第0章:《K.N.F.21/ロムンディア撤退戦》

抗戦、48日目【第0章プロローグ】

 タディウス・ヴィゼンツキという人間の生涯を振り返った時、彼の人生を形作ったのは戦争である────と、私は自ら立てた己への問いに対しこう答える。 






 記憶を辿り、記録を記す。

 

 このありふれた人間の営みは、昨日も今日も明日も、その次の日も、さらにその次の日も続いていくのだ。






 私は老いた。人生で最も熱く激しく輝かしい戦争の日々も、今や埃をかぶった思い出の中の1ページである。




 砲弾が空を切り、地面で爆ぜる音。

 道を切り開いて進む、戦車の立てる音。

 苦楽を共にした戦友たち。

 血と硝煙の匂い。塹壕の冷たさ。


 どれもみな、思い出の彼方にしか残っていない。



 愛する人、生涯の伴侶と出会ったのもまた戦場だった。







 ああ、我が青春を奪い去り、塗り潰し、全てを傷つけ壊した大戦よ。




 私はお前を許さない。


 私はお前を拒絶する。


 私はお前を────決して忘れない。













*****







【世界紀元1589年9月1日未明 ミレン=ジェルム帝国 帝国議会議事堂】


『私、帝国執政官ヴォルフ・グルーヴァーは!全ジェルム民族の指導者たるこの職権を以て、ここにフォルスカ自由国への宣戦を布告する!!!』


『『『万歳!万歳!!万歳!!!』』』




────ミレン=ジェルム帝国、フォルスカ自由国へ宣戦布告。






【同日早朝 フォルスカ自由国北西部・ポメルジェ県ノヴィ・グダルニク市】


『こちらアーヴィオン放送協会ABC、フォルスカ情勢特別取材班です!現在、我々のいるこの街の上空をジェルム空軍機が埋め尽くしております!そしてそれに対する対空砲火が、朝焼けの空を幾重にも上塗りするように…あ、今まさに空挺降下が開始されている模様です!パラシュートを開く様子が数多く見えます!』


『当放送をお聴きの皆様、これは戦争です!戦争が始まりました!』




────帝国軍、フォルスカ領への侵攻を開始。








【同月3日午前 ヘルヴェティア同盟共和国 世界評議会本部パレ・ド・ナシオン総会議場大ホール】


『賛成多数!よって、世界評議会代表総会決議第534号はここに採択されました!』


『我らミレン=ジェルム帝国は不当な“制裁”決議採択への抗議として、世界評議会からの脱退を宣言する!』




────《ジェルムのフォルスカ侵略》に対する非難決議が成立。帝国、世界評議会を脱退。








【同日午後 王制アーヴィオン連合 庶民院本会議場】


『平和へのあらゆる努力が、今や全て無為に帰したこと、誠に無念でなりません。想像に易いでしょうが、私が長らく携わってきた闘いは全て失敗したというこの残酷な結果に、私の心はひどく打ちのめされ悲しみの中にあります。……ですが、閣僚会議議長として、私はその職に与えられた義務に基づき、この場において国王陛下、及び両院議員たる紳士淑女の皆様……そして全国民に対して、報告と宣言を致します。』


『本日正午、ヴェリーンに駐在するアーヴィオン大使へ向けて、ミレン=ジェルム帝国政府は、今月1日に採択されたフォルスカ自由国全領域内からの即時撤退開始を要求した最後通牒──世界評議会国際平和理事会決議第1238号への解答拒絶を通告しました。』


『この結果として世界評議会全加盟国は、“平和の破壊を阻止する為の”の執行が可能となりました。故に、エウテリア合同安全保障条約第6条に基づき、我ら王制アーヴィオン連合及び王冠自治領ドミニオン諸邦は、被侵略当事国たるフォルスカ自由国の防衛のため、名誉ある平和と国際の正義を希求する《機構》有志諸国と共に、帝国との戦争状態に至ったと宣言いたします。』



────王制アーヴィオン連合及びフレンサー民主共和国、帝国へ宣戦布告。戦火はエウテリア大陸全体へと拡大。











【同月15日 フレンサー民主共和国 エウテリア合同安全保障機構軍最高司令部】


『私、ギョムランドは断言します!この攻勢を以て戦争の大勢は決し、ヴェリーンに、かの大王凱旋門に、我らの旗が翻るであろうことを!』


『生誕祭を前線で!復活祭を故郷で!いざ進め兵士よ、自由と平和のために!』




────フレンサー・アーヴィオン合同軍、帝国領への進攻を開始。











【同月30日 フォルスカ自由国東部・ポレジェスカ県 国境警備軍AOP第8大隊本部】


『本部へ、こちら哨戒部隊より緊急連絡!戦争だッ!戦争が始まりやがった!』

『落ち着け。何を言っているんだ、もう戦争はとっくに始まってるし、開戦から1ヶ月経ったんだぞ。』

『違う!ルース人だ、同盟の連中が攻め込んできやがった!!!あのクソ共、よりにもよって来やがった!頼む、早く応援を…』

『何だと!?おい、応答しろ!おい!……最高司令部ヴァルシャヴァへ連絡しろ!急げ!』



────ラーダ=ルース人民同盟、リーガス平和条約の破棄を宣言。フォルスカへの共同侵略行為を開始する。







【同年10月16日 フォルスカ自由国首都・ヴァルシャヴァ市内】


『こちらフォルスカ国営放送ヴァルシャヴァ本局。独立暦21年金照月シェルパーナ16日、臨時放送をお送りします。なお、当放送局よりの最後の放送となるでしょう。』


『……以上の通り、本日ヴァルシャヴァ市内全域における休戦協定が締結され、夜6時より発効となります。しかし、まだ戦争は終わっていません!いつの日か必ず、祖国と正義は勝利し、侵略者はこの国より去ります!皆様、国旗を保ち、国歌を歌いましょう。武器を隠し、占領に抵抗しましょう。独裁者に死を!散華した英霊に報いを!不滅の共和国に栄光を!』


『“フォルスカは未だ滅びずイェスチェ・フォルスカ・ニェー・ズィグネーワ我ら此処に生きる限りキェーディ・ミィ・ズィエーミィ!”』




────フォルスカ自由国首都・ヴァルシャヴァ陥落。






*****






 まばらな木々が目立つなだらかな丘を、駆け抜けていく鉄の塊が数十。


 先頭集団の中心にて身を乗り出す若い男、将校である彼は向かい風に負けないような大声で、周囲へ向けて命令を発していた。

「第1戦車小隊、急ぐぞ!もう前線は会敵している!ライッケ軍曹、貴官が近い!先導しろ!1秒でも早く辿り着くんだ!第2、第3、装甲車小隊は散開しつつ我に続け!」


 名指しされた男は手短に応答すると、車内へ檄を飛ばす。

了解しましたタ―ク・イェスト!中隊長殿のご命令だ、ヴィゼンツキ兵長。何も考えず遮二無二突進だ!俺を信じてひたすら飛ばせ!」

「任せましたよ車長殿!……絶対、間に合ってみせる!」


 車内にいる、未だ名も無き一兵士である男────タディウス・ヴィゼンツキは、熟練のバディの指示をひたむきに守り、全力で己の乗車を前へと進めていた。




 今日も少年は戦場にいる。変わらない日常を過ごすかの如く、当然に。






*****






独立暦K.N.F.21年金照月シェルパーナ (世界紀元1589年10月) 18日朝 フォルスカ自由国南東部・レヴィーフ県フレベンネ村近郊】


 ────俺たちは今、負け続けている。




 冬の面影を覗かせる風が、我らの愛しき土の家塹壕に吹きすさぶ。

 昨晩はいつもよりも、砲弾が空を切って爆ぜるあの嫌な音が聞こえてきたが、今聞こえるのは風の音と、それにそよぐ木々の立てる音だけ。



 

 目が覚める度に昨日までの無事を主に感謝し、今日の無事を祈る。明日のことは考えない。日々自分が信心深くなるのを感じる。

 ここに来たら誰でもすぐにそうなるさ。





 





 

 我らが愛すべき祖国――フォルスカは、「帝国」とかいう名前をしたクソの掃き溜めにお住いの皆様クソ共と戦争をやっている。

 

 開戦からもうすぐ二ヶ月経つが、こうして土壁に囲まれて日々を過ごす俺達にすら、はっきりと分かる事実がある。俺達は負けている――おまけにただの負けではなく、それはもうどうしようも無いくらいに、ひどい負け方をしている――ということだ。

 





・開戦劈頭に帝国の装甲に単身立ち向かい、それ以降もなお不敗を誇る精鋭機甲部隊──《 黒旅団スザルーナ・ブリガダ 》/第10独立騎兵旅団


・今戦争で両軍含め初の撃墜を記録し、首都ヴァルシャヴァ防空戦で獅子奮迅の活躍をした若きエースパイロット──《ヴァルシャヴァの大鷲》/テルニヴィク・スカルプスキ大尉


・3倍の数の帝国軍から一ヶ月もの長きに渡り、要地ヴィドゲンシュチ回廊を守り抜いた名将──《鋼鎧将軍》/タドーシュ・クトゥーシェル中将




などなど、その他多くの、我らが共和国が誇る綺羅星の如く輝く英雄たち。






 ……どれもこれも、美辞麗句を並べ立てた勇壮なプロパガンダなんて何の意味もない存在だ。

 

 何故そんなことが分かるかって?────簡単なことさ。

 

 俺達は一度も、敵の方へ向かったことがない。


 ただ塹壕を掘って、守って、死んで、最後は逃げるだけ。


 一昨日にはとうとうヴァルシャヴァ首都が落ちたと聞く。

 



 弾は無い、飯は少ない、空を飛ぶのは常に敵で、新しい仲間は決まって女子供。

 なんて惨めな有様なのだろうか。

 



 これで一体全体どうやって勝つと言うんだ?教えてくれ。


 俺は一生かかっても思いつかないね。










 こうやって、家族への手紙には書けないようなことを次から次へと頭に浮かべる。虚しいことは分かっていても、考えざるを得ないのが人間なのかもしれない。

 

 ゆっくりと起き上がり、体に染みついた動作で装備を手に取る。まるで糸人形になった気分だ。




「今日は昼から新兵が来るんだったか……」

 拳銃を入れ終わり、そう言いながらいざ部屋を出ようとする。



 

 その時、つんざくような声が一帯に響いた。

 



「帝国軍接近!距離1000!」

 



 このクソッタレな朝に、クソッタレなお客様が今日もお越しだ。……クソッタレ。






*****

 




   

「急げーっ!配置につけー!!!」

「走れ走れ走れ!」


 

 怒号がそこかしこで響く。塹壕の中をひたすら駆ける。吐く息の白さが微かな光と共に道を照らす灯火となる。



 

「おい、コモルスキ。ちょっと肩貸してくれ。いてて……」

 片手を頭に添えふらつく足取りをした戦友がこちらに近づいて来た。

 

「ったく……おいリピッチ、気持ちは分かるが、お前いくらなんでも昨日飲み過ぎだぞ。」

 酒臭い息を浴びながらも、やつの手を肩に乗せてやる。階級こそ一個上になってしまったが、同郷のよしみだ。

「下士官殿は小うるさいことで。飲まずにいられるかってんだ、これが。シラフだと脱走しかねん。」

「少尉殿が曹長を抑えてるからされてるんだ、ホントに気をつけろよ。」

「俺が気をつけた程度でヴァルシャヴァのあいつらが無事で済むのなら、いくらでもしてやるんだがな。帝国軍の奴らめ……」

 

 妻子を案じる親友のその悲痛な声に、俺は何も言えなかった。

 


 


 

 しばらく無言のまま壕を進み、やがて俺の担当する銃座に着いた。


 リピッチを砲座まで送ろうかとも思ったが、班の連中が来たんで引き渡して別れた。



 壕に這いつくばる。

 冷えた土と麻袋に覆われた土の異なる感触が体に染みていく。

 服の上を這う蟻に違和感を抱かなくなって、一体どれくらい経ったのだろうか。

 


 

 三脚を広げ固定し、弾薬を背嚢から出す。

「はぁ……弾がやっぱ少ねえな……」

 手持ちの弾倉を見ながら、小さく呟いた。

 

 弾薬不足は致命的だ。こいつは単発銃じゃないのだから。

 そろそろ、このクソ重い旧式重機関銃相棒ともお別れかもしれない。

 

「リヴァンスカ、予備弾をなるべく近くに置いてくれ。」

「分かりました、伍長殿。」

 弾を装填しながら班員に指示を出す。

 妹と変わらない年頃の娘が重い弾薬箱を懸命に持ち上げている。こんな光景はもうザラに見られることだ。


 装填を終え引金に手をかけた。

「今日のお客さんはどのくらいかな、っと。」

 右目を瞑り、銃身に沿って前を見る。染み付いてしまった習慣だ。

「1、2、3、4、5……」

 

 こうして数えることに意味なんてない。無駄な行動に過ぎないのかもしれない。


 だがそれでも、人を殺すということに自分なりの整理をつけたいのだ。





 

「来るぞ!構えろ!」

 短機関銃を揺らしながら歩く我らが小隊長殿は壕に散在する部下全員へ行き渡るように叫び、やがて火点であるここの近くに来て歩みを止める。

 普段は活力にあふれている彼の顔にも緊張が映るのが、傍目からでも見て取れた。




 号令がかかるのを今か今かと待っている。銃を握る手に力を込める。敵兵の動く姿を緩やかな勾配の上であるこの壕から見下ろし、ゆっくりと息を呑んだ。

 



「よく引き付けるんだ、射程距離の理論値はアテにするなよ!……狙えーっ!」

 その言葉が耳から脳へとたどり着くのに数秒。

 呼吸が浅くなる。視野を狭める。そしてひたすら前を見据えて待つ。




  

「……撃てオーギェン!」

 命令を認識し、引金を引いた。

 

 連続した金切り音が耳元で響く。左右から様々な音色の銃声が合奏を始める。

 そう、命を対価とする最悪の演奏会が始まったのだ。





 

「次!開封しろ!」

「はい!」

 寒さのせいで白い蒸気が出てしまっている銃身を休ませながら、再装填の準備をする。

 発砲と休息の際どい均衡を維持し、当たらずとも射撃を続けることが一人でも多くの仲間を救う。これこそが俺の役割なのだ。


 そして銃撃を再開する。

 まずは、味方の榴弾を食らって蛆のごとく這いつくばる真っ赤な敵兵の体に、鉛弾を追加でブチ込みトドメを刺すところから。

 気の毒だが、今の俺達にはあらゆる面で余裕がないのだ。例え白旗を掲げてようが容赦なくソイツを殺さなくてはならんだろう。


 ……できることならそれは避けたいものだが。






 急ごしらえの防衛線だが、ひとまずはなんとか足止めをできている。


 少なくとも今この瞬間はそう言っていいはずだ。




 だが、帝国軍奴らもバカじゃない。ちゃんと考える能力がある人間なのだ。状況を打開するために何らかの行動をしてくるに決まっている。


 ではそれをどう凌ぐのか?こういうことは士官サマにお任せしよう。

 俺達兵卒は今を凌ぐのが仕事であり、そうあれかしと定められたのだから。




 



 

 頭の片隅でそのようなことを思いながら撃ち続け、何分経ったのだろうか。


 敵の応射で倒れる味方も増えてきた。

 古参兵も、新兵も、男も、女も、フォルスカ人も、ヴェロルース人も、ユークリュニー人も、レトヴァニア人でも関係ない。




 皆が平等に、痛みに喘ぎ苦しみ、主に慈悲を願い、死の恐怖に咽び泣く。


 血と硝煙の混じった匂い。肉片と泥の混じった感触。


 五感で感じるこの戦場の全てが、人間性というものを真っ向から否定し嘲笑しようとする、悪魔の試練の如き最悪の現実なのだ。




 嗚呼、天にまします我らが主よ。

 せめて、せめて、死にゆく我らのその双眸に、一欠片ばかりの救いを、勝利と栄誉の輝きを示しまえ。






*****



 



 太陽が天上へと迫って来た。

 それに合わせて空腹までこちらを攻撃してくる。

 疲れ切ってもはや狙いなど考えられない。まるで体が勝手に動いて撃っているようだ。




 そんな状態は不意に断ち切られた。

 



「手榴弾ッ!」

 壕に飛来する複数の芋潰し器帝国陸軍制式棒型手榴弾を見て、俺は反射でそう叫んだ。


「伏せろー!投げ返そうとするな!」

 カーレス少尉殿がとっさに付け加えたのは練度に劣る我々を気遣ったのだろう。士官学校を出たばかりの新米士官なのに良く頭が回ることだ。



 

 炸裂音が響く。

 その次に土や砂利が飛び散り、やがて音と砂煙となり拡散する。

 直ぐに自らの無事を確認したが、哀れな被害者は他にいたようだ。


 悲痛な叫びが周囲に木霊する。

「あ゛あっ!うで、腕が!痛い痛い痛い痛い痛い!たすけて!お母さん……!」

 この哀れな被害者の右腕は千切れかけており、裂けた軍服の下から見えている血に染まっていない年頃の娘らしい白く美しい肌が、むしろ悲惨さをより一層際立たせていた。


 なんとか周りの奴らと数人がかりで抑え込み、応急処置を試みる。




「ヨゼマイネ二等兵!意識を飛ばすな、しっかりしろ!……リヴァンスカ一等兵、急いで衛生兵を呼べ!!」

 少尉の的確な指示とは裏腹に、指示をされた側は完全に動揺しきっている。

「や、やだ……レナちゃん……」




 損な役割だが、ここは俺が喝を入れるしかない。


彼女の肩を掴み、正面から声を荒らげ叫ぶ。

「泣くな、オリガ・リヴァンスカ!少尉殿の命令を復唱しろっ!急げ!」

「ううう……」

 俺を見る彼女の瞳には涙と怯えが満ちている。再びの点火が必要なようだ。


「お前が走れば彼女は助かる!さもなければ、レナはここで死ぬ!」

 その声で彼女の震えが止まった。効果があったようだ。

「り…了解しましたターク・イェスト指揮官殿パン・ドヴォーカー!!!衛生兵を連れて来ますっ!」


 リヴァンスカはそう叫ぶと涙を拭いながら駆け出した。少尉は士官用マントをちぎって俺たちが抑え込むヨゼマイネに噛ませ、口枷代わりにしている。


 


 一段落したのもつかの間、俺は応急処置を他の兵士に任せて飛びかかるように銃座に戻った。少しでも射撃を続けなければならない。

 一時的に穴を開けられるのは仕方ないとしても、それを維持されてしまっては一貫の終わりだからだ。

 幸いにも、先ほど手榴弾を投げてきた敵兵の周辺をなんとか掃討できたので、持ち直すことができた。

 

 ちょうど同じぐらいの頃に、衛生兵がやってきて彼女を担架で運んで行った。

 リヴァンスカは彼女に同行し、懸命に呼びかけている。当分戻ってこないだろう。




 直截に言うと体のいい厄介払いなのかもしれないが、俺はそこまで部下に情がない訳ではない。そもそも、あんな優しい少女を前線勤務にしやがったクズ野郎は誰だ、という話だ。

 これでいい、これで良かったんだ。

 


 



 だが、奴らの攻撃が終わることは無い。

 





 空を切る音が上から聞こえてきた。もちろん、味方ではなく敵だ。

『フォルスカ航空軍は損害を出すことなく転進に成功』だとよ、ここ以外どこで戦うって言うんだ馬鹿が!


「敵機接近!機銃掃射してきます!」

「壕の壁に張り付いて身を隠せ!味方の対空砲は何してるんだ!」

「少尉殿!危ない!」

 勇敢なる兵士がとっさに指揮官をかばう。

「すまんセルリデス、助かった!……コモルスキ伍長!お前のそれで対空射撃をしろ!追い払えればそれでいい!」

「む、無茶を言いなさる……了解しましたターク・イェスト!」


 俺は歯を食いしばりながら、力を込めて重機関銃を上空へ向けた。見かねたセルリデスがそれを支える。

 正直引き金を引ける気がしなかったが、火事場の馬鹿力とでも言うべきか、どうにか撃つことができた。反動と重さで腕が撹拌されている気分だ。

 

 狙い通り、高度を低くし過ぎた敵機は思わぬ反撃に面食らい、すぐに離脱していった。

 向こうが2機だったら、即座に俺はハチの巣、分隊は下手をすれば消滅だっただろう。危ういことだ。





 

 だが撃退に喜ぶ間もなく、左方から人の形をした凶事の報せがやってきた。

「小隊長どのーっ!緊急です!第2小隊が第一線を突破されました!」

「っ!もっと詳細を頼む!」

「て、敵兵が第1小隊我々と第3小隊の間の壕に取り付いてこちらへ浸透してきています!突撃猟兵シュトゥルムイェーガーです!」


「クソがッ!!!」

 俺は咄嗟に叫んでいた。

 他の兵も叫ぶ気力はなかったのだろうが、みな憔悴しきった表情をしている。

 

「中隊長殿はなんと?」

「それが……突破以来、連絡が途切れております。連絡線を寸断されたようで後方との連絡もできません。」

「まずいな……援軍要請は戦闘開始時に行ったがその来援を待っていられるような状況ではないぞ、これは……」

 流石に対応力を超えてきたようだ。少尉は沈黙しきってしまった。



 悪いことは続くものだ。さらなる凶事の報せが届く。

「2時方向!更に敵歩兵接近!今度は戦車を伴っています!」

「本命か!」

 全員が愕然とする。


 こちらの対戦車戦闘能力は正直に言って殆ど存在しない。

 今動かせる対戦車砲はたった一門。徹甲弾はほとんど無い。そして練度不足の急造師団である俺たちには扱いの難しい対戦車歩兵銃など回してはもらえない。肉迫攻撃?論外だ。



 

「如何致しますか小隊長殿!」

「カーレス少尉!」

「少尉殿!」



 

 苦虫を噛み潰したような表情で、少尉は俺達の呼びかけに応えた。

「……俺の独自判断として、撤退を開始する。なるべく抵抗を避け、秩序を保ちつつ第二線まで退却せよ。」

「「「はっ!」」」


 その一言で一縷の望みが繋がり、皆の顔に活力が少しだが戻っていった。

 “何をすべきか”が分かっている人間は強い。


 続いて少尉は声を張り上げて、やや離れたところに指示を出した。

「ヤルディク曹長!右端の分隊の指揮を委ねる!砲は放棄しても構わん!」

了解しましたターク・イェスト!」

 応答が響き、遠ざかっていく。


 そして今度は俺の方に顔を向け、やや穏やかな口調で命じた。

「コモルスキ伍長、お前に数人預ける。殿になってくれ。それと……これを。」

 そう言うと少尉は自らが持つ短機関銃と弾倉を俺に渡した。近くに転がっていた小銃を代わりに拾うと、俺の目を真正面から見据えながら続ける。

「死ねとは言わない。必ず俺にそれを返しに来い。」

「……はっ!」


 俺だってこんなところでさらさら死ぬ気はない。熱意が心に灯った。




 

 

「よし、行くぞ!後退せよ!」

 撤退が始まった。

 第2小隊に近かった班から順次、壕を通って双方の敵から遠い5時方向へ走って行く。


 ヤルディク分隊の一部が火砲で支援射撃を行い、牽制をしていた。

 おそらくリピッチのところの砲もその中にあるのだろう。親友の無事を祈る。


 俺も負けじと撃った、撃ち続けた。

 薬莢が地面に落ちる音ではなく、地面に転がっている他の薬莢に当たる音の方が多く聞こえる程だ。




 敵戦車の砲撃で吹き飛ばなかったのは運が良かったのだろう。






 20分は経っただろうか。


「伍長、これで最後です。」

「ありがとうセルリデス。ここが限界か……」

 残り少ない弾を丁寧に込めていく。

「曹長たちも先程、砲座を捨てて後退し始めました。もうそろそろ俺たちも。」

「分かっている。コイツが尽きたら一目散に駆け出すさ。」

 

 そう言って再び銃を構える。

「今まで世話になったな。」

 微かな声で相棒に別れを告げ、引き金に手をかける。



 

 その瞬間、右方から轟音が響いた。さらに続いて爆発音が複数響く。

「何事だ!」

「砲台の方向です!せ、戦車接近!」

「クソッ!」


 自分でも驚くほどの速さで銃座から飛び退くと、次の瞬間、ついさっきまで自らがいた場所の目前が爆発し、地面に大きな穴が開いていた。



 なんとかそこから立ち上がる。

「伍長殿!早く!」

 かなり強引に腕を引っ張られ、曲がり角となっている後ろの通路に逃げ込む。

 すると車載機銃の音が辺りを引き裂く。

 

 少しだけ意識を配って預けられた短機関銃の無事を確認すると、全力で走り出した。

 しかし砲塔が回転する音が聞こえてくる。


 まさに死神が近づく音だ。




 再び砲声が至近で聞こえた。

 幸いにもこちらからは外れていたが、大きく地面を揺さぶった。



 

 そして不幸なことに、


「あっ!」


それに足を取られた者がいた。



 

「イェルダスカヤ!待ってろ今行く!」

 俺は無意識のうちに駆け出していた。


 あまりにも時間が遅く流れていた気がした。

 一歩、また一歩彼女に近づく度に、死神との距離も近づく。

 砲の穴が、地獄へ続く入り口のようだった。



 微調整をしていたのであろう、微かな機械音が響き終わった。


 


 来る。

 

 撃たれる。

 

 俺は……死ぬ。

 

 

 



 目を瞑り、残り僅かな時間とは言え、死を受け入れる準備を終えた。



 

 その次の瞬間、これまでで最も大きな爆発音が響いていた。







「うおっ!」

 俺は次の瞬間、地面に叩きつけられていた。

 痛みと衝撃を感じる。


 だが同時に違和感を覚えていた。

 


 それに対する答えはすぐさま示された。

「伍長殿!味方です!味方の戦車が助けてくれたんです!」

 助けに行ったはずのイェルダスカヤに起こされながら彼女は涙目でそう言った。


 彼女の指差す方向を見ると、確かに味方の戦車があった。そして再び前方に視点を戻すと、砲塔が吹き飛び、燃え盛っている敵戦車が目に映る。


 まさしく間一髪だったのだろう。途端に俺は力が抜けてしまった。

「死ぬかと思った……はぁ……助かった……」

「私もです……!うう…怖かった……」

 しばらく二人で何も言わず佇んでいた。

 


 



「おーい!そこの歩兵!大丈夫か!」

 そうしていると、何も動きがないのに心配したのか、昇降口を開けて車長らしき男が叫んでいた。

 

 

 俺はなんとか力を振り絞って叫んだ。

「本当に助かった!礼を言わせてくれ!」


 俺の声を聞くと、その男は車内へ戻り今度は昇降口から別の男が出てきて、こちらへと走ってきた。

 


 

 やがて彼は壕の元まで降りてきた。俺は彼に近づくと、手を差し出して深々と頭を下げた。

「ありがとう……!本当にありがとう……!」



 握手をしている時、何かがどうしようもなく視界に飛び込んできた。


「黒い革のコート……赤い布の腕章……」

 思わず呟いていたのは心当たりのある特徴だった。


 そして彼の胸元を見ると、決定的な証拠があった。


 歯車に囲まれた翼と2対の剣。

 何度もプロパガンダのポスターで見た紋章だ。

 彼らは本当にいたのだ。伝説なのではなく。



 

「“黒い旅団スザルーナ・ブリガダ”……」

 俺は口に出してしまっていた。彼らの異称を。



 

「ハハハ、その名前で呼ばれるとやっぱり少し恥ずかしいですね。」

 あからさまに照れている様子だった。

 若い兵士と思っていた──その見立て自体は正しいのだが、

 彼は、よく見ればどう見積もっても15、6歳の少年兵である。少年は、溌剌とした声で二指を伸ばして敬礼し、こう続けた。



  

「はい、我々こそが《黒旅団》──第10独立騎兵旅団です。そして小官は第71独立機甲偵察中隊所属、タディウス・ヴィゼンツキ上等兵であります。」

 流暢に所属を申告すると、彼は満面の笑みを浮かべた。




「あー、良かった!間に合ったみたいで!ふぅ……やったー!」




 年相応の喜びようである。

 

 だが、幼さの名残を残すあどけない彼の顔には、戦士の精悍さと誇りが確かに在った。






*****






 エウテリア大陸中央部。かつて繁栄を極め、そして滅ぼされた大国があった。




 “最も静穏なる共和国ジェシュポスポリッツァ”──そう高らかに誇った国。


 その名をフォルスカと言う。




 ジェルム、ルース、エースター。

 これら3つの隣接する列強国に引き裂かれ、蹂躙され、苦しみ続けたこの国は、分割による滅亡からおよそ120年の時を経て新生した。

 それはまさしく奇跡というべき出来事だった。主の慈悲と寵愛の賜物とまで呼ぶ者もいた。


 エウテリア大陸に君臨しフォルスカを虐げていたその三国は勿論のこと、長きに渡るまでフォルスカ人の窮状と慟哭をただ傍観していた他の列強ですらも、とある戦争により激変した大陸情勢によって独立を認めざるを得なくなったのだ。





 フォルスカ人は歓喜した。そして誓った。


 蘇った祖国の篝火を、再び絶やしてはならぬ────と。

 


 

 彼らは戦った。切望した自由と独立を永遠のものにするために。

 彼らは闘った。平和と繁栄を謳歌できる自らの楽園を築き上げるために。










 やがて独立から20年が過ぎ、新生フォルスカ最大の試練が、彼らを襲った。


《21年防衛戦争》────《汎惑星大戦》の始まりとなる戦いである。


 『千年帝国』を意味するかの如く、年代記を国号に加え、復讐とも呼べる感情でかつての旧領へと牙を剥く生まれ変わった隣国────ミレン=ジェルム帝国。

 フォルスカは懸命に強大な敵に抗い、そして無惨に敗北した。










 これから語られるのはある物語の序章。

 

 敗北と逃避に彩られた、大戦の始まりたる《21年防衛戦争》末期。絶望の十日間を生き延び、英雄的に戦い抜いた人々の回顧の記録である。

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