「夫婦になった覚えはない」


 夜十二時。私は貞淑な妻ですので、黙って夫の帰りをまっていました。


「・・・おかえりなさい」


 ふらふらとした足取りは、扉の前に立つ私の姿を捉えると急に直立し出しました。


「どうして?って、私の方が聞きたいのですが」


「先ほど駅でご一緒していた女性は、どなたですか?」


 私は思慮深い妻ですので、その場で怒鳴り散らすような真似は致しませんでした。ですが、夫の浮気現場を目撃して黙って泣き寝入り出来る程大人しい女でもありません。


「急に夕飯はいらないなんて言うものですから、心配したんですよ? 何があったのか、そんなにお仕事が忙しいのか、何かトラブルに巻き込まれているのか・・・って。それで、駅まで迎えに行ったら。まぁ、なんとも可愛らしい女性と二人っきりで歩いているじゃありませんか」


「もう一度聞きます。あの女性は誰ですか?」


「会社の同僚、ですか。最寄り駅が同じだったから途中まで一緒だっただけ・・・そうですか。じゃあ、その気はないのですね?」


「でも、相手の女はわかりませんよ、あの擦り寄るような媚びるような表情、あれはまさに薄汚く狡猾で卑怯な狩人のものでした。私の・・・私の夫にあんなにベタベタと触れて! 汚い! 醜い! 何故黙ってされるがままだったのですか、あんな気色悪い女に触れられて不快に感じないのですか? 少しでも私に申し訳ないと言う気持ちは無かったのですか!?」


「・・・え? な、何故そんな顔をしているのです? 関係ない? なんのこと? こちらが何のこと、です。いつまでも独身のつもりで振る舞われては私も不安になるじゃないですか」


「何がそんなに不思議なんですか、お隣さん・・・いえ、あなた?」


「私はあなたの妻ですけど?」


「まだ酔っていらっしゃるのですね。お酒もほどほどにしてください、酔うなら私の前だけにしてください。あなたを狙うあざとい雌が思考能力低下した隙に良くない既成事実を作ろうと謀る可能性だってありますから。全く、警戒心の薄い夫を持つと妻は苦労しますね。でも、そんなところに惚れてしまったのですから仕方ありません。これからずーっと私がお傍で守ってあげます」


「まだ否定するのですか。それに、誰と親しくしようと勝手・・・だなんて、本気で言っているのですか?」


「いい加減にしてくださいよ、私達夫婦でしょう? 夫婦というのは、家族というのは仲睦まじく、共に歩み、ともに苦労し、いつも笑顔でお互いを支え合うものではないですか。そうやって都合が悪いからと言って酔ったふりで誤魔化すなんてあなたらしくありません。ほら、今日は私のお家に帰りませんか? ね、そうしましょう。まだ話すことがたくさんありますので」


「・・・あの。どうして逃げようとするんですか? ちゃんとこちらを見てください。ほら、ねぇ、よく見てください。あなたの愛する妻の顔を、私という存在を。もしかしてあの女に誑かされたのですか、そうやって言えと、私を傷つけろと命令されたのですね? そうでないとあり得ません。だって優しい私の旦那様が私を傷つける筈なんて無いですから。浮気する筈ないですから。わかった、きっとあの女が全部悪いのですね? いったいどんな弱みを握られてしまったのですか、全く、お人好しにもほどがありますよ。あれほど人を疑ったり警戒しないといけないと言ったではありませんか。妻の助言は素直に聞いておくものですよ」


「申し訳ありませんが、例え事情があったとしても浮気は浮気。それに私を傷つける発言をしたことをナシにすることは出来ないんです。出来ないと言っても勿論あなたのことを嫌いになんてなりませんよ、当たり前じゃないですか。私はあなたのことを誰よりも愛していますから、一度や二度裏切られたって嫌いになれる筈がありません。ただ、裏切られて傷つくのは嫌なので対策を練ろうと思います。ほら、夫婦は協力して困難を乗り越えるものでしょう? 私が一生懸命考えてあげますから、どうしたら無垢なあなたが悪い女に騙されて浮気させられてしまわないか」


「あぁ。すみません、ちょっと、大人しくしていてください」




 ***


「おはようございます、あなた。お外は雨ですよ」


「酔いもさめました? さぁ、もう一度訊ねます。あなたの妻は誰ですか?」


「・・・嘘。嘘です。嘘だ嘘だ嘘だ!! ありえません! だって私にプロポーズしてくれたじゃないですか、私の事が魅力的だと言ってくれたじゃないですか、おうちデートだって何度もしたし、出掛ける約束だってしましたよね? どうしてそんな嘘つくんですか? 私達付き合ってますよね、夫婦ですよね、家族ですよね!? 将来を約束して永遠を誓い合った仲ですよね!? 知らない振りしないで、見捨てないで、大丈夫です、こないだみたいに怖くなって逃げ出したりしません。あなたが望むなら私の身体の全てはあなたのものになります。ほら、嬉しいですよね? 私に惹かれているのですよね? なんでそんなに怯えるのですか、これだけ私が愛しているのに、なぜそんなに不安そうなのです?」


「もうあの女に怯える必要なんてないのですよ。正直になってください。言いましたよね、私は一途な人が好きだって。あなたは一途に私の事を見続けていてくれればいいのです。他の悪い虫なんて存在しないものだと思ってください。寧ろ私以外の人を視界に入れないでください。私の傍から逃げ出さないでください・・・・・・そうだ、それはいいですね。私の傍から逃げられないようにしましょう。ね。素敵だと思いませんか?」


「ふふっ、大丈夫ですよ。殺したりなんかしません。だって、死体のあなたをずっと傍においても、あなたは私を必要としてくれないでしょう? それでは意味がないのです。私はあなたに必要とされたい、求められたい、私なしでは生きられないようにしたい。だから、あなたが抵抗するたびにあなたが出来る事を一つずつ減らしていく・・・なんて、どうですか? 安心してくださいね。ちゃんと私がお世話しますから。全部やってあげます。全て私に任せてください。あなたは私だけを見てくれればそれで全て幸せなのです」


「じゃあ、最初にもう二度と私の傍から離れてしまわないようにしちゃいましょうか」


「・・・ふふ、素敵な新婚生活のはじまりですね。お隣さん」

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自称妻でヤンデレなお隣さん 寄紡チタン@ヤンデレンジャー投稿中 @usotukidaimajin

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