第14話



 ぼくは、真一郎の家まで行った。真一郎の両親は、運営委員会に出席するために家にはいなかった。

 ぼくは、部屋の前に立ってささやいた。

「真一郎、悪魔か?」

 何の音もしない。

「ぼくも、見た」

「……」

「そうなんだろう?」

ぼくがたずねると、ドアのノブがカタリと音をたてた。真一郎のにぎりしめていた力が抜けた、とぼくは思った。

「信じるのか?」

真一郎の重い声がした。

「うん。信じる」

「……」

「日食のときだろう?」

「……」

「ぼくも、悪魔を見たんだ」

 ぼくは、日食のときに感じたままを言った。

少し間があって、カチャリと鍵が外され、真一郎がそっとドアを開けた。

真一郎の部屋はカーテンがひかれ、うすぐらかった。クーラーの音だけがブーウブーウとうるさかった。

「入ってもいいか」

「……」

 真一郎はだまって部屋にぼくを通した。

ぼくは、真一郎の勉強机からイスを引き出してすわった。

「こわい……」

ベッドの上に座った真一郎は、ぎゅっと肩をすぼめた。

「ちゃんと説明してくれ。真一郎がどんな事を言っても、今なら信じられる」

「見たんじゃないのか?」

 真一郎がするどい目で、ぼくをにらみつけた。

「おまえは、ほんとうに見たのか?」

 ぼくが聞くと、真一郎はちょっと目をふせた。

「ぼくは、悪魔と話した。真一郎の場合はどうだったんだ?」

「ぼくは、あの時、変な気持ちになった」

 真一郎はぽつぽつと話しだした。

「でも、その時は、悪魔とか何だとかまだ信じちゃいなかったんだ」

「うん」

「でも、家に帰って、夜、ベッドにはいったとき、笑い声が聞こえてきたんだ。ぼくは飛び起きてあたりを見回したけど、だれも、何もいない。あの日から夜になると、笑い声が聞こえるんだ。悪魔がぼくに憑いたんだ」

真一郎は、また笑い声が聞こえるというように、両手で耳をおおった。

「どうして、それが悪魔だとわかったんだ」

ぼくは、真一郎の顔をのぞきこんだ。

真一郎はぼんやりとした目をあげて、「ぼくには、わかるんだ」と言った。

「そうか」

ぼくは、悪魔というものはきっと、そういうように自然なかたちで、人に憑くものなんだと信じられた。

 日食の日にぼくと話したマンガのような悪魔とは、違うんだ。

 だったら、あれは何だったんだろう。

 ぼくが考えていると、真一郎が話し出した。

「なんとかしなきゃいけないんだ。このままじゃ、母さんが、ぼくを日本へ連れて帰るというんだ。ぼくに憑いているのは悪魔はここの悪魔なんだぜ。日本になんか帰っちゃったら、ここの悪魔を追い払うことなんかできるもんか」

真一郎の合わせた手が、ぶるぶるふるえた。

「お母さんに言ってみた?」

「信じると思うのか?」

ぼくは、メイドさんたちが日食の日を怖がると言って、笑っていたお母さんたちを思い出した。

「信じるわけないよなぁ」

 ぼくは、くちびるをかんだ。

「なんとかしなきゃ。ぼくの悪魔をなんとかしなきゃ……」

 真一郎はまた両手で顔をおおった。

「ねぇ、こんな事を聞いて悪いんだけど、机の上に悪魔と書かれいたっていうのも嘘じゃないの?」

「どうしてそんなことを聞くんだ?」

 真一郎は、ぼくをにらんだ。

「だって、誰も書いたっていうやつはいないんだもん」

「ほら、見ろ。いつもおまえたちは、ぼくのことだけ、信じないんだ」

「ちがうよ。もしおまえが絶対に嘘なんかついていない。本当に悪魔って書かれていたんだっていうなら、信じる。ぼくはおまえから本当の事を聞きたいだけさ」

 真一郎は、黙っていた。

「日食の日、ぼくの前に現れた悪魔は、ヘラヘラ笑ってお前達を仲間割れさせるのが楽しいんだ、と言ったんだ。机に悪魔と書かれていたのが本当なら、ぼくはその悪魔が書いたという方を信じる」

「悪魔の目的は、仲間割れ?」

「ぼくには、そう言った」

「でも、それならどうしてぼくの前にだけあらわれるんだよ。みんなのところにも行けばいいだろう」

 真一郎は、悲しい目でぼくを見た。

「そうだよ」

 真一郎がほつんと言った。

「何?」

「悪魔と机に書いてあったというのは、ぼくの作り話さ。悪魔に取り憑かれたというより、みんなにいじめられてるって言った方が、学校に行けない理由になる。日本の学校でもそういう事があったんだ」

「そうなんだ」

 ぼくは、初めて真一郎に会った時に何かかくしているような気がしていたことを思い出した。それがこういうことかと思った。

「仲間割れが目的なんだったら、お前のところにも悪魔は、あらわれているのか?」

「今のところ、あれからぼくは悪魔を見ていない」

「そうだろうな。やっぱり悪魔は、ぼくにだけ取り憑いているんだ」

 どうすればいいんだろう。ぼくも、頭をかかえこむ。

「そうだ。アニスに相談しよう。アニスならここの悪魔のことを、いろいろ知ってると思う」

「だめだ。アニスはよくここへ来る。いつもうちのメイドと話をしているんだ。悪魔のことなんかを相談したら、すぐに、親に知られてしまう」

 そうかもしれないとぼくは思った。

「でも、こういうときどうすればいいのか、ここの国の人に聞かなきゃ、どうしようもないよ」

「祐介は何か知らないのか?」

「うーん。知ってることといえば、祈祷師に悪魔祓いをしてもらったらいいってことぐらいかなぁ」

「悪魔祓いか? その祈祷師ってどこにいるんだ?」

「さぁ、そこまでは……」

「祈祷師、祈祷師。───だれかが知ってるって言ってたな。覚えてないか?」

ぼくは、卓也たちを思い出してみたが、そんな話をした覚えはなかった。

「そうだ。あの時、肝試しの日、いっしょに回ったやつが何か言ってたんだ。祈祷師を知ってるって」

「ハリムのこと? ちがうよ。ハリムは、おじいさんが祈祷師だったって言ったんだよ。それも、そのおじいさんはもう死んじゃったって言ってたよ」

「おじいさんを呼び出すことができるとも言った。そうだろう?」

ぼくは、そうだったと思い出した。あの時、ハリムは近くにおじいさんを感じるって言ったんだ。

 ハリムに悪魔祓いができなくても、おじいさんを呼び出せば、真一郎の力になってくれるかもしれない。

 真一郎もそう思ったのか、ぼくと真一郎は、目と目でうんとうなずきあった。

「わかった。ぼくが、ハリムにたのんでみる。それまで、がまんできるか?」

「うん。なんとかがんばってみる。あ、また笑い声が聞こえてきた」

「耳をおさえろ。負けない。負けないって言ってみて」

「負けない、負けない……」

 真一郎は、からだを縮めた。

「あ、消えた……」

「負けちゃだめだよ」

「うん、わかった」

 真一郎は脱力してベッドに倒れ込んだ。

ぼくは、真一郎の部屋をとびだした。


 ぼくは、走った。今は、真一郎の悪魔より運営委員会の方が気になる。何とかしなきゃ、香川先生がこの学校をクビになってしまう。香川先生は真一郎を悪魔だなんて思ってはいない。机に落書きなんかしていない。ぼくは学校に急いだ。

 校長室のドアはぴたっとしまっていた。この中で運営委員会がおこなわれているはずだ。ぼくはノックもしないで、校長室のドアをひらいた。

「ぼくがやったんです。ぼくが真一郎のつくえに悪魔って書きました」

 ぼくは、だれかに殴られるのを待つかのように、ぐっと目をとじてさけんだ。

「祐介。あなたなに言ってんの」

 ガタンと机になにかがあたる音がして、ぼくのお母さんの声が聞こえた。

「祐介……」

 お母さんの声とかさなるように、香川先生の緊張した声も聞こえた。

「ごめんなさい。ごめんなさい。もう、ぜったいあんなことはしません」

 ぼくがそう言った時、突然、おどろくほどの大きさで電話のベルがなった。

 ぼくは、とっさに電話のほうを見た。

「はい」

 校長先生が受話器をとった。

「はい───。わかったから、もうすこしお ちついて話しなさい。───はい。──はい。 わかった。わかった。よくわかったから、だいじょうぶ、ちゃんと話し合いますよ。心配しないで。はい。電話をきりますよ」

 校長先生が静かに受話器をおいて、ぼくに言った。

「どうしたもんだろうね。もうひとり落書きをしたという犯人がでてきたよ」

「だれ?」

 ぼくは校長先生をぼんやりと見た。

「今の電話、まゆみさんからだよ。まゆみさんが私が書きましたと言ったよ」

「ちがいます。犯人はぼくです」

校門付近で自動車のとまる音がした。ぱたぱたとろうかを走る音がして、声が聞こえた。

「ぼくが書いたんだ。真一郎の机にらくがきしたのはぼくなんだ。先生はぼくをかばっているだけなんだよ」

 卓也が校長室に入ってきた。

「また犯人がふえたか。これで結局、真一郎君をのぞく香川先生のクラス全員が犯人、ということになりましたな」

 校長先生は、ぼくたちをふくめ運営委員の人たちみんなを見わたした。

「クラス全員が犯人?」

 ぼくは、わけがわからなくて、ひとり言のようにつぶやいた。

「友里ちゃんと香織ちゃんが、お父さんにうちあけたそうよ。わたしたちがやったって。浩司くんは校長先生に手紙をわたしたの。もちろん、ぼくがやりましったっていう手紙よ。それにあなたも。これじゃ、やっぱり犯人はわからないわね」

 ぼくのお母さんが、床にすわりこんでいるぼくの肩に手をおいて言った。

「でも、ほんとうに犯人はぼくで……」

 ぼくがそこまで言ったとき、校長先生が「どうでしょう、子供たちの気持ちに免じて、らくがきのことは穏便にねがえませんでしょうか」と真一郎の両親に言った。

「わたしたちは、別に事をあらだてようとしているわけじゃないんです。ただ、クラス全員で、一人の子供を疎外するような教育には、納得いかないと言ってるだけなんです。だれがやったとか、子供たちの先生に対する感情がどうのっていうことは、全く別問題だと思っています」

 真一郎のお父さんが、背筋をぐっとのばして言った。

「おっしゃることはごもっともです。香川先生も、そのことには深く反省されているみたですし、わたしたちも力不足だったと反省しております。今後はこのようなことがないように努力いたします。今回の事件で、香川先生のクラスやこの学校がどう変わっていくか、今後をみていただきたい。決してこの事件を無駄にはいたしません」

校長先生が頭を低くさげた。

 香川先生は、いすにすわったままなにも言わず、下をむいていた。

「わたしはそれでもいいが……」

 真一郎のお父さんが大きなためいきをついた。  

 コホン、校長先生がせきばらいをした。

「これからはわたしたち大人の話し合いだ。君たちは帰りなさい。もう、香川先生はだいじょうぶだから安心して帰りなさい」

 校長先生がぼくを立たせて卓也といっしょにの背中をおした。

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