第2話

 月日は流れて、禁足地がほど近くにある公園に遠足で来ている。何も起こらないことを祈っていたけど、やっぱり恐れていたことが起こった。

 園児が一人、森に入ってしまった。その子は一番手のかかるヤンチャな男の子だった。多動性の疑いがあって、じっとしていることのほうが少ないような子。付き添いの先生が目を離した隙に森へ入ってしまった。

 それなら、その先生が捜しに行くべきなんだけど、他の園児を見ないといけないってことで、必然的に新米のあたしが行くことになった。

 ただの噂話だと良いんだけど、あたしのおばあちゃんの占いはよく当たると評判だし、「先生」と呼ばれるくらいに、色んな人が相談に来ている。

 そんなおばあちゃんが「禁足地」と言うくらいに危ない場所なら、もうあたしは駄目かもしれない。

「タケちゃーん! どこー?」

 名前を呼びながら森を歩く。想像よりも森の中は暗かった。あんなに天気が良かったのに、とても薄暗い。

 しばらく歩き続けるとおばあちゃんが教えてくれていたように川と橋があった。

 森の奥へ行くにはこの橋を渡らなければいけないみたい。近くにタケちゃんのいる気配は無い。そもそも、鳥の声すら聞こえないってことが不思議だった。ここでクマなんて出てきたら困るけど。

 やっぱりタケちゃんはこの先に進んだのかしら。

 あたしは橋を渡ることにした。

 橋の近くの木に『行きはよいよい』と刻まれていた。誰かが刻んだなら、誰か入ったことあるのね。

 あたしは少し安心して、橋に一歩踏み出した。瞬間、周りの景色が一気にオレンジ色に染まった。

 そっと、振り向く。

 木が生い茂っている。森だわ。あたしは一歩下がる。

 けど、オレンジ色は変わらない。さっきまで暗かった森がオレンジ色に染まっている。

 あたしは橋を一気に渡る。黒い影のようなものとすれ違った。振り向いても誰もいない。何、今の?

 橋を渡り切って辺りを見渡す。なんだか昔ながらの田舎の風景が広がっていた。遠くに田んぼが見える。森の奥にこんな場所があるなんて……。と思ったのも束の間。

 川原で石を積み上げて遊んでいるタケちゃんを見つけた。

「タケちゃん!」

「せんせー!」

「みんな心配してるわよ。さあ、帰りましょ」

「うん」

 あたしはタケちゃんと手を繋いで、橋を渡り、森へ引き返した。けど、どこまでも景色は変わらない。

 前に進んでいる感覚が全くしない。あれだけ静かな森だったのに、カラスの鳴き声が響いている。さっきまで鳥なんて一羽も見てなかったのに何でよ。

「せんせー、こわいよぉ」

「じゃあ、お歌を歌いましょう」

「うん」

「カーラースーなぜ鳴くのーカラスはやーまーにー」

「きゃははは! ヘタクソだね」

「誰? 何処にいるの?」

「今下りちゃうからちょっと待ってて」

 木が揺れて、あたし達の目の前に人影が下りてくる。

 左目に眼帯をしていて、紫色の和服を着た人。かなり綺麗な顔をしてる人だと思う。これを世間一般では美形って言うんだわ。でも、顔がいくら綺麗でも、あたしの精一杯の歌を笑われたのは腹が立つ。

「お待たせ。僕は弐色にしき神宮弐色じんぐうにしきだよ。キミは?」

「教えられないわ」

 おばあちゃんは言っていた。「名はしゅだ」って、「妖怪のたぐいに名前を知られてはいけない」って。

「へえ。教えてくれないんだ?」

「そうよ。貴方はこの辺に住んでるの? それなら帰り道を教えてくれる?」

「名乗りもしないくせに帰り道を教えろなんて図々しいにも程があるよ。歌もヘタクソで、胸が大きいだけしか取り柄が無さそうなのに」

「何なのよ!」

「図星だったんだ? 人間って、本当のことを言われたら怒るんだよね。きゃははっ」

 何なのこの人。顔が良いだけで性格は最悪。お腹を抱えて笑うなんて本当に腹が立つわ。でも、この人の笑顔って、ちょっとおかしい。魅力的な笑顔をしてるとは思うんだけど、違和感がある。なんだか無理矢理笑ってるような……。

 あたしはタケちゃんが怯えていないか確認する。タケちゃんは眼帯をしてる人が珍しいのかジッと見てる。すると、彼はにんまり口を裂いて言葉を発した。

「この子、死んでるよ」

「何を言うのよ」

「川で溺れて死んじゃってるんだ。ご愁傷様」

 本当に何言い出すのよこの人。両手を合わせてにっこり微笑んでいる。やっぱり、何かがおかしいわ。

「生きてるわよ。だって歩いているもの」

「ここはだからね。歩けるに決まってるよ」

「意味がわからないわ」

「普通はそうだろうね。帰ったらわかることさ」

「帰り道を教えてよ」

「キミさ、さっきも言ったけど名乗りもしないで図々しいよ。でもまあ、迷子は帰してあげないとだし、僕は、とーっても優しいから帰り道を教えてあげる。ついておいで」

「嘘吐かないわよね?」

「『教えてよ』って言っといて『嘘吐かないわよね』って、ひどいと思わない? 本当に胸しか取り柄ないね。顔もそんなに可愛くないしさ。僕の方が何百倍も可愛いよ」

「さっきから何なのよ!」

「何だろうねェ」

 すごく腹が立つけど、あたし達が帰る方法はこの人にしかわからないから、我慢して後をついて歩く。

 罠だったらどうしようかしら。ここまで来たらなんでも良い気もしてきたわ。

 タケちゃんが不安そうな顔をしていたので、あたしは再び歌う。そしたらまた彼がクスクス笑っていた。

「やっぱり、ヘッタクソだね!」

「うるさいわね!」

「僕は素直に感想を伝えたまでだよ。ほら、この橋を渡れば帰れる」

「あ、ありがとう」

 渡ってきた橋とは形も何もかも違う橋。近くの木に『戻り橋』なんて刻まれていた。これを渡れば帰れると言われても、ちょっと怖い。戸惑っていると背中を押された。

「じゃあね、なきせんせー」

「え」

 あの人の声に驚いて振り向く、来た時と同じ暗い森だった。オレンジ色の光なんてない。

手を繋いでいたタケちゃんが突然崩れ落ちた。息をしていない。脈も無い。タケちゃんの服はビッショリと濡れていた。

 あたしはタケちゃんを抱えて走った。他の先生と園児のところへ走った。すぐに救急車を呼んでもらえたけど、タケちゃんは既に亡くなっていた。

 どうしてあの人はあたしの名前がわかったのかしら? タケちゃんは、あたしの名前を一度も呼んでいなかった。それなのに、何で――?

 その後、タケちゃんの両親と幼稚園で話し合いが行われた。その結果、慰謝料の支払い、と何故かあたしの退職クビで話は治まった。

 何であたしがクビにされるかわからないわ。目を離した先生が悪いわよ。どう考えても目を離したあの人が悪い。と思うんだけど、新米のあたしを庇う人なんていないから、あたしは渋々了承した。

 でも、どう考えてもあの人が悪いわよね。

「ただいま」

「おかえりなさい。今日はどうだった?」

「おばあちゃん聞いて! おばあちゃんの言ってたように、あの森に入っちゃ駄目だったわ!」

 家に帰ってすぐ、おばあちゃんに今日のことを伝えた。

 幼稚園から実家は遠いから、あたしはおばあちゃんの家に下宿させてもらっている。でも、もうあの園に通うこともなくなった。他の仕事を探さないと……。求人記事を検索しなくっちゃ。

 あたしの話を聞くと、おばあちゃんは驚いたような表情をしながら、タンスから何かを取り出してきた。それは古いお守りだった。紫色の布に白い糸でコウモリの形に刺繍がされている。

「弐色くんに会ったんでしょ?」

「うん。おばあちゃん知ってるの?」

「その子の母親のことはよく知っているよ。おばあちゃんのように強いチカラを持っている人なのよ。これは、昔、その子の母親が作ったお守りで『息子に会う機会があったら渡して欲しい』と頼まれていたもの。菜季、渡してきてくれないかい?」

「あたしが?」

「もうおばあちゃんはあの場所から帰って来られなくなりそうだからねぇ」

「そんなぁ」

 あんなに不気味で暗い森に二度と入りたくないんだけど、おばあちゃんのお願いなら仕方ない。

 それに、何であたしの名前を知ってたか気になるし。おばあちゃんならわかるかな……。

「ねえ、おばあちゃん。その、弐色……さんね、名乗ってないのに『なきせんせー』って言ってきたの。何であたしの名前がわかったのかしら?」

「菜季。自分の胸元を見てごらんな」

「え?」

 あたしは視線を胸元に落とす。『なき』と書かれた名札が見えた。名札のことすっかり忘れてた。

「今日はゆっくり休んで、明日の昼過ぎに行きなさい。あそこは鎮守の杜なの。禁足地と言われているのも神奈備だからよ」

「かんなび?」

「簡単に言うと神様が宿ってらっしゃる場所よ」

「そうなんだ」

「それとね、弐色くんに名前を教えてあげたほうが良いわ。きっと、菜季が困っている時にチカラになってくれる」

「あの人、あたしの歌をヘタクソって言ったり、胸が大きいだけしか取り柄がないって言ったり、僕のほうが何百倍可愛いって言ってきたんだけど」

 思い出しただけでも腹が立つわ。初対面なのにあんなに笑うことないじゃないの。すっごく失礼なやつよ本当。ああもうイライラする!

「よく言うじゃないの。好きな子ほどいじめたくなるって」

「おばあちゃん!」

「そうねえ……。他人との接し方がわからないのかもしれないわね。村の人達にずっと虐待されてたから」

「え? どうして? お母さんもなの?」

「お母さんはね、『あの子の幸福をまじなう度に、あの子を苦しませてしまった』と言っていたわ」

「どうしてそんなこと……」

「詳しくは知らないのよ。ずいぶん前にお手紙が届いた時は、平穏な日々を過ごせてるって書いてたわねぇ。そこの緒荷おに神社の宮司さんと結婚して、娘さんも生まれたそうよ」

 虐待されてたからあんなに魅力的な笑顔をしていたのね。それなら納得だわ。好意的に見られるよう無理して笑ってる。虐待されてた子がよくすること。嫌われないように、なんとか好かれようと笑顔を作り続けてる。そう考えたら、すごく可哀想な人に思えてきた。

「さあ、お話はこれぐらいにして、早くお風呂に入ってご飯食べて寝ちゃいなさいな。明日は夕焼けの里に行かなきゃいけないのよ」

 おばあちゃんは笑いながらそう言った。


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