それは幼馴染というものですね

 鴇城の一室に招かれて座るみつきは、そわそわと手で太股を擦ったり無意識にあちこちを見て慌てて前に戻したりと落ち着きがない。

「みつき、じっとしてなさい」

 お目付け役としてみつきに随伴した彩雲あやくもは何度目かの注意をまた口にした。その言葉を聞いてすぐの間は、みつきもまた姿勢を正してじっとしていられるのだけど、沈黙が続くと次第に体が緊張に耐えられなくなって動き出してしまう。

 出来るのなら彩雲ももっとお喋りをしてみつきの気を紛らわせたくはあるのだけれども、みつきを城に呼んだ人物を待つ間に雑談をしていた等という無礼は働けないのが歯痒い。

 みつきが体を揺する動きがまた大きくなってきて、彩雲がひっそりと息を吐いてまた同じ言葉を告げようとしたところで、板張りの廊下から堂々と足音が響いてきた。

 みつきの耳にもその音は届いたらしく、ぴたりと動きを止めて肩を強張らせた。それでも彩雲が、力を抜いて、と助言する隙間はもう無い。

 ぱたん、と軽快に襖が開け放たれて、藩主の跡取りである若殿土岐とき行恒ゆきつねが入って来た。

「すまぬ、待たせた」

 行恒は上座に足を運び、その間に小姓が音もなく襖を閉める。みつきの視線は小姓の方に釘付けになっていた。

「みつき、伏せなさい」

 手を付き畳に顔を合わせた彩雲から叱責されて、みつきはべたんと額を畳みにぶつけた。

 その様子を見て行恒に笑われる。

「よい。私は藩主ではないのでな。それに彩光あやみつ殿は父のことも顔を上げたまま待っておるが」

「我が親方殿は、一応は朝廷より官位を頂いておりますので。我らとは立場が異なります」

 行恒に許しを得て顔を上げた彩雲は困り切った顔で師のような気楽な態度は取れないと訴える。

「戯言よ、許せ。それと、みつき殿。みつき殿。もう顔を上げてくれ。話がし辛い」

「ひゃ、ひゃい!」

 親方と違って地位のある方の前に出るのに慣れていなくて、みつきは声を裏返しながら飛び跳ねるように追っていた腰を伸ばした。

 自分の声に驚き、それが恥ずかしくて頬を赤らめて、結局俯いて行恒と視線を合わせられないでいる。

 行恒はそれも気にせず、話を進めた。

「此度は急に呼び立ててすまんかった。巷で民が噂するみつき殿、その空染そらぞめの腕を見込んで仕事を依頼したいのだ」

「わ、わたしですか? 親方ではなくて?」

 みつきは何故態々自分が名指しされるのか分からず戸惑い、彩雲もまた行恒の真意が読み切れずに片眉を上げた。

「彩光殿に頼まぬ訳は二つある。一つは、彼の方が今、臥せる父、藩主恒正つねまさを蝕む呪いを祓うために自ずから空染の支度を進めているそうではないか。深く感謝する。父の命が少しでも長らえ、また苦しみが和らぐのは、私も心から願うところだ」

 行恒の言葉が本心であるのは、その神妙な声音からよく伝わった。

「もう一つの訳は至極個人的な頼みであるので、彩光殿に申し出るのは気後れしたという事だ。彼は父の友ではあるが、私が頼み事をするのは親の威光になってしまうからな」

 そして打って変わって、あっけらかんとお道化てみせて、暗くなりかけた部屋の空気を追い払った。

「個人的な頼み、ですか?」

「うむ。順を追って話そう」

 みつきの問い返しに行恒は鷹揚に頷いて、脇息きょうそくに肘を乗せた。それなりに長い話になるようだ。

「実は私と近関藩このぜきはんの姫との間に縁談が決まり、近々輿入れとなる」

「あ、やっと?」

 ついぽろっと本音が出てしまった彩雲は行恒に睨まれて流れるように壁の柱の木目を眺めるフリをして視線を反らした。

弥次郎やじろう殿、言いたい事があれば言って構わんが」

 行恒は彩雲に向けてひんやりと目を細める。

「いやー、幼い頃から仲が良い癖に姫が髪上げしても迎え入れる素振りもなく、五年も待たせたなんて世間からすればほんとへたれだなー、なんて失礼なことは考えてもおりませんとも」

 対して彩雲も立て板に水とばかりにすらすらと思ってもないことをにこやかに語る。

 みつきには二人の間にばちりと稲妻が走ったのがはっきりと見えた。

「あの、お二人は昔からの顔見知りですか?」

 二人の睨み合いで嵐でも起きそうだったので、みつきは口を挟んでそれを食い止めた。

 二人揃って相手への威圧を下げて、彩雲は自分は所詮はお付きですとばかりに姿勢を正して口を噤み、行恒は相手が口を出すつもりが無いと見て溜め息を吐いた。

「弥次郎は八つより彩光殿の元に弟子入りし、城に出入りするのも早かった。私とは年も近い上に、ま、大人の小難しい話が分からぬ子供同士で遊んでおったのよ」

「それは幼馴染というものですね!」

 みつきが楽しそうに二人の関係性を宣言すると、行恒はそれはそれは嫌そうに苦笑いを浮かべた。

 みつきは行恒の態度にきょとんと目を丸くして彩雲の方に振り向く。此方は澄まし顔をして姿勢正しく、置物のように座っていた。

 それでみつきは首を傾げて、また行恒に向き直る。

「彩雲さんは面倒見も良くて、わたしの話もきちんと聞いてくださる良い人ですが」

「目下の者には確かに人の良い奴よ。善人であるのは良く知ってる」

 行恒は怠そうに脇息に肘を付いて手の甲に顎を乗せた。

「だが、目上に対しては人を食った物言いをして言葉の瑕疵を突く嫌味な男になるのよ。人を苛立たせて楽しんでおる腹黒よ」

「ほら、私の性格を論じて時間を無駄にしては話が進みませんよ。若様もお忙しい身でしょう。若い子との話を楽しまれるのも程々にしませんと、将来の奥方に恨まれますよ」

 行恒はそれ見ろと顎をしゃくった。

 みつきの拙い弁術には申し開きの言葉も存在しなくて、弱々しく愛想笑いを藩主の跡取りに返すという失礼を逃れられなかった。

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