、エミリオはただ笑い返してくれた。




 それから三日ほど経った朝、アンリは馬車の荷台のケージに入れられていた。


「ロドリコ親方、結局王都行きは延期するんだって。流石にこのオーレンの惨状を放ってはおけないんだろうね」

「は、はぁ⋯⋯」

「それで、代わりに息子のチコって奴が王都に行くらしいよ。ほら、処刑が決まる直前にあなたを覗き込んだあいつだよ。ありゃ役に立たなかったから追い出されるんだって周りから言われてるみたい。可哀想な奴だね」

「う、うん⋯⋯」

「聞いた話によると、チコってやつは大親方と血が繋がっていないらしいからね、こりゃ追放説が濃厚だよね。あ、私は今回の事件を機に、王都でいい仕事が出来ないかなってことでついて行くんだ。新たな英雄だからね、腕がなるよねー」

「⋯⋯」


「ねぇ、聞いてる?」

 ケージの外からジト目で睨んでくるのは、僕を助けてくれた恩人、ヘルガだ。

「え、ああ、聞いてるよ⋯⋯」

 急に訪れたと思えば怒涛のお喋りが始まり、アンリは圧倒されていた。

「アンリだっけ?」

「あ、そうです⋯⋯」

「よろしくね、私はヘルガ。グストラフ狩猟団のメンバーよ。あ、メンバーだったが、正しいね」

 やっと自己紹介だ。それまでが長かった。

「よ、よろしく⋯⋯」

 アンリは渾身の苦笑いを披露した。

「ありがとうね、助けてくれて。あの時力を貸してくれなかったら今頃私は死んでた。サーペントから生き延びても、きっとオーレンの人に刺し殺されてたわ」

 ヘルガは屈託のない笑顔のままそう言った。

「そんな、感謝を言うのはこっちだよ。僕が生き延びたのは君のおかげだ」

 アンリがそう言うと、ヘルガは首を横に振った。

「助けてくれたのはエミリオさんよ。あの人、最初からあなたの処刑を反対していたみたい。最後に大親方を説得したのは彼だって」

「あの人が僕を生かしたのは、僕に軍事転用の価値があるかもしれないって考えたからだよ。君みたいな、純粋な善意じゃない」

「悲しいこと言うのね。そんなの噂でしょ」

「ううん、この前本人に言われた」

 その言葉に驚いたのか、ヘルガは肩透かしを食らったように口を開けた。少しの沈黙のあと、アンリはふと疑問に思ったことを尋ねた。

「どうしてこの荷馬車の場所がわかったの? 僕がここにいることは極秘事項だってエミリオさんが――」

「エミリオさんが教えてくれたよ? 私はあなたと接触済みだから、隠す意味は無いってさ」

 極秘とは何なのだろうか。アンリはエミリオがつくづく分からなかった。


「王都、楽しみね」

 ヘルガは王都のある南の空を見上げた。アンリはその時、ヘルガの顔が少しだけ陰るのを感じた。

「不安だよ。今はとにかく何も分からないから」

「そう、本当に何も覚えてないの?」

「うん……」

「それは可哀想ね。早くなにか思い出せたらいいけど」

「君は不安じゃないの? 生まれ故郷を離れるんでしょ?」

 アンリの問いかけに、ヘルガはしばらく沈黙した。その沈黙が意味するのはいったい何なのか、アンリには分からなかった。

「私、家族が居なくなったの。唯一の家族はドラゴン討伐のときに亡くしてしまった。帰る場所がないのよ」

 そう言うヘルガはなぜか笑っていた。

「僕と同じだ。帰る場所がない、……僕の場合は分からないだけど」

「そうね。王都でお互い何かが変わればいいわね」

 そう言って、ヘルガはアンリの目を見つめた。その目はとてもとても澄んでいて、アンリの心の不安を少し和らげてくれたようだった。


 咳払いが聞こえたのは、その直後だった。

 見ると、大ナイフを担いだチコが近くの荷台の上に腰掛けている。

「いい所すまんな。お届け物だ」

 チコはヘルガに大ナイフを差し出した。それは亡き英雄クラムが愛用していた、あのドラゴンにトドメを刺した大ナイフだった。

「どうしてあなたが?」

 ヘルガはそそくさとそれを受け取ると、大事そうに抱えた。彼女にとってそれは家族の形見も同然だった。

「こいつの所有者は身寄りが無かったから、造り手である俺のところに回ってきた」

 チコは興味が無さそうに喋った。

「――どうして私に?」

 ヘルガは眉をひそめて言った。

「唯一の家族って言ってたじゃないか。要らないのか?」

 チコが返すように手を出すと、ヘルガは大ナイフを離さまいと身を引いた。傍から見てもわかるほどに、ヘルガはチコを警戒しているようだった。

「そうだ、俺は追放されるんじゃないぞ。根も葉もない噂を言うのはやめるんだな」

 チコはヘルガの態度が気に食わなかったのか、少し苛立ったような表情を見せた。

「聴いていたの?」

「随分初めから聴いてたさ」

「なにそれ。趣味悪い」

 ヘルガがチコを警戒する視線は、だんだんと嫌悪の色を帯びてきていた。

「お前の話を聴いていたんじゃない」

 そう言うと、チコはアンリの方を向いた。

「こいつの話が聞きたかったんだ。たかが数日間とはいえ一緒に王都へ向かうからには、素性を少しでも知っておきたい。まぁ、なーんにも得られなかったけどな」

 アンリは急に睨まれてドキリとした。その目はエミリオやヘルガとは違い、疑いや嫌悪の色が込められていた。

「どうしてあなたはこの場所を知らされたの?」

 ヘルガの問いかけに、チコは答えようとしなかった。

 アンリは二人の険悪な雰囲気が嫌になり、どうにか間に入って和ませれないかと思案した。

「チコ、君はどうして王都に行くの?」

 アンリは割って入るように言った。チコはアンリを観察するようにじっと見つめると、少し間を置いて答えた。

「大親方の代わりに王都にいく。それだけだ」

「代わりに王都に行って何をするの?」

「なんで気になる? ドラゴンに伝えるのか?」

 アンリを全く信用していないが故の言葉だった。アンリはチコの鋭い目付きに悲しみと怒りを感じた。罪を犯していないにも関わらず牢に入れられ、手も足も出せない人間に何をそんなに警戒する必要があるのか、アンリにはこれっぽっちも理解できない。

「ドラゴンに伝えられるのが怖いの? もしそうなら、きっと君はドラゴンにとって困ることをするために王都に行くんだ。例えば、その自作のナイフを王都で作るとか、その技術を広めるとか」

 アンリが突然冷静に言葉を放ったことに、チコとヘルガは驚いた表情を浮かべた。

「こんな檻の中にいて、ドラゴンに何かを伝えるなんて出来るわけ無ないでしょ? ただ見た目がおかしいからって、そんなに警戒したり冷たくしなくたっていいじゃないか」

 そう言うと、アンリは身を隠すようにケージの奥へと移動した。ケージを囲う布の影で荒くなった呼吸を整えようと深呼吸をする。自分自身が何者か分からないというのに、周囲から理不尽な敵意を向けられるのはとても耐え難かった。なんとか怒りを抑えようと固く握りしめた手は汗に塗れていた。

「お前はドラゴンを操ったんだ。そんなやつを信頼するなんて相当危機感の無いアホだけだ」

 今はもうこれ以上聴きたくないと、アンリは耳を塞いだ。しかし、チコの冷めた声は耳を塞いでも届いてきた。だがそれは、少し意外な言葉だった。

「俺はアホなんだ。少しの無礼は許してくれ。それに、王都へ行く理由はお前の言った通りだ。お前がドラゴンを殺すのに協力してくれることを願ってるよ」

 そう言い残すと、チコはこの場を去っていった。


「あいつ、やっぱり嫌な奴ね。一緒に王都へ行くなんて反吐が出るわ」

 ヘルガはあいかわらず、チコを警戒している様子だ。アンリはというと、少しだけ気が落ち着き始めていた。

「私はアホじゃないけどあなたを信頼してる、だから気に病まないで」

 アンリの様子を気にかけたヘルガが、そう言葉をかける。

「最悪だわ、クラムのナイフがあいつの作品だなんて。いや、別にこのナイフが嫌なんじゃなくて、あいつがドラゴン討伐に間接的に貢献してるってところが腹立たしいのよね」

 文句をぶつくさいいながら、クラムの大ナイフを隅々まで観察している様子を、アンリはケージの隙間からぼんやりと眺めた。



 ふと、不思議な感覚が流れる。

 その大ナイフを見たことがあるような気がする。特徴的な黒い色、滑らかな曲線と不必要に付けられた装飾。刀身が炎の光を反射し、一瞬目が眩んだ記憶――。

 大ナイフを振るう男の顔が頭に浮かんだ。

 それが誰か、アンリは何となく分かった気がした。


 ――本当に僕はドラゴンと共に現れたんだ。僕はドラゴン討伐の時、あの場所にいた。


 一体何のためにそこにいたのか、それはさっぱり分からない。

 アンリはその記憶を、口に出そうとは思わなかった。

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