第3話

 翌日。あたしは昼過ぎに森へ向かった。森の中はやっぱり鬱蒼としていた。木漏れ日も頼りないくらいにほんの少しだけ。豆電球のように弱々しい光が射していた。

 この前と同じようにあたしは橋を渡る。

 渡り切ったところで、景色は突然オレンジ色に染まった。二度目だとそう驚かなくなるわね。

 あたしは空を仰ぐ。夕焼けが見えた。まだ昼過ぎなのにどうして夕焼けが出ているのかしら。不思議には思うけれど、この場所自体が不思議だし、もう驚くのも面倒だわ。

 それよりも――……。

「あの人何処にいるのかしら?」

 周りを見渡しても、森。

 木がたくさんあるなぁ、としか言えないわ。

 とりあえず森を出ようと歩みを進めていく。途中でお地蔵さんをたくさん見かけた。お地蔵さんには苔が生えているものもあった。お手入れをされていないようで、ヒビの入っているものもある。中には首が無いものも、砕けているものもあった。背中がちょっぴりヒヤッとした。

 お地蔵さんを横目に歩いていく。途中で壊れた看板が目に留まった。多分『立入禁止』って書かれてるんだと思う。こんな場所でも森は禁足地になってるのね。

 ようやく森を抜けると、子供達が川原で石を積み上げて遊んでいた。この前は人なんていなかったのに。

 あの子達に聞いたらわかるかしら。

 あたしは話を聞くために川原へ下りていく。

「ねえボクたち、この辺で、えっと、左目に眼帯をした紫色の和服を着たお兄さん見てない?」

 あの人がいつも眼帯をしているかとか紫色の和服を着ているかとかわからないけど、こういう聞き方しかできない。

 子供達はヒソヒソ話し合った後、あたしの顔をじーっと見て、言った。

「おねーちゃんは、弐色にーちゃんに会いたいの? にーちゃんなら、神社にいるよ」

「神社は何処にあるの? 案内してもらえない?」

「この森の中にあるよ。ボクたちはここで石を積まなきゃいけないから……」

「何で石を積むの?」

「石を積まないとこわーいおねーちゃんが……あ!」

「え?」

 みんな慌てて石を積み上げ始めたので、振り向く。

 オレンジ色の長い髪に赤い目をした女の子が立っていた。若草色の着物ドレスがよく似合ってる。年齢は高校生くらいかしら? 年齢に不釣り合いなようなガーターベルトが太腿で白いオーバーニーソックスを留めていた。まるで美術館で飾られている絵から抜け出て来たような顔をしてる。しばらく見惚れていたけど、彼女の手にはいつの間にか身の丈以上の大きさの禍々しい鎌が握られていた。

 オレンジ色をした女の子はあたしに向かって鎌を――……。

「なき、伏せ!」

 声と同時にあたしの身体は意思とは関係無く伏せる。湿った石が少し気持ち悪い。ちょっと潮のような香りもしてくる。海水、とは違うわよね。

 ビュンッ――……頭の上を風を切る音がした。

 コンコンッ、多分、鎌の柄で石を叩いてる音だと思う。あたしは動けないからどういう状態になっているかわからない。

「……弐色さん。どうしてこの人の名前を知っているのです」

「そんなに怖い顔しないでよ。別にこの子の首を刎ねてもキミは嬉しくないでしょ? まだ命乞いもされてないんだからさ」

「質問に答えなさい」

「んー、そうだなァ。ふるい友人ってところかな! きゃははっ」

「時代遅れはどちらなのです。まあ良いです。よそ者に邪魔をさせないでください。それだけこの子たちがかえれなくなるだけです。孵化もできないなんて、お地蔵様も可哀想でしょう」

「はいはい。わかったよ」

「ガキ共! 次にサボったら即刻首をちょんぱしますからね!」

「はい!」

 あたしは伏せたまま会話を聞いていた。

 カラコロカラコロ、りぃんりんりぃんりん。

 鈴の音が遠ざかる。あの女の子はもう何処かへ行ったみたい。

 目の前に高下駄が見える。十センチはあるんじゃないかってくらいに高い。すらっとした足の爪には綺麗に赤色のペディキュアが塗られていた。

 あたしは体を起こして、ぺたりと座る。高下駄の主は捜していた人で間違いなかった。

「……助けてくれてありがとう」

「きゃははっ。どういたしまして。たまたま通りがかっただけだけどね」

「さっきの子は何だったの?」

「ここにいるとまた面倒なことになるから移動しよっか。なき、立って」

 弐色さんがそう呟くと、あたしの意思とは関係無く、身体は勝手に立ち上がった。

 どういうことなの? 名前を知っているから? そうだとしたら、おばあちゃんは弐色さんに名前を教えてあげたほうが良いって言っていたけど、こんなことになるのに、教えても大丈夫なの?

「ついておいで」

 足は勝手に弐色さんの後を追う。

 川原から出て、森の中へ。

 森の中をずっと歩くと、鳥居と石段が見えた。神社よね、これ。

 すごく長い石段を上り始める。足は動き続ける。息切れが激しい。こんなことならもっと日頃から運動しておけば良かったわ。

「ヘタクソな歌でも歌いなよ。それとも、息切れで歌う余裕なんて無いかな? ふんふーん」

「貴方も大概ヘタクソよ」

「僕の美声が聞けただけありがたく思いなよ。滅多に聞けないんだからさ」

 絶対に弐色さんのほうがあたしよりヘタクソなのに! 何でヘタクソにヘタクソって言われなきゃいけないのよ。ああもう、腹立たしいわこの人。

 五、六分ほどして、石段を上り切った。あたしはすぐ近くにあったベンチに座る。ここに設置されてるなんてとっても優しいわね。きっとあたしのように疲れた人が休憩するためにあるんだわ。

 あれ? 自由に動けるようになってる?

「それで、さっきの子の話だけど――あの子は、こやけと言ってね、夕焼けの精霊様だよ。人間とは全然違う神霊の一種――神の御魂、かな。まあ、本人が『精霊』って言ってるからそのあたりはわかんないけど」

「精霊? そんなファンタジーなことってあるの?」

 不思議な場所だから、ファンタジーでもおかしくないっちゃおかしくないけど……。

 精霊ってもっと可愛げのあるものだと思ってたわ。いきなり大鎌を振ってくるようなものではないと思うのよね。

「ここは夕焼けの里だからね。永久の安らぎをお約束する素敵な里。おまけに、生きられなくなったものが生きる場所。神、精霊、妖怪、人間、魑魅魍魎が住まう場所。安らかな大地だよ」

「生きられなくなったってどういうこと?」

「教えてあげることもできるけど、知らないほうが良いこともあるよ。もう休憩できたよね? 行くよ」

「ちょっ、ちょっと――」

 今度は手を引かれて歩く。声が楽しそうだとは思うんだけど、あたしは無理矢理連れて行かれている訳で。すごく綺麗な顔をしている人に手を繋がれているってことを考えると、すごく得した気分にもなるんだけど、この人はあたしを散々バカにしているような人だから、やっぱり少しイラッとする。

 連れて行かれた先は、社務所って書かれた札がくっついている建物。普通の家のようにも見える。

 弐色さんは慣れたように下駄を抜いで奥へ進んでいく。あたしは手を繋がれたままなので、同じように靴を脱いで奥に進む。

 誰もいないのかしら?

 あたしがそう思ったのも束の間、真っ白の神主衣装の人の姿が見えた。きっと神主さんなんだと思う。

 神主さんはあたしたちを見つけると、こちらに歩み寄って来た。

「弐色くん。この子はどうしたんですか?」

「迷子だよ。うっかり、こやけに狩られそうだったから連れて来たんだ」

「それはそれは……」

 二人は何か話し込んでいるみたい。あたしはまったく会話に入れない。まあ、入れなくても良いんだけど、早くおばあちゃんのお願いをどうにかしたいのよね。

「なき。この人は蛇神様だよ。ぼーっとしてないで拝んだらどう?」

「蛇神って、蛇じゃないの?」

「きゃははははっ」

「笑うことないじゃないの!」

 そんなにおかしいこと言ったかしら? 弐色さんはお腹を抱えて紫陽花のようにケラケラ笑っている。

 もう怒るのも疲れてきたわ。さっぱり行動がわからないもの。

 神主さんは微笑んで、あたしの前で一礼した。

「弐色くんはいつもこのような感じなので許してあげてください。私はこの陽光ようこう神社の#宮司をしております。金刺永心かなさしえいしんと申します。先程彼が言ったとおりに、蛇神です」

「あたしは――」

 名乗ろうと思ったけど、隣にいる弐色さんが気になって口を閉じた。そもそも永心さんにも名前を教えて大丈夫なのかしら? 蛇神様だから、大丈夫? 神様だもん。大丈夫よね?

 あたしの考えがわかったのか、永心さんは笑った。

「弐色くんに名前を知られたくないのですか?」

「え、えっと、そう、です」

「何なの? 僕は景壱けいいちと違って名前を取り上げて操るような悪いことしないよ。酷い話だよね、まったく」

「本人もこう言っておりますので悪いようにはしないでしょう。安心して教えてください。彼が何か悪事を働いたならば、私がキツイお灸を据えておきますので」

 こう言ってくれているなら大丈夫かしら。おばあちゃんの言っていたようにしよう。……けいいちって人のことが気になるけど、ここにはその名前の人はいないってことよね? じゃあ、大丈夫よね?

「あたしの名前は、寺分菜季です」

「テラワケナキね」

 弐色さんにフルネームで呼ばれた瞬間、背筋がゾワッとした。

 やっぱり教えない方が良かったかしら。今更後悔しても遅いわよね……。

 でも、おばあちゃんの言うことに今まで間違いは無かった訳だし、きっと大丈夫なんだろう。

 何が大丈夫かわからないけど、大丈夫よね。大丈夫。大丈夫。

「じゃあ、僕あっち見てくるね」

「ええ」

「ちょっ、ちょっと待って!」

 永心さんに手を振って、向きを変えた弐色さんの腕を慌てて掴む。彼は少しだけ表情を変えた。痛そうな、表情。腕に傷でもあるのかしら? でもいきなり袖を捲るのもおかしいし確認のしようがない。確認して傷があったらあったで、特に何もできないし。

 背後で永心さんが笑っているような声がする。何で笑われなきゃいけないのよ。弐色さんも笑ってるけど、これは違和感があるわ。仮面のような笑顔。

「なぁに? 僕があまりにも可愛いからもっと一緒にいて欲しいのかな? きゃははっ」

「違うわよ! これ、あたしのおばあちゃんから貴方に渡してくれって! 貴方のお母さんから昔預かったらしいのよ!」

 あたしはカバンからお守りを取り出して、弐色さんに突きつける。彼はほんの少し目を細めて、手をひらひら振る。受け取ろうとしない。

「受け取ってよ!」

「キミのおばあちゃんは何者なの? キミはこれが何かわかって持ってきたの?」

「あたしのおばあちゃんは有名な占い師みたいよ。あたしも詳しくは知らないの。あと、これはお守りじゃないの?」

「強い呪いのかかっているお守りだよ。んー……今の僕には必要無いかな」

「何言ってるのよ、さっさと受け取りなさいよ!」

「菜季ちゃん。弐色くんは受け取りたくても、受け取れないんですよ」

 永心さんはあたしの背後からお守りを取って、中から紙を出した。丁寧に折り重なった紙を開くと、何か文字が書いてあるみたい。お守りの中身ってああなっているのね。初めて見たわ。

「永心。何が書いてるの?」

「弐色くんの幸福を願っていますね」

「ふーん。やっぱり、僕が受け取っちゃまずかったかもね。……お守りの中身を変えてあげるから、キミが持っていなよ。神宮家のお守りだから、効果は保証するよ」

 弐色さんはあたしの横を通り過ぎ、永心さんからお守りの袋だけを貰って、奥の部屋に入り、一分しない内に戻ってきた。

「はい。どうぞ」

「あ、ありがとう?」

「私は本殿へ行きますので、菜季ちゃんはどうぞゆっくりしていってください」

 永心さんはあたしに一礼すると、歩いて行った。

 ゆっくりしていってと言われても、あたしの用事はもう終わったのよね。後は帰るだけなんだけど……。

「菜季、こっちに来て」

「いきなり引っ張らないでよ」

「僕もお勤めがあるからキミの相手ばかりしてられないんだよ。余計なモノ助けちゃったかなァ……」

 あたしの腕を引っ張って弐色さんは歩く。

そして、和室に辿り着いた。神社なんだから和室しかないような気もする。床の間には生け花。あたしは花の名前がわからないけど、すごく綺麗。

「ここでおとなしくしてなよ。お勤めが終わったら帰してあげる」

「ねえ、神社の人って普段何してるの?」

「お勤めに決まってるでしょ」

「だから、何の仕事をしているのか聞いているのよ」

 だいたい女の人――巫女さんが働いているイメージが強くて、男の人が何をしているのかわからない。

 だから、あたしは素直に尋ねてみた。弐色さんは呆れたような表情をしている。笑顔以外にもなるのね。ちょっと安心したわ。

「神様にご奉仕するお勤めだよ」

「具体的に言ってよ。お祓いとかあるんでしょ? 陰陽師って昔流行ってたじゃないの」

「きゃははははっ」

「何で笑うのよ?」

 弐色さんは再びお腹を抱えて笑っている。涙目になるくらいまで笑わなくても良いじゃないの! やっぱりこの人、顔は良いけど性格は最悪。

「ひーっ、菜季は面白いね。こんなに笑わせてくれるなんて思わなかったよ。陰陽師と神職は基本的に別物だよ。陰陽師は占筮せんぜい相地あいじ、地相に現れた吉凶を見ることをつかさどるもので、これに対して、神祇しんぎ祭祀さいしを専ら掌るのが神職。ついでに僕は陰陽師――今は拝み屋かな。で、永心は蛇神様だけど神職だよ」

「何だか難しいわね……。って、ことは、弐色さんは占いができるの?」

「今の僕にキミを占っている暇は無いよ」

「占ってなんて言ってないわよ」

「もう良いでしょ。じゃあね。絶対にこの部屋から出ないでよ」

「え、ちょっと!」

 弐色さんは手をひらひら振りながら出て行った。仕事が終わるまでっていつまでいたら良いのよ。しかも部屋を出るなってどういうことよ。それならお茶とかお茶菓子とか出して欲しかったわ。


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