第21話

 それから、弐色さんは「服を着替えたい」と言って、商店街に来た。意外と品ぞろえが良いのね、ここ。

 前に聞いたように、端っこにコンビニがあった。こやけちゃんと来た時と逆方向から入ってるのね。

 弐色さんは和服を買うのかと思いきや、洋服に着替えて戻って来た。顔が綺麗だからか、何着ても似合うのはちょっとずるい。濡れた服はショップバックに入れられていた。

「さて、案内を続けるね。ここは商店街。色んな店があるよ。洋菓子店は最近できたんだ」

「そうなのね」

 さっきまでのことが嘘のように、弐色さんは明るく説明してくれる。説明らしい説明を聞いたのは今回が初めてなんじゃないかしら。

「あ、弐色さーん!」

「ああ。悠太ゆうた、おはよう」

「おはようございまーす! そちらは? 彼女っすか?」

「違うよ。迷子の――寺分菜季だよ」

 弐色さんに名前を呼ばれた瞬間、まるで心臓を鷲掴みにされたような苦しさを感じた。

 悠太さんはあたしに向かっておじぎをする。

 その首には、どす黒い跡があった。まるで切り離されてまたくっつけられたようだわ。今にもベロンと皮が剥がれて首が落ちそう。得体の知れない恐怖にあたしの背筋が凍り付く。

「あ、このリボン! こやけちゃんのお友達ペットになれるなんて、凄いっすねー!」

「そ、そう?」

「そうっすよ。じゃあ、これから仕事あるんで! 行ってきまーす!」

「行ってらっしゃい」

 悠太さんに手を振って別れる。弐色さんは仮面のような笑顔に戻っていた。

「菜季。あの子はね、こやけに首を刎ねられたんだよ。でも、そのことは忘れてる――と言うより、忘れさせられたのかな。まあ、どうでも良い話だったよね」

 どうでも良くないと思う。でも、あたしが何かしたところで状況は変わらないだろうし、今とても幸せそうだから、それで良いのよね?

 商店街の説明はしっかりしてくれた。図書館なんて説明してくれてないようなものだったのに。

 弐色さんは楽しそうに鼻歌を歌ってるんだけど、音程が滅茶苦茶で、何の歌かさっぱりわからない。これだと景壱が怒るのも頷ける。……あたしも怒られそうね。

 弐色さんは七分袖の洋服に着替えたから、腕の傷が見えて痛々しい。剃刀で切ってるのかしら……。傷が塞がってるところもあるけど、まだ新しいような傷跡もある。服で擦れて血が伸びて固まったって感じ。そんなことを考えたところで、あたしは彼の心の傷をどうこうできない。さっきのように「放っておいて」って言われてしまうのがオチだと思う。

「ここはバス停だよ」

 道路に斜めにバス停の札が突き刺さっていた。何で斜めなのよ。時刻表が真っ白でバスがいつ来るか全然わからない。時刻表の意味をなしてないわよ。

「バスはいつ来るの?」

「来ないよ」

「え?」

「たまに迷子が来るんだ。でも、この駅で降りたら……きゃははっ」

 弐色さんは妖しく笑うと、さっさと歩いてしまった。

 きっと「帰ることはできない」とか言う感じなんだと思う。真夏の怪談番組でよく聞くフレーズだわ。

 都市伝説の番組とかでもやってそう。あれ、そういえば、都市伝説もオカルトってやつに入るのかしら? それなら、あたし、ここのことをもっと知ってそうだと思うんだけど――……何も思い出せないわ。

 あたしは歩きながら自分の名字を思い出したり、家族構成を思い出したりしていた。忘れて良いと思ったけど、やっぱり家族のことを忘れるのは駄目だと思ってきた。おばあちゃんの言ってた現世の意味もきちんとわかってないけど、現世のことを覚えてないと、戻れない気がしていた。

 意志をしっかり持つように言われたし、しっかりしないと!

 田んぼを見ながら歩いて行く。小川を渡って、お地蔵さんのある角を曲がって、坂を上る。ここって……。

「ここは言わなくてもわかるよね。呪願怨室本舗じゅがんおんしつほんぽ。こやけと景壱のミセだよ。何でこんな名前にしたか景壱に聞いたら、『呪い、願い、怨みの集まるへやってこやけが言うてた』ってさ。ここは願いを叶えるミセでもあるけど、見世物小屋でもあるんだ。雨の日は景壱が何か面白い事をしているよ。あ、たまに現世の劇場で何かしてるみたいだね。闇オークションかな? きゃはっ」

 呪い、願い、怨みの集まる室って、物凄くそのまま名前にしましたって感じがする。

 こやけちゃんが説明してた地味な呪いの仕事の地味さには笑ったもんだわ。つい最近のことなのに、なんだか懐かしく感じてしまう。

 それにしても、見世物小屋とか闇オークションって……あまり見たくないわね。

「夕方になれば、こやけが僕の家に迎えに来るから、入らないよ」

「うん」

「……ねえ、元の場所へ帰りたいと思わないの? キミはただの迷子だよ? ここにいても、キミは――」

「良いのよ。あたしにはもう居場所が無いの。ここなら、こやけちゃんのペットという扱いだけど、きちんと居場所があるし」

 おばあちゃんも「戻りたくなったら戻れば良い」と言ってた。今はその時じゃない。

 まだ、あたしは戻れない。ここにいたいと思ってしまっているもの。あれ、そういえば――……。

「タケちゃんはどうしてるの?」

「ああ、あの子ね。菜季はどうしてあの子が川で死んだか知ってる?」

「知らないわ。弐色さんは知ってるの?」

 あたしの言葉に、弐色さんの口が横倒しにした三日月のように弧を描いた。

 何度か見たけど、この笑顔の時の弐色さんには悪い予感しかしない。

 タケちゃんはどうして川に入ったの? 不慮の事故だったの? その川は何処の川だったの? 夕焼けの里? でも、夕焼けの里で会った時、タケちゃんの服は濡れてなかった。それに、歩いてた。ここでは死人も歩けるみたいだけど……タケちゃんは何処で溺れたの?

「菜季は、タケちゃんの世話をしていた先生を知ってるよね?」

「知ってるわ。その人が『目を離した隙にタケちゃんがいなくなった』って言っていたもの」

「それが、もしも嘘だったらどうする?」

「嘘だったら?」

「そう。目を離した隙に、じゃなくて――その先生がタケちゃんに『あの森に楽しいところがあるから行っておいで。内緒にしててあげる』と言ったらどうすると思う?」

「それなら森に行くと思うわ」

「きゃはっ。さすがだね。先生が『川の中に綺麗な石があるから取って来て』と言ったら?」

「川の中を探すと思うわ」

「もうわかるよね」

 森に入って、川の中の石を探すタケちゃんに何かが起こって、溺れた。その何かがわからない。だって、この話なら、先生はタケちゃんに付き添ってる。あれ、付き添ってる……?

「もしも、先生が、タケちゃんのヤンチャっぷりに嫌気がさしていて、死ねば良いのにと思ってたとしたら――川で溺れさせちゃうよね」

「溺れさせるって、どうやってよ?」

「きゃはははっ! 菜季、洗面器でも人は溺れることができるんだよ」

 子供を溺れさせるなんて簡単だよ。弐色さんは笑いながら付け足した。

 それじゃあ、タケちゃんを見ていた先生は、タケちゃんを殺したの? 面倒見るのが嫌になったからって? そんなくだらない理由で?

「石を探すタケちゃんの後ろから、頭を掴んで、水面に浸ける。これだけで死亡おしまいだよ」

「そんな……」

「でも、僕は嘘吐きだから、信じるも信じないもキミ次第。信じない方が良いけどね」

 これはきっと、嘘じゃない。弐色さんは本当のことを言ってる。

 頭の奥がガンガン響くように痛む。何か危険なところに触れてしまってるみたいだわ。

 そもそも、あたしは、タケちゃんがいなくなったからここに来ることになったと思ってた。

 でも、あの先生が目を離したのが一番悪いと思ってた。だって、あの人がきちんと見ていたなら、あたしは仕事をクビになることも、ここに来ることもなかった。

 あの人も死んじゃえば良いのに……。

「菜季。憎しみを溜めていたら身体に悪いよ。僕に頂戴」

「――っ!」

 頬に手を添えられたかと思ったら、唇を重ねられた。

 だから、何でこんな勝手に――!

「きゃははっ、顔赤いよ」

「何でこんなことするのよ!」

「憎しみが溜まっているみたいだったからね。あんまり溜めると、景壱の言葉に騙されてしまうよ。僕より性格悪いからね」

「何なのよそれ」

 怒る気力もなくなった。

 何故か頭の痛みもすっきり消えた。代わりに弐色さんの顔色が少し良くなってる?

「真実を知りたいのなら、景壱に聞いてみると良いよ。でも、こやけが一緒にいる時に聞いた方が良い。何してくるかわからないからね」

「それは、そうね」

「それじゃあ、タケちゃんがいるかもしれないから、川に行ってみようか」

 通りすがりの老夫婦と挨拶を交わす。顔色がすごく悪いのに、笑顔で幸せそう。弐色さんは「練炭自殺の心中だよ」と言った。嘘なのか本当なのかわからない。でも、きっと本当のことなんだと思う。

 川原では子供達が石を積んでいる。タケちゃんの姿は無かった。

 他の川原で積んでるのかしら? 弐色さんは子供に話を聞いている。昨日、こやけちゃんも聞いてたわね。どうしてか遠い昔のことのように感じてしまう。

「石を積んでいたからわからないってさ」

「それ、昨日こやけちゃんが子供の死体が何処に消えたか聞いた時も同じ答えだったわよ」

「答えはみぃんな一緒だよ。これは景壱に聞いた方が良いかもね。っと、待てよ……もしかして」

「もしかして?」

「菜季、昨日何のシチューを食べちゃったの?」

「あ、あんまり思い出したくないんだけど、人間の子供のホワイトシチューよ」

「ああ! それなら話は簡単だね。タケちゃんはここにいるよ」

 弐色さんはニッコリと音がつきそうな笑顔を浮かべながら、あたしのお腹を指差した。

「嘘……。嘘よね……? 昨日『食べてない』って言ったわよね? お願いだから嘘って言ってよ!」

「正しくは、だよ。だから、食べている可能性もあるんだよね。景壱に聞いたらすぐに教えてくれるよ。僕みたいに、嘘を吐かずにね。きゃはっ」

「そんなぁ……」

「でもまぁ……菜季は『人間を食べたよ!』と言いたいんだね。だって、わざわざ『人間の子供のホワイトシチューを食べた』って教えてくれたもの。ちょっとでも違うと思っているなら、ホワイトシチューだけで良かったのに」

 弐色さんはケラケラ笑っている。お腹を抱えて笑っている。あたしは何が何だかわからなくなってきた。

 あたしは、タケちゃんを食べてしまった? タケちゃんは、こやけちゃんに首を刎ねられた? あれは、タケちゃんだった? タケちゃんはどんな服を着ていた? もう思い出せない。顔も、声も、何もかも。

 覚えているのは、あたしがここに来ることになった原因ということ。

 あたしが食べたシチューに使われていたのが何の肉だったかとか忘れることにしよう。

 今更、何も変わらないもの。食べちゃったものは仕方ない。


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