第6話

 静かな森に、凛とした声が響いた。

 あたしは声のしたほうをゆっくり向く。月が雲に隠れたみたいで、森の中は更に暗くなった。

「やっと見つけました。これでおしまいですね!」

「嫌よ!」

 声の主は、夕焼けの精霊のこやけちゃんで間違いなかった。

 あたしは彼女に背を向けて駆け出す。後ろから「逃げないでください! そっちは駄目なのです! そっちには――……」って声が聞こえたけど、逃げるに決まってる。

 木が次々に後ろへ流れていく。後ろを見ても彼女が追ってきている様子は無かった。振り切れたのかしら?

 あたしは息を整えながら森の中を歩く。この森こんなに広かったかしら?

 こんなに走ったんだから、もう森の外に出れても良い頃だと思う。

 耳を澄ますと、ぽろんぽろんとハープの音と歌声が聞こえた。こんな森の中で誰か練習しているの?

 あたしは歌声に釣られるままに足を向けた。森の開けた場所の切り株に、ミニハープを抱えて歌っている人がいた。月明かりに照らされて、青い髪がキラキラ光って見える。すごく綺麗な歌声。あたしは遠くから歌に聞き惚れていた。しばらくすると、歌声とハープの音が止まって、歌っていたその人はあたしのほうを見る。

「そんな遠いところで聴かずにこっち来たら?」

「あ、ご、ごめんなさい。すごく綺麗な歌声だったから、邪魔しちゃいけないと思って」

「お褒め頂きありがとぉ」

 あたしは、歌っていたその人に近付く。

 青い髪に碧い瞳をした顔の整った男の人だ。弐色さんが美形だとしたら、この人は可愛いって部類に入りそう。まるでお人形のような顔をしてる。……本当にお人形だったりしないわよね? だって「禁足地」と言われている森にいるのよ。おかしいわ。それに、さっき夕焼けの里でも同じような音を聞いたような……。

 今更気付いても遅いわね。男の人は花の蕾がほころんだような愛らしい笑顔を浮かべている。でも、なんだか違和感。弐色さんの笑顔のように違和感があるわ。何かが、おかしいのよね。

「今日は綺麗な下弦の月やね」

「そうね。……あなたは関西の人なの?」

「ううん。『方言男子は親しみやすい』という統計的なデータに基づいて、俺はそういう話し方をしているだけやね。その方が人間も怖がらないし、親しみを持ってくれる」

 今すごく聞いちゃいけないことを聞いてしまったわ。

 人間もって言うことは、目の前にいるのは人間ではないってことよね。ああ、あたし後悔しっぱなしだわ。

 あたしが黙っていると、彼は再びハープを弾きながら歌い始めた。やっぱりすごく綺麗な声。心が癒されるというか、洗われるというか、溶けてしまいそう。

 あたしがすっかり歌の虜になっていると、草むらからこやけちゃんが飛び出してきた。左手に身の丈以上ある大鎌を握っている。草を薙ぎながら来たのか服は草だらけになっていた。鎌の正しい使い方ね。

 彼も彼女が来たことに気付いたみたいで、歌が止まる。そして立ち上がって後ろに数歩下がった。そりゃあんな大鎌を見たら後ずさるわよね。彼を巻き込むのは可哀想だけど、あたしも捕まりたくない。

 だって、おしまいって本当に何なのかわからないもの。とりあえず、彼に事情を話しておこう。

「あの子、あたしを追って来ているの! え、えっと、逃げ――」

 あたしが逃げようと回れ右をしたら、腕を掴まれた。そうよね。あたしだけ逃げるなんてズルいわよね。

「逃げる必要は無いよ。寺分菜季さん」

「え、どうしてあたしの名前を……」

 あたし名乗ったかしら? ううん。名乗ってなんかいないわ。

 彼を見ると微笑んでいた。笑っているんだけど、笑っていない。これは、笑っていないわ。こやけちゃんを見ると、少し不機嫌そうな顔をしていた。

「あなたのことなら知ってる。寺分菜季。身長、百五十センチメートル。体重、五十四キログラム。血液型はO型。誕生日は八月八日。昼に産まれた子やね。バストサイズはDカップ。最近Eカップに成長してるような気もする。好きな食べ物はシュークリーム。嫌いな食べ物はパクチー。家族構成は父、母、祖母、弟。幼稚園教諭をしていたが昨日解雇された。現在求職中。生理周期は――」

「待って! 待って! 何でそんなこと知ってるのよ!」

「……彼が、私の主人だからですよ。だから『そっちは駄目』と言ったのに」

 こやけちゃんは溜息を吐きながら、大鎌を消した。この人が、ご主人様? ということは、おしまいってことじゃないの。あたしは腕を振り払う。その瞬間、あたしのカバンからコウモリが大量に舞い上がって、こやけちゃんとそのご主人様を取り囲んだ。コウモリはお守りから出て来てるみたい。って見てないで逃げないと!

 あたしはコウモリをカバンから撒き散らしながら、森の中を駆け抜ける。

今度は見慣れた場所へと出ることができた。急いでタクシーを拾って、家へ帰る。家にさえ帰れば、おばあちゃんが何とかしてくれる。助けてくれる。あたしはそう思っていた。

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