帛屋一門、彩光が末弟子みつき

「まぁ、弥次郎やじろうのことは良い。確かに話がずれた」

 やれやれとかぶりを振って行恒ゆきつねは仕切り直す。

「して、姫の輿入れが決まったのは、近関藩このぜきはんの領地の復興を我が藩が援助している為だ。先の厄災はそも近関藩より始まりそれが我が藩との境にまで侵出したところを討ち取った、というのは其方らには言うまでも無いだろうが」

 みつきは左手で右手をぎゅっと抑えつけた。若殿の前でみつきが顔を曇らせるような真似は出来ない。

「しかし我が藩からの手助けを快く思わない者も近関藩の家老の中にいる。乗っ取りの足固めだとな。もっとも数は片手の指も余るそうだが」

 藩とは一つの家の元に運営されて内部だけで完結する組織だ。そこに外部の者が手を伸ばすには身内になるなり恩を売るなりして取り入るしか無い。

 彩空藩あやぞらはんからすれば大した邪推であるが、歴史の中で疲弊した藩が実質的に隣接した藩の従属になった例は幾らでもある。

「そして我が藩からしても長期に渡り近関藩へ物と人とを送るには大義名分がいる。お隣さんだから助け合おう、などという庶民の親切心は武家の間柄では通用せんからな」

 みつきは、それでだめなの、と彩雲あやくもの顔を覗い、駄目なんですよ、と頷きを返されて、渋々口出しを控えたままに顔を戻した。

「つまり、彩空土岐とき家と近関邑上むらかみ家が婚姻を結び親族となることで、向こうの家老の口を閉ざさせ、こちらが近関藩を支える名目を作るのが目的で話が進んだ、と」

「そうだ」

 彩雲が短く纏めた内容に行恒は満足気に大きく頷いた。

 みつきは面倒臭い話してるなと思いつつ、大人しく黙って続きを待った。

「しかし私は、姫にそのような理由で嫁いで欲しくないのだ。贈り物のように差し出されるなど我慢がならん。姫には姫の儘に生き、姫の想いだけで……私の元に来て欲しい」

 行恒は目を伏せつつ心情を語った。一人の人間ながら、幾重にも感情が食い違い積み上がって心の重石となり、声は酷く低くなっていた。

「はぁ?」

 しかし、みつきは若殿の告白を聞いて気の抜けた声を上げた。

 行恒はみつきの反応が目に入らなかったのか、ざっと顔を上げて片膝を立てて僅かにみつきに詰め寄った。

「頼む。姫に自分の想いの儘にして欲しいと伝わるように空を染めて欲しいのだ! この通りだ!」

 行恒に首だけ折って頭を下げられて、みつきは正座のままずりりと後退る。

「えぇ」

 みつきは戸惑い、ちらちらと彩雲の顔色を伺う。しかし此処に来ていつも頼りになるお守りの青年は眉一つ動かさずに凪いだ表情で何処とも知れない前だけ見詰めている。

 人形だってもうちょっと表情があると言いたくなるような置物と化した兄弟子に、みつきはひっそりと頬を膨らませた。

「それ、普通に文で贈ったらどうなんですか?」

 みつきはこんな事言っていいのかと躊躇い勝ちに、しかし聞いて思ったままに口にした。

 幾ら空染師そらぞめしが空の色を自在に変えると言って、その風景だけで伝言が出来るだなんて思えない。景色を見て何を思うかは人其々だなんて事は、みつきが態々言ってあげるまでもない事実だ。

「文はいかん。私がそのように書いた物が残るのは、父上達の約定を損ないかねん」

「でも、藩主様達の取り決めは藩主様達のものであって、若様達は若様達でお話し合いをした方がよろしいのではないですか?」

 親が勝手に決めた約束、だなんていうみつきからしたら当然の理屈は、庶民の間でしか通じないのを彼女は知らなかった。ともすれば、庶民でも書状があれば覆そうとする事自体が問題になる、というのも。

「みつき。それがまつりごとというものなんですよ。藩主の決めた事は一個人の意志ではなく、藩の取り決めとなるのです」

 人の世の仕組みにまだまだ疎い少女に、彩雲が優しく言い聞かせる。

 そうなっている、変えられるものではない、文句を言っても仕方ない、そう言った事を教える時にだけ出てくる声の調子を聞き取って、みつきは腑に落ちないながらも空染でしか伝えられないというのを自分に納得させた。

 しかしそうは言っても別の疑問もみつきの胸に芽吹いている。

「でも空染ではお相手の方だけでなく、多くの人目につきますけど、そのよろしいんですか?」

 人の口に戸は立てられない。口性無くちさがない者だって城に出入りしているだろう。みつきが空染をするのなら行恒に何度も会わなくてはならなし、その後に空が染まればそれは行恒によるものとも覚られよう。

 それが隣の藩にいる姫に向けたものであるというのも、人の噂に上がってしまうのではなかろうか。

 結論、行恒の評判に影響する可能性が高い。

 それを懸念するみつきに、行恒は呵々大笑する。

「案ずるな。人には色惚け若君が道楽をしたと言わせておけばいい。いいか、言っておくが、私は姫以外の如何なる者に誤解されようが蚊に刺された程も痛くない。それよりも姫のお心が他者や境遇で曲げられぬ方が大事なのだ。分かるか?」

 分かるか、と言われれば、どうだろうか。みつきにはその心情を推察は出来ても理解していると自信は持てない。そんな強い想いを誰かに懐いたことは、齢十二にして未だみつきにはなかった。

 しかしそれしかないと言うのであれば、行恒の懸命な想いは十分に伝わっている。

 みつきは肩越しにお目付け役で此処に一緒に来てくれた兄弟子を真っ直ぐ眼差しを向けて訴える。

「みつきがやりたいと言うなら、いいですよ」

 彩雲の後押しを貰って、みつきはこくんと頷いた。

 雲の合間を縫って地に届くかげのように真っ直ぐな眼差しを、改めて依頼主に向ける。

「わたしでよろしければ、その空染をお受けいたします」

 その申し出に行恒は子供のように無邪気な笑顔を見せた。

「そうか! ありがたい! よろしく頼む!」

 年甲斐もなく燥ぐ男の人を目の前にして、みつきはくすりと笑ってしまい、それが気付かれないように頭を下げた。

帛屋きぬや一門、彩光あやみつが末弟子みつき、全霊を以て空を染めてご覧に入れます」

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