第20話

 ここに住んでいる人達は各々自由に生きているように見える。

 畑仕事をしている人もいれば、洋菓子店を開いている人もいる。

 皆、幸せそうに笑顔だ。

 でも、無理して笑顔を作っている人もいる。

 今あたしの隣を歩いているこの人。普段は仮面のような笑顔を浮かべている。どうしても違和感しかない。

 しばらく一緒に過ごしてきてわかったことがある。

 この人は、笑顔でいなければならなかった。

 誰かに好かれたい一心で魅力的な笑顔を作り続けていた。

 だから、皆は魅了されていた。元から綺麗なのに、化粧しているのも、誰かを惹きつけたかったから? 誰かにかまって欲しかったから? それほどこの人を寂しく感じさせていたのは、やっぱり虐待が原因?

 あたしが気安く関わって良い問題じゃないわよね。何をされたかは気になるけど、わざわざ心の傷を抉るようなことはしたくないもの。

 片脚の無い人が車イスで移動していた。通りすがりに会釈をする。弐色さんは手を振っていた。次に、片腕の無い人が通った。片目が抉れている人、指が六本ある人、顔に痘痕あばたのある人。色んな人が通っていく。

「生きられなくなったんだから、仕方ないよね」

 弐色さんはポツリと呟いた。生きられなくなったの定義があたしにはわからない。

 今まで通った人達は、身体に何かしらのハンデがあるように見えた。

 でも、皆、にこにこ微笑んでいて、幸せそうだった。

 弐色さんは少し淋しそうな表情をしていた。どうして笑ってないんだろう?

「ねえ、弐色さん。あの人たちは、生きられなくなったの?」

「そうだよ。理由は様々あるけれど、多いのは差別かな……。イジメとか、そういうのがあるね。キミは、死にたいとか殺したいとか思ったことはないの?」

「先日までなかったわ」

「だろうね。ここに居るのは、様々な事情を抱えて、現世うつしよで生きられなくなったもの。『普通』の生活ができないもの。僕の場合――キミは知っているね」

「虐待よね?」

「そう。僕は呪われた子。厄災やくさいの巫女。毎日叩かれたり、狭くて暗い所に閉じ込められたり、熱湯をかけられた後に冷たい水をかけられるのを繰り返されたり、きちんとした女でもないのに交合こうごう――強姦されたりね。……思い出すだけで気持ち悪い」

 弐色さんのされていた虐待は単なる暴力だけじゃなかった。性的暴行も含まれていた。

 そうよね。こんなに美形ならそうなっても、仕方ないことじゃないけれど、仕方ないわよね。

 それなら、フラッシュバックであんな状態になるのも頷ける。

 手を振るだけで少し身構えているのを図書館であたしは見た。景壱は叩くつもりなかったんだろうけど、あの程度のふりで身構えるって……。

「なんて言うのは嘘だよ。信じたの?」

「嘘じゃないでしょ」

「嘘だよ」

 弐色さんは笑う。

 でも、これは仮面。隠してる。あたしにはわかってしまった。

「嘘吐き」

「そうだよ。僕は嘘吐き。だから信じちゃいけないって言ったでしょ」

「そうじゃないわ。貴方は、自分の気持ちに嘘を吐いているのよ。本当は――」

「キミに僕の何がわかるって言うのさ!」

 弐色さんの袖からコウモリが舞い上がった。

 感情に反応して出てくるの? 彼からは笑顔が消えていて、目に涙が溜まっていた。図星みたい。

「何もわからないわよ。あたしは貴方じゃないもの」

「それなら何も言わないで放っておいてよ!」

「放っておけたら放ってるわよ!」

 あたしの怒鳴り声に弐色さんはビクッと跳ねあがる。

 道の真ん中で何してるんだろう。あれだけ行き来していた人達が今は周りにいない。

 ぶわあっと音をつけたい程に、弐色さんの目から涙が流れ出ていた。

 怒鳴るのはやっぱり駄目だったわね。どうしよう。また抱き締める? でも、今は意識もはっきりしてるし、あまり刺激しないほうが良いと思うけど……。

「どうして……僕に…………かまうの……?」

「だって、弐色さんはあたしを助けてくれたもの」

 そう。最初にタケちゃんを捜しに来て、迷った時に帰り道を教えてくれた。

 嘘を教えるなんてしなかった。二回目もこやけちゃんに見つからないように帰り道を案内してくれた。道中はちょっと腹立つようなこともあったけど。

 だから、今度はあたしが助けたいと思った。あたしには心の傷を癒すなんて大それたことできないけれど、少しでも、何かできたらって。

「そんなの意味わからなっ、ゲホッ、けほっ」

 弐色さんはあたしに背を向けると、しゃがんだ。溝に黄色く薄い膜に覆われた未消化の吐瀉物としゃぶつが薄く広くひろがっている。

 すごく苦しそう。あたしは弐色さんの背中を撫でる。すると、逃げるようにして、振り向きながら、後ろに下がられた。泣き止んだだけ良かったかしら。でも、ちょっとふらついている。顔色も悪い。

「大丈夫?」

「……っ、うぇ。げほっ、はぁ……大丈夫に見えるの? キミの目って節穴なの? きゃははっ」

 笑ってるのは強がってるだけ。心配させたくないから、笑って誤魔化している。あたしにはバレバレ。

「弐色さん。無理して笑わないで良いのよ」

「っ、何なのキミは! 僕の何がわかるって言うのさ!」

「だから、あたしは、貴方じゃないから何もわから――」

 コウモリが、あたしを取り囲んだ。弐色さんの姿が見えない。

 鋭い牙が腕に刺さる。痛い。腕を振っても、コウモリは離れない。

 あたし食べられちゃうの? それは嫌! あたしはなんとかコウモリを払い落とそうとする。でも、数が多すぎる。痛い。痛い。もう駄目。手に力が入らなくなってきた。

 あたしは目を閉じる。痛いのは変わらない。でも、こうすれば、何も見えない。怖いものは何も見えない。目を閉じると、歌声が聞こえた。透き通るような綺麗な歌声。なんだか聞いたことある声のような……?

 サァーっと音が聞こえた。あたしは目を開く。

 コウモリが地面に落ちている。地面は濡れていた。雨だわ。

 弐色さんを見ると、苦笑いを浮かべていた。あたしだけどうして濡れてないの? 少し上に星空が見える。これ、傘だわ。

 後ろを向くと、星のまたたく碧い瞳と目が合った。

「気を付けてって忠告してあげて早々これ? 道の真ん中で痴話喧嘩はやめて」

「痴話喧嘩じゃないわよ!」

「じゃあ、何? 知りたい。教えて」

「嫌よ」

「何で?」

「何でも!」

 教えてと言われても、何なのかあたしもわかっていない。

 景壱は首を傾げると、さっさと歩いて行ってしまった。雨は止んだ。

「はぁ……。何で僕だけびしょ濡れにならなきゃいけないの……」

「えーっと、それは、その……ごめんなさい?」

「…………癪だけど、お蔭で頭が冷えたよ。手当てしてあげる」

 弐色さんは袂から人の形をした紙を出す。

 人差し指で星の形を描いてから、何かを呟きながらコウモリの咬み傷をなぞった。紙は黒くなって、あたしの腕の傷は消えていた。弐色さんは紙を口に入れて噛んでいる。飲んじゃった。

「それって、食べて大丈夫なの?」

「僕は呪われているからね。祓われた方が死んじゃうよ」

 答えになってるのかいまいちわからない。弐色さんは小さくクシャミした。晴れたし暑いけど、やっぱり、濡れた服のままだと風邪ひいちゃうわよね。

「キミはどうやら僕に関わりたくて仕方ないようだだから、特別に許してあげちゃう。きゃはっ」

「何よその言い方。寂しそうにしてたのは、貴方じゃないの」

「寂しいよ。だって、誰も、僕を愛してくれないもの」

「じゃあ、あたしが――」

 と言いかけて止まった。愛するって、どういう意味?

 友達として? でも、友達を愛するなんて言うかしら? じゃあ、恋人? 

 いやいや、そんなことはない。

 あたしが悩んでいるとクスクス笑う声が聞こえた。弐色さんが笑ってる。自然の笑顔だ。あたし、笑われてる。でも、笑われても良いかもしれない。だって、それだけ寂しさが紛れてるってことになる。少しでも、力になってる。

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