唯一の血路と最後の希望

『エウテリア文明世界よ!私は今日この日この場所において 、《緑輝月クヴィティエン3日統治法典》及び共和国の主権者たる全国民の名の下に宣言する!』

『我らを奴隷化せんと目論む悪逆の専制者に対する聖戦、そして自由にして独立した“静穏なる共和国”の新生を成し遂げるのだ!』

『主の正義は必ずや、光輝ある我らの銀鷲を祝福するであろう!共和国よ、永遠なれニェークズィエ・ジェシュポスポリツァ!』

── “国民大元帥ヘトマン・ナロードヴィ”タデウシュ・アンドレイ・バナヴァントゥーラ・コシュフェンスキ(1396~1467)


(世界紀元1444年[独立前暦126年] 3月24日 フォルスカ=レトヴァニア共同君主共和国領クラーク市にて)

 






*****

 




 

 開戦からおよそ50日。2度目の“奇跡”は起きなかった。

 

 今や国土の9割が失われ、分割は無慈悲に進行している。



 

​─────10万の将兵が帰らぬ人となった。


​─────15万の市民が理不尽に殺戮された。


​─────50万の将兵が囚われの身となった。



 

 首都ヴァルシャヴァも、古都クラークも、大軍港グダスネクも、工業都市ウーツェも、商業都市ポスニャンも、国際都市ヴィーノスも、要塞都市ブレフスクも、全てがジェルムの掌中に渡り彼らの軍旗がたなびいている。


 まさしく、この国は完全なる滅亡の途上にあると言えよう。





 

 だがそれでも、残る国土に赤と白の国旗を立て続け、“彼ら”は抵抗を続けている。






*****






独立暦K.N.F.21年金照月シェルパーナ19日深夜 フォルスカ自由国南東部・レヴィーフ県 臨時首都レヴィーフ市】


 灯火管制と夜間外出禁止令が、フォルスカ第3の都市であるここ、レヴィーフ市を暗い闇の色に染め上げていた。

 かつての内戦において、凄惨な市街戦が起こった激戦地として世界に名を馳せたこの都市は、今再び戦火に飲まれようとしている。




 そんな深い黒の帳に覆われた中、唯一微かな光を放つ建物が中心部に立っていた。

 フォルスカ国軍最高総司令部NKG-WF──敗戦を続けるこの状況でもなお、超人的な努力でその機能を保っている軍の頭脳である。


 いわば、抵抗の象徴であるこの建物の入口。かつては高級ホテルだったその場所に相応しい絢爛な装飾が為された門の前へと、近づく軍用車が一台あった。

 




「旅団長閣下に、敬礼!」

 出迎えの士官の号令とともに、衛兵たちが一糸乱れぬ態勢で二指を伸ばす。


 その敬礼に同じく鮮やかな二指の敬礼を返すと、旅団長──そう呼ばれた女は車から降り立った。



 

 騎兵外套ペリースを翻し、耳にかかる薄金色プラチナブロンドの髪を掻き上げる。

 その動作自体が優美であり、見る者を魅了する輝きを放つ。

 大理石のような美しい肌、そしてそこに彫り込まれた古代の彫刻のような端麗な顔は、一児の母であり30代半ばに差し掛かった彼女が、まるで不老であるかのような錯覚を引き起こすほどだ。



 

 彼女のもとに士官が近づき、形式通りの応答を始めた。

「第10独立騎兵旅団長の、エルヴィラ・メイティカ大佐ですね。」

「ああ、その通りだ。出迎えご苦労。」

 深夜でも働く勤勉な者への賞賛が彼女の声に込められていた。

 

「……確認いたしました。ご案内いたします。」

「少しいいかな。すまないが、事前に申告していた副官以外にも部下がもう一名同行している。会議への参加はしないが、道すがら前線からの報告を彼女から聞くつもりなのだ。中尉、許可が下りるか尋ねてくれ。」

 しばらく考え込んでいたが、彼は依頼を了承した。

「分かりました、何とか掛け合ってみます。今戦争屈指の英雄の頼みですし、恐らく大丈夫だとは思いますが。」

「そう言われるといささか照れ臭いな。頼む。」

「はっ!ではしばらくお待ちください。」




 数分後、中尉は急ぎ足で戻ってきた。

「許可が下りました。機密保持のため同行は地上階までですが……」

 依頼を十全に達成できなかったことに対し、彼はいささか落胆しているようだ。


 メイティカは彼を励ますように声をかけた。

「いや、私の勝手な願いを聞いてくれたのだ、こちらとしては頭が下がる思いだよ。感謝する。」

「とんでもありません!閣下のお役に立てたこと、光栄の極みです!」

 彼は背筋を伸ばし、バネが戻るような勢いで敬礼をした。メイティカも返礼する。

 

「それでは……あっ、申告されていない部下の方の官姓名を聞いておりませんでした。よろしいでしょうか。」

 中尉はポケットにしまったばかりのペンを慌てて取り出して尋ねた。

「分かった。少佐。」

「はっ!」

 

 メイティカの後ろに控えていた2名の士官のうち、1名が前に出て申告する。

「第10独立騎兵旅団麾下、第81機動偵察戦術群司令のクヴェールネ・シフィエンナ少佐だ。よろしく頼む。」

「分かりました。それでは皆様、どうぞこちらへ。小官についてきてください。」

 書類に書き込みを終えると、中尉は3人を建物の内に案内し始めた。




 やや興奮気味に前を歩く案内役をよそに、メイティカとシフィエンナは話しながら、旅団長副官のイェルザルシュ大尉は歩きながらできるような事務をしながら、それぞれ彼の後ろをゆっくりと進んでいる。



 

「それで少佐、最前線はどうだった?率直な感想を聞かせてほしい。」

「……では単刀直入に。彼我の戦力差の大なるため、単純な防御戦闘自体が限界を迎えつつあります。『ロムンディア橋頭堡計画』は、もはや破局寸前です。」

「……手厳しいな。」


 少佐の声が一段と張り詰める。

「いくら我らの旅団が機動力に富むとはいえ、にも限界があります。昨日は幸運にも小さな穴であり第二線で止めることができましたが、下手をすれば正面突破を許していました。」

 

 メイティカは冷静に反駁する。

「しかし、戦略予備とはそういうものだ。この国唯一の旅団規模機械化部隊を、ただ前線に貼り付けてどうする。」

「旅団長閣下!お言葉ですが、今この状況に至っては我々が前線に四六時中いなければ、レヴィーフ軍はもはや保ちません!常設師団ですら満身創痍、それ以外の部隊はただの木偶の坊です!」

 少佐は立ち止まってやや声を荒げた。

 彼女の小麦色の眼から放たれる鋭い視線がメイティカに注がれる。

 

「……援軍要請をよこしてきたのは確か、第35予備歩兵師団だったな。いくら戦時編成師団とはいえ、そこまで酷いのか。」

「はい、残念ながら。向こうからすれば威力偵察程度であろう第二撃で1個小隊がほぼ殲滅されています。もっとも、小官が派遣した装甲部隊に撃退されて以降には手を出してきませんでしたが。」




「オーリック少尉の部隊か?」

「はい。第71独立機甲偵察中隊であります。」

メイティカが挙げたのは『フォルスカ最高の戦車乗り』とまで謳われる若きエースの名である。

従軍当初は予備士官候補生という微妙な立ち位置の階級でありながら、今や戦術指揮官としても辣腕を振るう彼をメイティカはこの上なく重宝していた。


「まさしく八面六臂の活躍だな。実に良い拾い物をした。アレが現代戦の何たるかをまるで分かってない年寄りどもに潰されないで本当に幸運だったとしか言えんな。」

「我々生え抜きの騎兵科の人間からすると、悔しいところもありますがね。」

シフィエンナは手を広げて大袈裟な身振りをし、ややわざとらしく不満を表明した。彼女もまた生粋の騎兵将校であるが故に、“民間人から現れた天才オーリック”を不安視している人物の一人である。

「そう言いつつ巧みに使ってくれているのは紛れもなく貴官の慧眼、そして功績だよ。……何より独立中隊は細かいから補給が少なくて済むのは良い事だ。大は小を兼ねる、それは十分に分かっているが、だからと言って大を軽率に使えないのは悩ましい限りだ。」

第10独立騎兵旅団には他にも幾つかのより大きな規模の機甲戦力があるが、シフィエンナの部隊より柔軟にかつ手軽に運用できる部隊は無い。

物資の欠乏は最も強力に、名将と言うべき領域に至った女をも蝕んでいた。




 そう言い終わるとため息をついたメイティカであったが、やがて軍帽を外し頭を掻いてぼやいた。

「はぁ……それにしても、やはり兵数だけ取り繕っても不利は如何ともし難いか。今では最前線の正規軍にも男女問わず少年兵がいる有様だ。おまけにあらゆる物が不足していると来た。」

 

 悲壮な顔で少佐は未来予想を口にする。

「今回はせいぜいが中隊規模の戦域で収まるようなほんの小さな戦闘ですが、状況自体は南部戦線のどこにでもありふれています。現在の段階ではまだ危うい拮抗が保たれていますが、恐らく帝国がヴァルシャヴァ方面からの兵力転用を終え、全面攻撃をかけてきたら……」

「万事休す、という訳か。」

「はい。」

 肯定するシフィエンナの表情は、苦虫をダース単位で噛み潰したようであった。



 

「それにも関わらず、一昨日、モスニツキ大統領は『一切の和平交渉を拒絶する』と宣言しました。……小官には不可解です。もはや勝算など無いというのに……」

「それは一理あるが、だからといって『降伏した。そのお陰でフォルスカは滅びずに済んだ。めでたしめでたし。』とは絶対になるまい。今のジェルムは……統一民族党政権の奴らは……狂っている。貴官もこれまで目耳に収めてきただろう、奴らが我らフォルスカに行っている蛮行を。この現代であそこまで堂々と人道に背く戦争をやってくるとは、流石に読めなかったよ。」

「しかしこのままでは!将来の反抗の牙すらも、ジリジリと折られ続けるだけです……!」





 暫しの間、二人に沈黙が流れる。





 

 一行の歩みが少し早くなった。

 綺羅びやかなシャンデリアからの光が彼女らの姿を映している。




 

 この空気の中、ずば抜けた長身をした副官が立ち止まって二人を見た。

「小官はためにこそ、“清浄派サナッチャ”の高官ではなく、ただの前線指揮官に過ぎない閣下を、たとえ正式出席者でなくともこの会議に呼んでいるのではと思いますが……」 

 出し抜けな発言に二人はそろって驚いた。


 そしてメイティカはあることを悟った。

 突飛な発想だ。しかし、辻褄は合ってしまう。


「大尉、貴官は何を言って…」

 メイティカは彼女を制止して言い放った。

「ハハ……ハハハッ!いやよく言ったイェルザルシュ!貴官のおかげで全てが腑に落ちた!少佐、私としたことが少々目前の状況に縛られすぎたようだ!」


 

 一行は大広間を抜け、地下階へ至る通路へと入ったところで完全に足を止めた。



  

「閣下…?」

 しばらく間を置き、メイティカは軍帽を外して軽く回しながら、あえてシフィエンナを突き放すように言った。

「シフィエンナ少佐。貴官の言う通り、もはや我が軍は崩壊寸前だ。『チェックがかかっている』と表現しても良い。」

 そう言われた彼女はメイティカの言葉を遮って反論しようとする。

「それならば……!」



 

 しかしメイティカはそれを退け、冷徹な口調で断言する。

「だが“チェックメイト”が起きることはない。要は、、それは我々の勝利なのだ。」



 

 シフィエンナも理解してしまった。

 これから自らがなさねばならぬ使命を。

 祖国の歩む茨の道を。

「ま、まさか……いや、そんな……く、狂っている……狂っています!祖国の地を……未だ国内に残る3000万人の国民を、一体何だと思っているのですか!」

 それ故に彼女は叫んだ。彼女の良識が断末魔を上げているのかもしれなかった。柘榴石ガーネットの色をした文字通りの赤髪を震わせながら、その顔には苦悩が滲んでいる。


 だがメイティカはそれを敢えて打ち砕く。

「確かにこれから我らが成す行動は狂っていると表現して良い。だが、全くの正気だろうさ。モスニツキ大統領も。シミーキヴィ元帥も。最高総司令部の参謀達も。フォルスカ、ジェルム双方にその条件を満たす兆候はあった。歴史を紐解けば、前例だってある。かつて我らの祖も成そうとしたことだ。」


 それまで黙っていた大尉が口を挟む。

「……130年前のラナプリオーネ戦争時代、かのダンクロフスキ元帥が率いた《グリテーア=フォルスカ軍団》のように、という訳ですか。」

「そうだとも。最悪の展開は、我らが最後の一兵に至るまでこの僅かな土地を守るために戦って戦って戦い抜いて、そして無為に死に絶えてしまうことだ。そうなれば全てが終わってしまう。」

 

 メイティカは一息ついて言葉を続ける。

 

「我々は断じて!断じて、ヴォルフ・グルーヴァーに!全フォルスカ人を憎む独裁者に!この共和国そのものを消し去ろうとする圧制者に!我らは決して、屈してはならない。抵抗し続けなければならないのだ……!」

 最後はもはや、悲壮なまでの、ただただ一途な叫びとなっていた。









 

 

 クヴェールネ・ダヌート・アザレフスカヤ=シフィエンナは、体を震わせていた。

 

 ヘンリク・マクシミリアン・イェルザルシュは、改めて息を飲んだ。

 

 そして、エルヴィラ・マリア・カジミェーヴナ・メイティカもまた、重責に怯えていた。













 

『一時とはいえ祖国を捨て去り、異国の地で国軍を再建し、そして敵を打ち砕いて最終的な勝利を収めるまでひたすらに戦い続ける。』


 これほど重い覚悟が必要な計画があっただろうか?





 これほどの悲壮な献身があっただろうか?



 

 

 そしてこれほど、果てしなく困難な道のりがあっただろうか?







 答える者はいない。


 今ある術は、藁にもすがることのみ。


 それ程までに、盤面は“詰んでいる”のだ。

 







 メイティカは、大会議室の扉の前ですっかり待たせてしまっている中尉に合図すると、こう結論を締めくくった。

「……狂気に勝つのは、いつだってそれ以上の狂気だけだ。」




 

 入室できない二人と別れ、メイティカは最後の直線を歩みだした。

 



(そうだ、勝つのだ。勝たなければ。勝たなければ何も守れない。自由も、祖国も、故郷も、愛しい家族すらも。)


 そして、幼い娘の笑顔が頭をよぎる。


「エラ、お母さんが必ず貴女を護ってあげるからね。」



 

 メイティカは自らに言い聞かせるように、勝利への決意を反芻する。

 最後の言葉は自然と口から出ていた。

 




 それを言い終わるのと同じタイミングで、大会議室目的地への扉はゆっくりと開かれていき、メイティカはそこへ入室した。






【大会議室】


 メイティカが入室したのを見た瞬間、未だ全員揃わずまばらな座席から立ち上がる者が一人いた。

 

 その肩には将官を表す大きな星が一つ輝き、胸には名誉ある知性の信徒──参謀将校であることを表す徽章が見えている。

 失明した左目を黒革の眼帯で覆い、40代半ばを迎えたその男のいかにも軍人らしい顔つきからは、精悍さが強く感じられる。一方で残った右目から発せられる鋭い輝きは、まるで象牙の塔に籠る学者のような聡明さを感じさせ、それらの要素が不思議な割合で共存し、彼に相対する者に独特な印象を与えていた。


 

 

 その男──《国軍最高総司令部参謀本部SNKG-WF作戦第一部部長兼第二参謀本部次長、スターニス・コパルニク准将は、彼女の元に駆け寄るとに握手を求めた。

「大佐、この状況でよく来てくれた。」

 二人は堅い握手を交わす。

 

「いえ、とんでもありません。最高司令官命令ですから。それにしても開戦の日以来ですか。閣下もご壮健で何よりです。」

 メイティカは敬礼するとそう答えた。

「すまん、感謝する。ふっ、お詫びにブクレシュティの良い店を紹介しよう。」

「ありがとうございます、御馳走になりますね。それにしても、“ブクレシュティロムンディア王国首都”ですか……やはり、軍首脳は『国外脱出による継戦』を選んだのですね。」

 感心したかのようにコパルニクは笑う。

「流石だな。今回の会議の議題はまさにソレだ。よく気づいたな。」

「いえ、優秀な部下のお陰です。」

「まあ確かに、優秀と断言していいだろうな。……ったく、あの時はお前が各地から自分の旅団に根こそぎ有望株を持っていくもんだから、装甲兵器総監部やら騎兵総監部の連中がまあうるさいのなんの。こっちは突き上げで本当に大変な目に遭ったんだぞ。幕僚総局どころか軍全体が二つに割れる所だったわ!」

「いやはや、本当に懐かしいですね。もう2年ですか。」

「ああ。まさか、まだあの時はこんな状態になるだなんて想像もしなかった。例の論文をこれほど早く実証することになったのもな。」




 


*****


 



 

『機械化機動部隊による即応作戦集団構想』──この革新的な論文が、平時における軍首脳部である《国軍監察総監部幕僚総局BSG-NISZ》へ直接投書という掟破りの方法で提出されたのは、現在より遡ること約2年前。国際情勢が一気に緊張を増し、大衆にも戦火の迫る音が聞こえてきた時期のことである。


[馬を自動車に、サーベルを機関銃に!]

[復活の時は来たれり!戦車こそが現代の有翼騎兵フサーリアとなる!]

[砲兵諸君!足を借りるな、持て!]

 

 これだけを抜き出せば檄文のようなセンセーショナルな言葉の数々と、本文の緻密な分析と考察はたちまち読む者を魅了していった。

  

 そして導き出している結論が、『フォルスカ地上軍に存在する全騎兵部隊の再編とそれらの漸進的な完全機械化』である。



  

 フォルスカ地上軍の戦闘教義ドクトリンは建国以来の戦訓から、当時のエウテリア大陸諸国の中では珍しい機動力重視の内容だった。5個の常設騎兵師団に加え、10個の常設歩兵師団の隷下全てに騎兵連隊を編成するといった具合の常備軍内の極端な騎兵偏重である。

 しかし当時の幕僚総局内でも歩兵騎兵間の連携機動や火力不足についての危機感が燻る中、論文内ではその機動力重視志向は高く評価しつつも、現在の編制と機械化の遅れを痛烈なまでに批判。


 編制面においては、戦略単位での兵科分離編制、常設騎兵師団の解散、そして戦時総司令部にのみ従属し独自行動権を付与された《独立騎兵旅団オズィエールナ・ブリガダ・カヴァレリ》制度の導入とそれへの改編を提唱した。

 また、編制改革の次の段階であり完全機械化のための第一歩として、馬の使用を全て廃止した《機械化騎兵ズィメルカニズヴァ・カヴァレリ》と、馬の仕様は継続しつつも火力を増強し未整地地帯の運用に特化した《近代化騎兵ズィムデルネズヴァ・カヴァレリ》へと二分させ整備することを主張。

 一例としてこれらを2:3の比率で整備し全20個の独立騎兵旅団を設置すべきと論文内で語っている。

 

 その論文は、軍内部に激論を起こしつつも、来る大戦に備え列強諸国が様々なコンセプトで軍の機械化を進めているという時流に上手く乗ることができた。

自動車があまり普及していないため道路網が整備されておらず、また列強には届かない工業力・技術力しかないフォルスカにとって、端的に言えばものであったからだ。

 論文の著者に軍需省での勤務経験があり、自動車類の調達についても案をいくつか示していたことも大きい。


 この他にも、《独立騎兵旅団》構想自体へのシミーキヴィ元帥の個人的好感や、『大戦が迫る時に派閥抗争に拘泥している場合ではない』と相次いで抜擢されたコパルニク将軍ら国軍内の非 《清浄派サナッチャ》の高官の影響がさらに追い風となったのは疑いない。

 

 論文発表からおよそ一年と少し後、急ピッチで軍制改革と戦争計画の作成が行われている最中に、《機械化騎兵旅団》のモデルケースとして第10独立騎兵旅団は編成された。

 誰にとっても期待以上の仕上がりであったが、惜しむらくはこれだけしか開戦に間に合わなかったことだろう。




 結局論文に描かれた構想は編制改革のみ完遂、と中途半端に実現したまま運命の日を迎えることになる。



 

 そしてこの論文の筆者こそが、自らの手腕を以てそれを実証し続ける第10独立騎兵旅団初代旅団長──エルヴィラ・マリア・カジミェーヴナ・メイティカ大佐なのである。

 



 


***** 





 

「フフフ、参謀本部のナンバースリー殿が庇ってくれなかったら、ウチの旅団は結成した瞬間瓦解してましたね。感謝してもしきれません。」

「……本当に、貴官は食えない女だな。」

「お褒めに預かり光栄です。」

 

 そう言われると、コパルニクは笑いながら懐から煙草を取り出し、やがて火をつけた。

「吸うか?もはや前線では高級将校にすら嗜好品が十分に行き渡ってないと聞くが。」

 もう一本ケースから取り出して尋ねる。

「その通りですが、遠慮しておきます。娘に会った時怒られてしまいますから。夫共々、禁煙生活がもうすぐ3年目ですよ。」

 メイティカはやや大げさな身振りをして申し出を断った。

 

「ハッハッハ、お姫様のご養育は大変ですな。殿。」

「いつの話をしているんですか、准将。……それに当主位はゲオルク義弟が継ぎました。私はもう、この国にはざらにいる旧貴族出身という属性を持った一人の将校でしかありません。」

「ふむ、そうなのか。やはり俺にはそういうことは分からん。血族だの爵位だの所領だの、相変わらず大変そうだな。」

「まあ、我々メイティク伯爵家の事情が特殊なだけですよ。少なくとも、当主が二十年もの間国外追放されていたような所はフォルスカに当家一つだけです。」

 


 

 しばしの沈黙の後、再びメイティカが口を開いた。

「……話を元に戻しましょう。」

「そうだな。」

 コパルニクは煙草を灰皿に押し付けると、淡々と彼女の功績を語った。




「……結局、お前が機甲戦力をかなりの規模で一纏めにしてくれたお陰で、各個撃破に遭うことも少なく済んだ。その結果として人も兵器も損失は抑えられたし、まあ上々だ。本当に述べる言葉が見あたらん、感謝しかない。」

 列挙し終わった後、コパルニクは彼女と彼女の旅団が成した功績に改めて感謝の意を述べた。事実として大奮闘であり、ほんの少しの虚構を混ぜれば英雄叙事詩プロパガンダの題材となるほどである。

「ありがとうございます。私ですらこれほど上手く行くとは思ってもいませんでしたが。」

「上手く行ってもらわなきゃ俺とお前のクビが飛ぶだけさ。そしてこれから更にこき使うから覚悟しとけよ。」

了解ですターク・イェスト。いくらでも働きましょう。」



 


 

 かつての上司と部下が談笑を楽しむ間、二人のいた大会議室には続々と高官らしき人物が入室してきていた。

 軍服に身を包む者、上等なスーツを着こなす者、柔和な老紳士から怜悧な才媛まで、様々な人物が姿を見せる。



 

 コパルニクは部屋の様子を見ながら時計を一瞥すると、会話の中断を切り出した。

「もうすぐだな。じゃあまた後で話そう。」

「そうですね。……私は恐らく呼ばれただけでしょうが、作戦部長閣下は色々大変らしい。健闘をお祈り致します。」

 メイティカは敬礼して返答した。

「フッ、好き勝手言うな、他人事だと思って。まあ実際に会議で戦況説明するのは俺の予定だし、正しいのだが。」


 そう言うと少し離れて資料を手にし、そこからまた戻ってきた。

 

「閣僚の大半が退役軍人とはいえ、助け無しで俺達と同じ視野に立つのは厳しいだろう。……良くも悪くも、この戦争は明らかに今までのそれとは次元が違う。」

「しかし、殿にあらせられましては、最新の専門知識を素人に説明することが得意であろうかと、小官は愚考致します。」

 やや気分を落とした上司を気遣って、メイティカは大仰な身振りとわざとらしい口調でおどけた。

「お前いつの話を……チッ、これは一本取られたな。ハハハハハ!」

「……では、小官はこれで。」






 

「待て。最後にお前に渡すものがある。」

 そう言うと、コパルニクは持っていた書類の束から一枚を取り出し、署名した。

 

「さっきはコイツを取りに行ってんだ。」

「これは?」

「『フォルスカ人将兵による同盟国領での設立構想』────エルヴィラ・メイティカ装甲兵大佐を将来の指揮官とする、だな。見てみろ。ちゃんと元帥閣下国軍最高司令官の承認付きだ。」

「───!」

 メイティカは無言で最敬礼をした。だが彼女の顔には興奮が見える。



 


「戦争貢献なくしてフォルスカへの帰還は難しい。亡国の兵士である俺達にはな。恐らくただの歩兵師団では戦争の中で埋没し、消耗するだけだ。」

「……」

 コパルニクはさらに力説する。

「しかし機甲師団は違う。帝国の強力な装甲戦力に対抗するには、機構軍側も少しでも質の高い装甲戦力を多く用意しなければならない筈だ。そういった面では、幾度も不利な状況で戦い抜いたお前達はうってつけだ。恐らくフレンサーもアーヴィオンも喉から手が出るほど欲しがるだろう。そんな時に、『失われたフォルスカの軍旗を掲げた精鋭部隊を若き名将が率いる。』プロパガンダの虚構でなく、正真正銘の復讐者として。実に素晴らしい物語じゃあないか。」

「……なるほど。理解できました。」

 

 メイティカの目の光が一層輝く。

「つまり我々は奪われた祖国への道を切り拓く剣となり、占領に苦しむ国民の希望ともなる。……そして私に“救国の聖女”にでもなれ、と言うのですね。」




 紫煙を燻らせながらコパルニクは断言する。

「ああ。だが謝るつもりはない。全ては共和国の勝利のためだ。……いいかメイティカ、俺達はこれからお前の旅団を撤退戦の死地に送り込む。だが絶対に、絶対に死ぬな。必ず生きてこの国から脱出しろ。」

「はい、必ず。……しかし、が苦難にある祖国への献身を果たすとは本当に良くできた筋書きですよ。それで、素敵な脚本を執筆された素晴らしい劇作家はどなたで?参謀連中貴方の部下達ですか?それとも国家プロパガンダ局?もしかしたらシミーキヴィ元帥閣下の思いつきで?」

 これから一大復讐譚の主演女優となる予定を告げられた彼女は、決意すると同時にやや不満そうに自らの操演者について尋ねた。



 

「残念だったな、どれも不正解。……答えはジェイフマン少将閣下だ。さすが、“偶像”に祀り上げられることに関しては、フォルスカ軍の中で有数の経験をお持ちなだけはある。」

 コパルニクが挙げたのは、《フォルスカ建国戦争》で活躍した英雄であり、フォルスカ地上軍の装甲兵科の立役者とも言うべき男の名であった。直弟子とも言うべきメイティカは天井を見上げると、しばし考え込みながら受け入れた。

「……そうですか。ハハ、他の連中なら文句の百や二百でもつけたかったのですが、がそうお望みならば、として頑張らなくてはいけないですね。」

「会議が終わったら話していくといい。俺から言っておく。」

 メイティカは無言で感謝を示した。そして俯き、声を落として再び話し出す。

 

(本当は……先生こそがこの栄誉ある部隊を率いる将帥に相応しいはずなのに……)

 コパルニクも周囲の様子を伺いながら声を落として呟く。

(クーデターに反対して《清浄派サナッチャ》の連中に目をつけられたからな。……だが、お前ら装甲兵科将校団が、しっかりと彼の意志を受け継いでいる。少なくとも、今はそれでいい。若いお前こそがフォルスカ軍の旗手に相応しいと、少なくとも俺はそう思っている。)

 



 そして俯くメイティカの肩を軽く叩くと、コパルニクは無言で敬礼し立ち去った。メイティカも返礼すると二人は別れ、指定された席へと移動して行った。




 カチリ、カチリと針の動く音が響き、やがて全ての針が天上を示す時刻となる。






「それでは定刻となりました。只今より…」












 

 新たな一日が始まる。

絶望的な戦争はたった今、50日の節目を迎えた。


 だが、それに抗う唯一の血路が、今宵拓かれるのだ。

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解放の軍旗よ、永遠なれ!〜自由フォルスカ解放軍・2316日の交戦記録〜 アルクィル @Catmiral3599

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