狼狽

 彼女は煙草を浅く吸ってから持ち替え、灰を駐輪場のアスファルトにはらはらと落とした。いつもなら汚らしいと思うはずの灰が、彼女のすっと伸びた形のいい指先と取り合わせると、なぜか儚く清らかなものとして映った。


 呆けた目でくうを眺めていた彼女だったが、こちらの視線に勘づいたのか見る間に訝るような表情に変わり、視線が鋭くなった。

 私はたじろぎながらも、彼女の手前にあるママチャリを指さす。


「あの……私の自転車、その隣なんです」


 ぎこちなく微笑んでみせると、「ごめんごめん、こんなとこで」と彼女は相好を崩した。

 初めて見る彼女のほころんだ顔に、一瞬心臓が跳ねる。プレイ中の涼しげで凛とした佇まいも素敵だったが、笑うとほんの少し幼さが出て可愛らしいなと思ってしまった。


 私はママチャリのところへ行って手荷物をかごに押し込んだ。

 近付いて彼女の顔を改めて見ると、頬には汗が玉になって流れ落ちようとしていて、首筋にもじっとり汗が噴いていた。


「外でじっとしてるの暑くないですか」


 ゲーセン内にも喫煙所はあるのに、何でわざわざ汗を滴らせてまでしてここで煙草を吸うんだろうと不思議だった。

 彼女は困ったように笑いながら、どうも狭っ苦しいのが苦手でねと言った。


 確かに、ゲーセンにある喫煙所は狭い。一畳にも満たない喫煙所で、複数人たむろしているのを見かけることがあるけれど、見知らぬ異性とああいう空間で窮屈な思いをしながら過ごさないといけないというのは私も嫌かもしれないと思った。


「そういえば、さっきギタフリやってましたよね」


 自然を装いつつ、私は気になっていた話題を振ってみた。


「もしかして見られてた」


 気恥ずかしそうに、彼女は視線をそらす。


「言うてもむちゃくちゃ上手いじゃないですか」


 あれほど華麗にFULLCOMBOを連発しておいて、恥ずかしがる要素がどこにあるんだろうと思ってしまう。

 誰もが憧れるような毅然としたプレイに違いないのに。


「うちあんまり人にじろじろ見られるん好きじゃないんよね。視線が気になるっていうか……。でも女性プレイヤーで、おとゲ―が上手いとそんだけで悪目立ちしちゃうんよね」


 自信なさげにはにかむ彼女は、筐体を前にしたときの振る舞いとは一変していた。伏せられた目のうちは落ち着きなく揺れていた。

 彼女に集まる視線がのたぐいだとしても、それらは「狭っ苦しい喫煙所」と同様に彼女の嫌厭するものなのだろう。


「勝手にじろじろ見ちゃってすみませんでした。つい見惚れてしまって……すごいなぁって」

「そんな大したもんじゃないけど」


 謙遜しながらも、彼女の声音はさっきよりも弾んでいた。


「あなたもギタドラやるん」こちらを一瞥し、煙草をふかした後で訊かれた。

「やってると言えばやってますけど」

「ちなみに好きな曲は?」

「好きな曲……」


 すぐ浮かんだのは、彼女が真摯に向き合っていた『ゴーイング マイ ウェイ!』だったけれど、そう答えるのは安直過ぎる気がして憚られた。


「色々と好きな曲はあるんですけど、急に挙げるとなると難しいもんですね」


 彼女は緩慢に煙草を吸ってから、顔を背け煙が私に掛からないように吐いた。


「今期シリーズは豊作やと思わん」

「ですよねっ」


 前のめりになって同意すると、彼女は嬉しそうに頷いた。


「特に、ゴーイングはほんと名曲やわぁ。聴くたび切なくなるつうか、甘酸っぱさにやられるっつうか。ま、ギターは激ムズ過ぎるんだけど」

「ほんといい曲ですよね。私、見てて変な汗かいちゃうくらいでした」

「ゴーイングから見られてたの……」


 急に彼女は前髪をぐしゃっと掻き上げ、うな垂れてしまった。焦った私は、何とかフォローしようと慌てて口をひらいた。


「すっごくかっこよかったんです。私なんて、ゴーイングのAdvancedですら落ちちゃうのに、あのExtremeの鬼みたいに難しい譜面を顔色変えずにプレイできるなんて。自分の下手さに情けなくなって、こっちが恥ずかしくなるくらいで」


 いつの間にか捲し立てるような早口になっていた。後から、こんなことを初対面の相手に言ってもよかったのだろうか、という不安と恥ずかしさに胸が膨れて動悸が速くなる。


 彼女と視線が合った。すると、企むような意地悪げな笑みを浮かべた。


「セッションしよっか。これから」


 ――何でいきなり、と頭に浮かぶものの急な誘いに言葉が出ない。

 凄腕女性プレイヤーとセッションができるなんて、これほどありがたくおいしい誘いはないのだけれど――。


「ゴーイングやりに行こうよ。うちがクリアさせたげるから」


 お節介であり物好きでもあるその提案に、どういう風の吹き回しだろうと私は尻込みした。


「これから何か予定でもある」

「特に何も……」


 有無を言わさぬ態度で詰め寄られ、私は言葉を濁した。


「安定思考もええけどさ、ときには特攻するほうが成長することもあるんやで。やから、どんどんセッションして難しい曲に挑戦するほうがええよ。そのほうが上手くなるんも早いし」

「そうかもですが……。帰ろうとしてたんじゃないんですか」

「どうせうち暇してるから」


 彼女は携帯灰皿を取り出し、煙草を揉み消して片付け始めていた。


「そういやまだ名前聞いてなかったわ。うちはケイコ。あなたは」

「あかりって言います」

「じゃ、あかり。一緒にこれからセッションしよ」

「……はい」


 彼女の眩し過ぎる笑顔に逆らえなくなった私はこくんと首を縦に振り、苦笑した。

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閃光の如く凛として ウワノソラ。 @uwa_

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