空染工房へ、ようこそ

 帛屋きぬや一門は空染師そらぞめしの総本家だ。

 空の光に干渉する塵を造り出して打ち上げることで、空を自在に染め上げる。その塵が人の思惑通り光に干渉させるため、神秘の術も扱う。

 草木を染め上げる草染師くさぞめし、海を染め上げる波染師なみぞめしと三つ揃って、この三繋国さんけいこくすめらぎの神事に深く関わる職人だ。

 その彩光あやみつ一門の現頭領である十七代目帛屋紡衣ほうえ彩光は旅支度を横に置いて、自室に弥次郎やじろう彩雲あやくもとみつきを呼び付けていた。

「そんで俺ぁ、暫く帰らねぇかもしらんから、弥次郎、お前ぇ、絶対ぇにこの小娘から目ぇ離すんじゃねぇぞ」

 腕を組み常日頃から何度聞かせてもちっとも守られない言い付けを、彩光は工房を空ける前にもう一度言い含める。

 のだが。

「そうそう、あやめくのこの子が来て、ひゅぱーんっていつも通りに閃いてね。彩めくと響乃ゆらのの組み合わせが肝なんですよ。調薬はえっと、これ、走り書きですけど」

「使ってる材料も調薬方法もまぁ、難しくはないけど、未言みことの扱いが難儀だね。これ、天紗あめのうすぎぬは合わせないの?」

「天紗を入れるなら疾羽鳥はやはとりも使って散らして上げないと、朝顔の花も開かないし赤と青も混ざんないですよ」

「いやー、それだと未言の扱いが更に複雑になるね。元から未言の技巧のある者にしか使えないのが、それじゃみつきか親方しか打ち上げられないよ」

「彩雲さんならいけますよー」

「半分は失敗するって」

「てめぇら、仮にも一門のちょうをそっちのけにしやがるたぁ、肝が太ぇな、おい」

 こめかみに青筋を浮かべる彩光の目の前で、彩雲とみつきはそれはもう楽しそうにみつきが開発した空染について議論を交わしていた。

「いやぁ、親方が暫く家を空けるのは前以て聞いてますし、その心配性はいつものことじゃないですか、今改めて聞く必要ありませんよね」

「え、親方どこか行っちゃうんですか!?」

 話をはなから全く聞いていなくて今更驚きの顔を見せるみつきに、彩光は頭を抱えた。

 重たそうに額に手を当てて頭を支える師の姿を、彩雲は楽しそうに笑って眺めている。

 そんな一番弟子を睨み付けてから、彩光はみつきの頭を鷲掴みにした。小さい彼女の頭は彩光の掌にすっぽりと納まり、乱暴に揺らされる。

「いいか、そのちっとも人の言う事が入っていかねぇ頭にもう一遍聞かせてやる。俺ぁ、仕事が入ったんで遠出する。相手とのやり取りによっちゃあ長いこと工房を空けるから、お前ぇは大人の目に付くとこにいて余計なことはぜってぇにすんなよ、こんのバカ娘が。いいか、わぁったか」

「あうあうあー」

「親方ー、頭揺らしてたら余計に話聞き取れないんじゃないですかねー」

 彩光はみつきの頭を手放すと、鼻を鳴らして荷を取った。

「いいか、俺がいねぇんだから、弥次郎の言う事聞けよ。あと困らせんな。弥次郎、この小娘から目離すなよ、なんなら首に縄付けとけ」

「いや、そういう趣味ないです」

 彩雲が真っ当な否を突き付けると、彩光は拗ねたように音を立てて障子戸を開け閉めして出て行ってしまった。

 大人げない頭領の振る舞いに彩雲は肩を竦めると、まだ余韻でふらつかせていたみつきの頭に両手を添えて止めてやった。

「ありがとうございますぅ」

「いいや、なんてことはないさ」

 どうにも愛らしいみつきの仕草に彩雲は笑みが零れるのだった。

 みつきが目を回したのが収まるのを待ってから二人が外を出ると、もう彩光の姿はなかった。みつきに不在になるのを伝えようと探している間に、そして見つけてから説教をかましている間に、時間が差し迫っていたらしい。

 それでもみつきは口の悪い誰かの姿を探して、彩雲の後ろを付いて行きながら工房のあちこちに視線を彷徨わせる。

「最近、みんなまた忙しそうにしてますけど、大きな行事があるんですか?」

 探し人はやっぱり見付からないまま倉庫に着いてしまった。みつきは気を取り直して染料となる草を見繕う彩雲に話しかけた。

「行事ではないけど、藩主様の快復のために祈願をするんだ。ほら、うちって土岐とき家とはつながりが深いし、そもそも親方と恒正つねまさ様は年の離れた親友だからね」

 彩空あやそら藩主の土岐恒正は今年の春に起きた厄戦に自ら先陣を切り元凶を打ち取った猛将だが、その際に呪いを受けて月日が経つ程に体が弱っている。

 ここ一月ひとつきは更に症状が重く臥せって公務にも顔を出すのが珍しくなっている。

 その話を思い出してみつきは顔を曇らせた。

 しかし、彼女の気持ちが深く沈む前に、ぽんと肩に手が置かれる。

「みつきが此処に置いてもらうための条件は何だっけ?」

 みつきは出て来る前だった涙をすんと鼻を鳴らして引っ込めて彩雲の顔を真っ直ぐに見てから、にへら、と相貌を崩した。

「笑って、生きるのを楽しむことー」

「そうだよ」

 彩雲はぴんと人差し指を跳ねさせて、みつきの額を弾いた。

「さっきみたいな暗い顔してたら、工房から追い出さなきゃいけないんだから駄目だよ。親方の言う事は絶対なんだから」

 真面目くさった顔で言う彩雲を見て、みつきはお腹を抱えて声を上げて笑った。

 本当に、いつも親方の我儘を聞き流して涼しい顔をしているのに、どの口が親方の言う事は絶対だなんて言うのか。

 みつきは一頻り笑って涙を指で拭う。

「こ、これは彩雲さんが笑わせたせいの涙だから……」

 まだ息を引き攣らせながら、みつきは弁解する。

 彩雲は笑みを噛み殺して、棚から取った薬草をみつきに手渡した。

「これを煎ってから擦り潰して。調合の内容は後で教える」

「はーい」

 みつきは元気よく返事をして、裏に放置されたままになっている火鉢を取りに倉庫から駆け出した。

 稲穂晴れの天高い日が続いて乾いた土煙を足元に巻き上げて、薬草をしっかりと抱えて走るみつきは、裏手に向かって直角に曲がる前に門に近付く来訪者を見付けた。

 ぐりんと勢いを殺さずに方向転換して、みつきは門へと一息に辿り着く。

 其方へと突っ込んでくるような勢いで地面を軽く抉って止まった少女に、羽織まで着こなした見るからにお侍さんという風体の客人は少しばかり身を引いている。

「空染工房へ、ようこそ!」

 しかしみつきは客人を驚かせたことには全く気付かずに、元気よく挨拶をしてその人を迎え入れた。

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