第5話 魔物

「ここは……」


 俺はどのくらい意識を失っていたのか?


 闇夜の静謐せいひつ

 ドラセナが意識を取り戻した時、まるで今までの出来事が嘘だったかのように、放牧地は静まり返っていた。


 ズキン。


 心臓の鼓動に合わせ、脳に痛みが走る。


 心なしか頭が重い。

 頭を強く打ったからかもしれない。


 フラフラしながらもドラセナは何とか立ち上がる。


「融合の儀が、これほどまでに体を消耗させるものとは……」

 

 ドラセナは独りごちた。


 辺りを見渡す。

 愛馬・トゥレネの姿はない。

 そればかりか、先ほどまでは魔法陣の近くにいた馬たちさえ消えていた。


 視線が足元に向かう。


「えっ」


 意図せず声が出て硬直する。


 そこに人間の足があったからだ。

 間違いなくそれは自らの足だった。


「まさか……失敗したのか?」


 不安と疑念が渦巻く。


「神・ディファロスよ……」


 語りかけてみる。

 だが、応答はない。


 代わりに来たのは強烈な目眩だった。


「うっ……」


 思わず片膝をつく。


 視線の先に生い茂る草があった。


 うまそうだな。


 腹が鳴り、よだれすら出てきた。

 草に反応するなんておかしい。


 明らかに感覚が麻痺している。


 まだチャンスはある。

 とりあえず、屋敷に戻って、休憩したらすぐに出直そう。


 ドラセナは、立ち上がり歩をすすめた。


 重い頭と足取り。

 放牧地とローレンス城をつなぐ秘密の地下通路を抜け、城内の自らの屋敷にドラセナはたどり着いた。


 融合に失敗したのかもしれない……。


 終始、そんなことばかりを考え、頭よりも心が重かった。


 だから、気づいていなかった。

 両碗がないことにも。


 美しき妻・サルビアンナは、王家の血を引くおおしとやかな良妻である。

 感情を露わにした姿を見たことがない。


「お帰りなさい、あなた。お風呂にする?ご飯にする?それとも……」


 今宵こよいもそう言って、あの美しき微笑に迎えられる。

 そう信じていた。


 今すぐにでも抱きしめたい。


 とりわけ、融合に失敗した今日はなおさらだ。

 なのに……。


「きゃー‼︎」


 玄関で出迎えたサルビアンナは叫んだ。


 尻餅をついて、その場に倒れ込んでいた。

 それから、もがきながら体を何とか反転させると、屋敷の廊下を逃げるように戻っていった。


「おい、サルビアンナ‼︎」


 妻の反応に困惑し、背中にそう投げかけるが、彼女が止まることはない。

 仕方なく、1人豪奢な作りの廊下を歩き始めた時だった。


 バン。


 けたたましい音ともに廊下奥のドアが開いた。


「魔物め、死ね‼︎」


 甲高い声。

 キーンとした痛みがドラセナの鼓膜を貫き、脳も痛んだ。


 聴覚が洗練されすぎていた。

 そんな気がした。


 目の前の光景にドラセナは我が目を疑う。


 般若のような面の女が、仁王立ちしていたからだ。

 サルビアンナだった。


 右手には何か細長い光るもの。

 それが、刃渡り20センチの包丁だと気付きドラセナはハッとする。


 一歩下がる。

 それと同時だった。


「死ねぇ‼︎」


 眼前のサルビアンナが弓のように体をしならせ、包丁を投げつけてきた。


 ヒュン。


 矢のような速さで包丁は、ドラセナめがけて向かってくる。


 死ぬ。

 避けなきゃ。


 今度はドラセナが尻餅をつく番だった。


 包丁は廊下に飾られていたドラセナの肖像画に突き刺さっていた。

 衝撃を物語るように額縁が落ち、ガシャンと割れる音がした。


 ドラセナは無我夢中でその場から逃げる。


「魔物‼︎死ね‼︎」


 般若のような形相で襲い掛かって来るサルビアンナこそ、今のドラセナには魔物に見えた。

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