第19話


 弐色さんの家の前には森が広がっていた。

 もしかして、ここって森の中?

 でも、庭から木なんて見えていなかったような気がするんだけど……気がするだけかしら? 木だけに。……我ながら寒いわね。

「森の中に家があるの?」

「そうだよ」

 聞くとすぐに答えてくれた。

 今度から積極的に聞いていくことにしよう。ここに住もうと決めたんだから。

 森の中を歩く。鬱蒼とした暗い森。童話であったわね。ヘンゼルとグレーテルが迷い込んだっていうのが暗い森だったわよね。でも、それがどんな森なのかあたしもよくわからない。

 森を抜けると、草原が広がっていた。遠足でお弁当を食べるのにちょうど良さそうな感じの芝生がある。レジャーシートを敷いてお弁当を広げてってすれば楽しそう。まあ、できないんだけど。

 あたしは一気に現実を見つめ直した。あたしはもう幼稚園教諭じゃないんだから、そんなことを考えても何にもならないのよ。でも、ここにいても何かしら働きたいと思うわ。

「ねえ、弐色さん。あたし働きたいんだけど」

「こやけに仕事を貰いなよ」

「こやけちゃんに?」

「キミはこやけの管轄だからね。その赤いリボンがある限りはペットだよ」

 やっぱりあたしの扱いはペットなのよね。そこはどうしても覆ることの無い現実。

 しばらく歩いていると、洋館が見えてきた。洋館の前には『図書館』と書かれた看板が立っている。図書館もあるのね。けっこう大きいから何でも揃ってそうだわ。

「ここは図書館だよ。何か調べたいことがあったら来たら良い。景壱に聞いた方が早いだろうけど、自力で調べたいならここかな。ついでだから入ってみようか」

「もう開いているの?」

「開いてるよ」

 扉を開けて、中に入る。

 見渡す限りに本が並んでいる。壁全部が本棚。ハシゴがついていて、高いところにある本はあれを使って取るみたい。海外の図書館もこんな感じだったような気がする。なんというか、とってもオシャレだわ。

「あれ? 晴れているのに外にいるんだね。左頬はどうしたの?」

 弐色さんが声をかけたのは、暑いにも関わらず長袖の上着を着ている青い髪の人。つまり、景壱。

 左頬にはガーゼが貼ってある。さすがに一日じゃ治らないわよね。あたしは心の中で「ごめんね」と繰り返す。景壱は話しかけられたのが鬱陶しいかのように軽く手を振る。

「こやけが絵本の返却を忘れてたから。それと貸し出しカードを無くしたから再発行の手続き。俺が直に来たほうが早く終わる。あと、頬のこれは、菜季に焼かれた」

「……なるほどね。こやけは一緒じゃないの? キミが一人って珍しいよね」

「静かにしてるのが嫌やから来てない。それに俺は一人でも行動している。たまたまこやけと一緒にいる時ばかりにあなたと会うだけ。ついでに言うけど、俺は晴れてようが外に出ることができる。全く外出できないわけではない」

「はいはい……、長々と説明ありがとう。会ったついでだし、菜季を連れて帰る?」

「こやけが夕方に迎えに行くって言ってたやろ? いや、手紙にしていたか? それに、俺は人間ペットの世話なんてしたくない。世話するのはこやけだけで十分」

「ふぅん。そう」

 行こうか。と付け足して、弐色さんはあたしの腕を掴んで、扉に手をかけた。

 説明されてないんだけど、もう出ちゃうの?

 あたしは思ったけど口には出さなかった。外に出る瞬間。景壱があたしに向かって声をかけた。

「その人は嘘吐きやから、気を付けた方が良い。騙されて幸せかどうかはあなたが決めることやけど、いつでも偽りに寄り添ってばかりもいられない。残酷な真実を受け入れるか、優しい嘘に騙され続けるか、どっちにしても、あなたは、その人に気を付けて」

 また「嘘吐き」って聞いたけど、弐色さんはいつ嘘を吐いているんだろう?

 お守りのことは嘘だって本人が言っていた。

 こやけちゃんも景壱も、本人さえも「嘘吐き」と言っている。

 でも、あたしには嘘がわからない。嘘だとわからない限り、それは本当のことになる。

 だから、嘘吐きにはならない。

 嘘を吐いていると最初からわかっているとしたら、誰も信じない。

 羊飼いの少年がそうだったわよね。本当のことを言っているのに、信じてもらえず狼に――ってお話。そもそも「嘘吐きだから」って発言が嘘だったら、どうなるの?

 弐色さんは正直者になる。でも、嘘を吐いてるから……わからない。

 この人は誰にも信じてもらえずにいるの? それは可哀想だわ。

 不信感や恐怖心がある子は嘘を吐くって習ったことがある。そうだとしたら、あたしだけでも信じてあげたい。

 本人が「信じない方が良いよ」と言ってたけど、あの時は嘘を吐いているようには見えなかった。

「気にしなくて良いよ。景壱はいつもあんな感じだからさ」

 景壱の火傷のことを考えてたんじゃないけど、弐色さんにはそう見えたみたい。いつもの笑顔でそう言われた。違和感のある魅力的な笑顔で。

 道なりに歩いて行くと川が見えてきた。川原では子供達が石を積んでいる。でも、積んでない子もいた。石を積んでない子は、石を積んでいる子がせっかく積んだ石を蹴り飛ばして崩していた。

 なんて悪い子なの! そんな事するなら、こやけちゃんに首を刎ねられてしまえば良いのに!

「菜季、駄目だよ。あの子が死ねば良いと思ったでしょ?」

「え」

「……こやけが来る前で運が良かったのかな。それとも、僕が来たから運が悪かったのかな。どちらにせよ、悪い子には罰を与えないといけないね」

 弐色さんのひどく冷たい声色に悪寒が走った。悪い子にコウモリが群がっている。たまに赤い雫があがる。

 数秒もしない内に悪い子の姿は消えていた。弐色さんは何を言うでもなく、さっさと橋を渡っている。

 今、何が起きたの? 悪い子は何処に消えたの? 小走りで弐色さんに追いついて、袖を掴む。

「どうかした?」

「あの子は何処に行ったの?」

「ああ。僕の胃の中だよ」

 舌を出しながら弐色さんは笑った。その唇は赤く濡れているように見える。けれど、これはリップを塗りなおしただけ。この人のことだから、きっと持ち歩いているはず。袂に細長いものが入っているもの。

 これは嘘ね。

「何処に行ったの?」

「そんなに知りたいの?」

「ええ。知りたいわ。教えて」

「うーん。そうだなァ。これは僕のセリフじゃないんだけど……真実に近付くにはそれなりの代価が必要になる。その代価は人によってはまちまちなんだけど――」

「景壱の真似は良いから、教えて」

「キミさァ。景壱に『話を途中で終わらせるな』とか言われたことない?」

「あったかもしれないし、なかったかもしれないわ」

「もうここにはいないよ」

「それって、死んじゃったの?」

「そう思うならそうしておけば良いよ。こやけなら『孵化した』とか言いそうだけどね」

 あれ? でも、ここにいるのって死んだ人だったわよね?

 これ、前も考えたわよね。けっきょく、答えは何だったかしら?

「ここにいるのは死んだ人じゃないの?」

「ううん。僕もキミも生きているよ」

 こやけちゃんにも同じことを言われたような気がする。

 あたしは生きているからって話も聞いた覚えがある。

「ここは、生きられなくなったものが来る場所だからね。確かに、死人もいる。自分が死んだって気付いていない人もいる。そういう人も含めて、ここでは永久の安らぎを約束する」

 永久の安らぎが何なのかあたしにはまだわからない。

 何度も聞いたようなフレーズなんだけど、今のところ、あたしはずっと驚いたり、泣いたり、怒ったりしてばかりだ。安らぎって何だろう? と思うくらいにはわからない。

 更に歩みを進めると、白い建物があった。ガラス張りの入り口に夕焼けの写真が貼られている。建物近くの石に『夕焼けの里観光協会』と彫られていた。観光協会なんてあるの?

「ああそっか。菜季はオカルトとかあんまり詳しくないんだね。おばあさまは有名な占い師だったのに」

「あたしはおばあちゃんがどれだけ有名だったのか知らないくらいよ」

「閑院先生はとても有名だよ。僕の母様も尊敬するくらいにはね。式符に降ろした時に僕も驚いたくらい。……で、ここは、夕焼けの里観光協会。オカルトだとか心霊だとか、その筋が好きな人には有名なんだよ。この里自体がね」

「知らないわよ」

「きゃはっ。知らない方が良かったのにねェ。ご愁傷さま」

 弐色さんはクスクス笑っている。おばあちゃんのことを知ってたことが気になったけど、この人はあたしを置いて、さっさと観光協会に入ってしまった。案内する気あるのかしら。

 観光協会の中は吹き抜けていて、高い天井に綺麗なステンドグラスがはめ込まれていた。

 白を基調としているようで、何処を見ても綺麗に磨かれている。大理石の床は滑って遊ぶことができそうなくらいピカピカ。汚れた靴で入るのをちょっと躊躇ためらう程度。弐色さんはカランカランと下駄を鳴らしている。高下駄を履いていて疲れないのかしら。突然、カウンターからおばちゃんが駆け寄って来て、弐色さんに抱き着いた。

「ニシキちゃーん! おばちゃんに会いに来てくれたのー? 相変わらずべっぴんさんねぇー!」

「そうだよ」

「もーっ! べっぴんさんはこれだから調子が良いわねー。そちらは菜季さんね。ようこそ夕焼けの里へ!」

「どうしてあたしの名前を知っているの?」

「こやけちゃんが『ペットの登録をしたい』って来たからよー」

 ふっくらした愛想の良いおばちゃんがあたしをバシバシ叩きながら話を続ける。典型的なおばちゃんって感じがするわ。

 弐色さんは溜息を吐きながら、近くのソファに腰掛けた。

 もしかして苦手なタイプだったりするのかしら。

仲西なかにしさん。菜季に夕焼けの里の地図をあげて」

「もーっ! ニシキちゃん! おばちゃんのことは『佳代子かよこ』と呼んでって言ったじゃないのぉ」

「佳代子。地図をあげて」

「はぁい」

 おばちゃん――佳代子さんは嬉しそうに返事をすると、カウンターの奥に引っ込んで、地図を持ってきた。

 弐色さんは疲れたような表情をしている。笑顔が消えている。やっぱり苦手なタイプなのね。

「はい。これが夕焼けの里の地図。ニシキちゃんのお家はここ。こやけちゃんと景壱ちゃんのお家はここよ。そして、観光協会がここ」

 佳代子さんはペンを取り出して、地図に勝手に書き足していく。

 書く前に許可を取って欲しかったけど、どうせここに住んでいる人はあたしの話を聞かないと思うからもう何も言わないことにした。

 こうやって地図を見ると、弐色さんの家だけ離れている。たまたまかしら? それにしては、まるで隔離されてるような……? 川は里中を分流しているようで、橋も数か所架かっている。

「ありがとうございます」

「どういたしまして。ねぇニシキちゃん。もう一回『佳代子』って呼んで」

「佳代子」

「うーん! 最高! オンナに戻った気分だわー! お仕事がんばっちゃおっとー!」

 佳代子さんはそう言い残すとカウンターの向こう側に戻っていった。

 観光協会とは言っても、役所のようなものかしら。『住民登録』や『ペット登録』と書かれた看板が見える。

「地図も貰ったし、行こうか」

「あの、ここって観光案内はしてもらえないの?」

「ああ……。するよ。こやけがね」

「こやけちゃんが?」

「夕焼けの精霊様だからね。夕焼けの里のアイドルだよ。この場合のアイドルは、偶像の意味が強いけどね」

なんだか更にここのことがわからなくなってきた。


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