第28話 アンタがいねえとキツイんだ!

「この辺りで大丈夫です」

 龍山寺で車を停めてもらう。突然の高級車の到着に、通行人たちは目を見開いて離れる。後部座席から出た僕にも注目が集まった。

「すみません。今日はありがとうございました」

 僕はヨシオさんに深々と頭を下げる。

「ああ。またな」

 そう言うなりドアが閉まり、高級車は走り出した。

 夜の龍山寺を見上げる。賑やかなライトアップが施されていた。寺院を電飾で仕立てるとは、また日本とは違う文化だ。

 何時だろう。もう八時は回っているだろうか。スマホを取り出す。画面を見て、僕は息を飲んだ。

「……陽」

 陽からの着信が二十件もあった。

 いけない。陽に何も言っていないままだ。僕が逮捕されたのをテレビのニュースで見たのかもしれない。心配を掛けただろう。

 僕は『大阪の小陽』へ全力で掛けた。

 店が見えてきた。夜のピークタイムを過ぎた『大阪の小陽』は閑散としている。ジョジョも退勤したのか、彼のスクーターもない。暗いアーケードに薄明かりが零れていた。

 アーケードの柱にもたれて屈みこむ影。僕は呼吸を止めた。

「陽!」

 陽だった。彼女は膝を抱えて背を丸め、左手にはスマホを握り締めている。僕の呼び掛けに、陽は顔を上げる。無表情。

「馬鹿野郎……この、馬鹿野郎!」

 無表情は鬼の形相に変わる。陽はゆらりと立ち上がり、僕に目がけて駆け出した。頬に固い物がぶつかる。

 陽に殴られたと気付いたのは、尻もちをついた後だった。

「てめぇ、なに勝手してんだよ!」

 僕に馬乗りになった陽は胸ぐらを掴んで引き絞る。その目元は真っ赤に腫れ、目じりに涙が滲んでいた。

「ごめん。ホントに、ごめん」

「ゴメンじゃねえよ……。なまら心配したんだぞ」

 声を絞って俯く陽。前髪が顔を隠す。見えない目元から頬に何かが伝って、僕の胸元に落ちてくる。涙、かもしれない。

「ケーサツ行っても門前払いだ! 晴人を返せっつっても相手にされねえ! ウチは、どうして良いか、頭おかしくなりそうで……」

 爆発する感情に言葉が追い付いていない。陽は昔からこうだ。感情の塊。口よりも先に手が出る。それで何度も損してきた。

「ありがとう。陽」

 僕は陽の頭を包み込む。すると陽は胸に顔を埋めて絶叫した。怒りとも悲しみとも違う烈しい気持ち。たぶん寂しさの仲間だ。

「アンタがいねえとキツイんだ! 今までもそうだし、これからもそうだ。勝手に消えんじゃねえ! ウチの前から消えんじゃねえ!」

 僕の胸に爪を立てる陽。この痛みが陽の存在を確かにさせた。

 陽が、ここにいる。


「さっさと洗濯物だしといて。あ、腹減ってんなら冷凍庫に肉まん入ってるから、勝手に温めて食っといて」

 シャワーから出てくると、陽は落ち着いていた。山の天気のように変化する陽の激情。収まる時も一瞬だ。

 僕は冷凍庫を開ける。冷凍の肉まんがあった。パッケージには日本語で『肉まん』と書いてある。

「前から思ってたんだけどさ、レンジないよね。下の店の厨房にはレンジ置いてあるのに、家には置いてないのか」

 タオルで髪を拭きながら「ねえべ」とキッチンに来る陽。

「なんでだよ。こっちじゃ売ってないの?」

「レンジなんて電器屋にいくらでも売ってんよ。けどな、台湾にはもっと良い物があるべ」

 陽はコンロの下の棚から大型の鍋のような器具を取り出し、狭いキッチン台にどんと置く。

「電気鍋だ。六十年の歴史を持つ信頼のメーカーだべ」

 巨大な炊飯器のような家電。陽はコンセントを挿して鍋の蓋を開いた。

「米も炊けるし、蒸し器にも使えるし、冷食だって温められるべ。ちょっと遅いけど、レンジより美味くなる」

 陽は外鍋に目分量で水を注ぐ。内鍋をセットしてスチームプレートを敷き、その上に冷凍肉まんを四つ置いた。

「けっこう手間だよね。なんでレンジよりコレの方が流行ってんの」

「レンジはマイクロ波で温めんだろ。電磁波が人体に危険だって信じてる台湾人は少なくねえべ。特に中高年は」

「マジか」

「小一ぐらいだったべか。晴人の家で冷蔵庫の物かってに漁って、フライパンで焼いたな。玉子、ウィンナー、豆腐、食パン、プリン。真っ黒焦げになったべさ」

「それで僕の母さんに二人まとめて怒られた。その後、陽のお母さんにまた二人とも怒られた。あれ小一じゃなくて小二の時だよ」

 陽が家に遊びに来ていたのも、中学三年の十月までだった。あの日以来、僕の両親も手のひらを返したように陽に冷たくなった。

 思い出話をしていると、電気釜から湯気が吹き出していた。出来上がったらしい。僕らはキッチンに座り込み、肉まんを割って分け合った。

「ところで晴人。どうやって釈放されたんだ」

 実は――、と僕は事の顛末を話した。

「したっけヨシオさんは……日桃幫の」

「らしいよ。僕の保釈金も払ってくれたみたい」

 したら、と陽は親指を噛む。

「凜風が誘拐されたのも、ただ独立運動のカリスマだからって理由じゃねえべ。抗争だ。犯人は推進党の連中だったろ。奴らは凜風が幫主のリウ志豪ジーハオの姪だって分かって狙ったんだべさ」

「それじゃ、凜風さんが亡くなったのも」

 僕が問いかけると、陽は目を細めて唸った。

「それは難しいべ。凜風は誘拐騒動の後、日桃幫の所有物件に引っ越したんだろ。明らかに幫会が凜風を保護するためだ。そうなれば推進党も凜風を狙うにはリスクが高い」

「やっぱり事故死なのかな。でもFacebookに『助けて』って投稿したんだろ。それにアパートの火災直前に言い争う声が聞こえたって」

 その瞬間、スマホが着信した。陽のだ。

「もしもし。ウチだ――」

 陽の顔が険しくなる。中国語と日本語を織り交ぜて喋っていた。話し声が徐々に荒っぽくなる。

「分かった。すぐ行くべ」

 陽は通話を切り、肩に掛けたタオルを投げ捨てた。

「アキラからだ。ほれ、晴人も行くべ」

 はあ? と僕が首を傾げると、陽はテーブルからスクーターのキーを拾い上げる。

「見つかったんだってよ、ニセ欣怡シンイーが」

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