第2話 英雄の誕生


 今回の討伐任務を引き受けたのは、セルカ村に常駐する狩猟団、名をグストラフ狩猟団といった。王国ギルドにも所属する五十名ほどの組織であるが、普段は自給のための狩りをしている、いわゆる自警団のようなものだった。


 討伐依頼は、早馬に乗った一人の兵士が伝えに来た。

 兵士曰く、近場の村に向かって一体の小型ドラゴンが飛来している。その村に到着する前に、仕留めるか、せめて足留めをして欲しいとのこと。


 田舎の小規模な狩猟団がゆえに決して武具や人材には優れていなかったが、この地域のことを理解していること、破格の報酬が支払われるということ、そして人々を脅威から守らなければという強い正義感から、この任務を引き受けることにしたのだった。


 当初の作戦はこうだった。

 垂直にそり立つ崖に挟まれた谷底に対象をおびき寄せ、捕獲ネットを被せる。落石や投石器を用いてダメージを与え、弱ったところに矢を放つ。これなら、時間はかかれど討伐することが出来ただろう。


 だが、大型のドラゴンとなれば全く別の話だ。

 捕獲ネットはたいして機能しないし、まともに近寄ることさえかなわない。移動式の投石器も、相手を挑発するくらいにしか役に立たなかった。

 それに、大型のドラゴンともなると、その知能は人間よりも高いと噂されるほど賢く、簡単な陽動や騙しは一切効かなかった。

 さらには天気にも恵まれず、土砂降りの中での任務となった。雨に濡れた岩壁はよく滑り、重くなった矢は狙いから大きくそれてしまう。


 そもそも、小型のドラゴンでさえ何とか倒せるかどうかといったところなのに、大型のドラゴンを人間がどうこうしようだの、甚だ考えられるものでは無かった。


 そんな絶望的な状況の中、なんとかドラゴンに捕獲ネットを被せることが出来た狩猟団だったが、その圧倒的な力を前に、何も出来ずに立ち尽くすしかなかったのだった。








 クラムが龍の首筋に大ナイフを突き立てたその時、戦況は一変した。


 深々と大ナイフを振り下ろすと、ナイフは三十センチほど突き刺さった。


 すると、ドラゴンは狂ったように叫びだしたのだ。


 その巨大な口をがっぽり開けて、張り裂けんばかりの雄叫び、そして、断末魔のような金切り声。


 ――なぜ?


 その場にいた全ての人が思ったことだろう。


 人は蛇に噛まれた時、悲鳴は上げても泣き叫ぶほどではないはずた。そんな程度の攻撃にも関わらず、ドラゴンの悲鳴は止まらなかった。


 翼を振り上げ、地面から飛び立つ。

 空中でもがく様に暴れると、地面に落ちるように戻ってきては、地上を暴れ回った。


 ――クラムは無事なの?!


 ヘルガは必死にクラムの姿を確認しようとしたが、背の上の様子はよく見えない。

 ドラゴンの放った火は徐々に消えかけており、当たりは再び薄暗くなっていた。


「何が起きてる!!」


 どこからか、空に向かって叫ぶ声がした。


「クラムだ! 大ナイフを奴に突き立ててるぞ!」


 他の兵士がそう呼応した。


「ほんとか! 信じられない!」


「これはなんなんだ? 奴は苦しんでいるのか?」


 森のあちこちから驚きの声が湧き上がった。そして、徐々にそれは歓声へと変わっていった。


 こんなにもこの森に人がいたのか、こんなに大勢で戦っていたのかと、ヘルガは不思議な気分だった。


 だが、ヘルガの心は不安でいっぱいだった。

 あんなちっぽけな反撃で、ドラゴンが苦しむはずがない。

 きっとクラムは、ヘルガから注意をそらすためにやっただけだ。それが致命傷になる訳がないのだ。


 ヘルガがあれこれと思案するあいだも、ドラゴンはもがき続けた。


 少しすると、ドラゴンはもがきながらも移動し始めた。村から離れる方向に、木々の少ない岩肌を目指して進み出した。


 ヘルガは、ドラゴンの下を追いかけるように走った。


 少し走ると森を抜け、荒れ果てた大地が顔を出した。更に進めば、そこは完全に岩だらけの丘陵だ。


 ヘルガは、必死に追いかけた。心臓が破裂しそうなくらい、体の限界を感じながら走った。


 グアアアア!!


 突如ドラゴンが、一際大きな叫び声を上げた。空高い位置で発せられた轟音は、地面を、ヘルガの身体を震わせた。


 すると、突如ドラゴンは動きを止め、丘の向こう側へと落ちていくではないか。


「クラム!!!」


 ヘルガは叫んだ。

 あの高さから落ちたなら、きっと生きては戻れない。


「待って、やめて、お願い!」

 頭の中を、嫌な思いがぐるぐると駆け巡った。目には涙で溢れていた。胸は鼓動で張り裂けそうだった。


「お願いだから!」


 ヘルガは泣き叫びながら走り続けた。

 一刻も早く、クラムの安否を確認するために、落下地点まで決して足を止めなかった。






 ヘルガがドラゴンの落下地点に辿り着いた時には、雨はもう収まり始めていた。

 雲の隙間から太陽が僅かに顔を出し、雨に濡れた岩壁を輝かせた。


 ずっと止まらずに走っていたため、ヘルガの足は疲労で震えていた。

 やっとの思いでドラゴンの元へ辿り着くと、荒れた呼吸にえづきながら、その場に倒れ込んだ。


 目の前には、横たわる大きなドラゴンの死体。完全に息絶えているようだった。


 這いつくばった体を何とか起こし、ヘルガはクラムを探す。


 見当たらない⋯⋯。


 龍の下敷きになっているのだろうか。

 もっとしっかり探そうと、震える足腰を奮い立たせる。



 よくよく探すと、龍の背のあたりに血みどろになった人らしき姿があった。

 その血まみれた様子に、ヘルガの心臓は破裂しそうなほどに脈打った。


 ヘルガは恐る恐る近づき、その人物に手を触れた。



 ――生きてる!



 確かに、体温と鼓動を感じた。

 不安が、一瞬で希望へと変わる。早まる気持ちを抑えながら、ヘルガはその人物の体を龍から離し、顔を覗いた。


 そして、違和感を覚える。


 ――クラムじゃない⋯⋯?


 背丈、体つき、肌の色、髪の長さ。全てがクラムと異なっていた。


 ――なんで⋯⋯? クラムは⋯⋯?


 目の前の人物は何なのか、突然の事態に困惑した。


「クラムは無事か!!」


 遅れて駆けつけた兵士が、ヘルガに声をかけた。

 ヘルガは、混乱する頭を奮い立たせ、何とか返事を返す。


「クラム、じゃない、知らない、人間……。でも、生きてる⋯⋯!」


 自分でも何を言っているのか分からなかった。

 クラムを追ってきたはずなのに、何故か違う人間が龍の背にいる。


 不可解でならなかった。


 混乱する頭、疲弊しきった体、跳ね上がる鼓動と限界を超えた呼吸に、その場でヘルガの意識は遠のいていった。







 再びヘルガが目を覚ましたのは、最寄りの村、オーレンだった。

 ヘルガが目を覚ましたことで、周囲の人間が騒ぎ出す。


 ――ああ、気絶していたのか。


 ランプオイルと土臭い匂いに、ヘルガは顔をしかめた。

 ヘルガは酷く痛む頭を持ち上げて、周りの様子を確認した。


 薄暗い部屋の中に、たくさんのベッドが設置されている。

 周囲には、ヘルガの目覚めに慌ただしくなる女性が数人いた。


 ここは医務室なのだろう、そう判断した時、王都の正装に身を包んだ男が入室してきた。


「ヘルガだな。目覚めたばかりで申し訳ないが、我々の隊長から伝言を預かっている」


 王都ビットリアの兵士だろうか。ヘルガの様子をあまり気にすること無く、機械的に喋りかけてきた。ヘルガは身体を起こすと、どうぞご勝手にと手を振った。


「えぇと、――ゴホン。貴殿の所属する狩猟団、グストラフによる先のドラゴン討伐は、誠に偉大なるものだ。人類史に残るその功績に、最高の栄誉、報酬を与えるとともに、ここに感謝の意を表明する」


 兵士は、決まり文句のような文言を、真顔でスラスラと述べた。


「貴殿の秀でた狩猟技術に加え、未だ人類が成し遂げたことの無い少人数による大型ドラゴンの討伐という経験は、今後の対龍戦闘ひいては王国の発展に多大な恩恵をもたらすと確信している。どうか、我が国の繁栄の更なる糧となるべく、先のドラゴン討伐任務に関する諸々の調査への協力をお願いしたい」


 病床にいる人間によくもこんな淡白な対応ができるなと、ヘルガは感心した。


「そして、もうひとつ。あぁ、……残念な知らせがある」

 一変して、その兵士は言葉を詰まらせ、酷く哀しい表情を見せた。


 目の前が真っ暗になったようだった。たった一言を聞いた瞬間、ヘルガの魂はどこかへ行ってしまったようだった。


 クラムは、ヘルガの最愛の人物だ。師匠であり、兄妹であり、親だった。常に彼の後ろを歩いてきた。彼が居ない夜は一晩も無かった。


「あぁ、ええと……。そうだな、これは、君が聞きたい時に伝えよう。落ち着いて、聞く準備が出来たら教えてくれ」


 少し悩んだ後、兵士は言葉を選びながらゆっくりと告げた。

 その語り口は、今までの淡々とした声とは全く違う、深い慈悲を感じるものだった。


 ――もう、答えを言っているじゃないか⋯⋯。


 ヘルガの下瞼から、大粒の涙が頬をつたった。

 不思議と心は落ち着いていた。向き合う覚悟は出来ていた。


「⋯⋯いまだ」


 ヘルガは、立ち去ろうとする兵士にそう声をかけた。


「頼む、今全てを話してくれ」


 そう語りかけるヘルガの目には、迷いは一切なかった。

 ただ、目の前の悲しみから目を背けまいと、必死に涙をこらえる少女の姿がそこにあった。

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