第25話 竜人族ヒルデガルドと招福の御守り

あのクソ淫売共の一件からヘンリーと面会できなくなってはや3日。

朝からラインバッハ家に噛り付いて、ようやく面会が許された。

長かった、長かったぞ…!

1日に1回はヘンリーの顔を見ないと落ち着かない体になってしまったではないか。

今日は私の謝罪の場ということで、今までとは違いローラたちメイドがいない部屋で会うことになった。

ヘンリーと私だけ。

つまりは二人っきりだ。

かつての私ならその事実だけで舞い上がってしまっていただろうが成長した私は一味違う。

名目上は部屋に二人だけであろうとも、隣の部屋に武装した護衛を仕込むくらいはしているだろうことは予想済みだ。

冷静だ。

かつてないほどの冷静さで思考が回っている。

これこそが本来の私よ。

ヘンリーとの長い別離は私を成長させた。

そうよな、ローザ?


「お嬢様、尻尾が当たって痛いです。

 無意識に振り回すのをおやめください」

「そんな幼子でもあるまいし…」


背後に侍る仏頂面のローザに振り返り、視界の端に動き回るものが目に入る。

視線を下げると、私の澄み切った思考とは裏腹にやけに元気な我が尻尾が風切り音をたてながら力強く揺れていた。

ふむ。なるほど?


「ちなみに何時からだ?」

「屋敷を出る前からですが」

「その時になんで言わんのだ貴様???」


我が家からラインバッハ家に入るまでずっとこうだったと?

馬車で移動したとはいえ、ラインバッハ家の守衛や警護の連中の前でも?

それではまるでヘンリーに会えることが嬉しすぎて、自制の利かぬ幼子の如く恥ずかしげもなく尾を振り回している様ではないか!


「事実その通りでは?」

「心を読むのは止めろ」


最近敬いの心が足りてないぞ。

昔はそうではなかったよな貴様。

なんだ? 反抗期か? 鱗人族にはそういう時期でもあるのか?


「もうそろそろヘンリー様のお部屋ですので、私はここで失礼致します」

「後で覚えておれよ貴様」

「ご武運を祈っております」

「それで誤魔化せたと思うでないぞ」


ええい、ローザは後回しだ。

扉の前に立ち、私は頬を叩いて気合を入れ直す。

まずは謝罪からだ。

ヘンリーは責任を感じているかもしれないが、騒動の原因は私なのだから。

…無いとは思うが、謝罪を受け取って貰えなかったらどうしよう。

あんなカスどもに舐められる情けない女だと、愛想をつかされてしまってはないだろうか。

段々怖くなってきた。

手汗がべったりとして気持ち悪い。

これはいかん、ちょっと一呼吸おいて――


「ヘンリー様、ヒルデガルド・エスターライヒ、ただいま到着いたしました」


ローザぁ!?

なんでまだそこにおるんだ貴様ぁ!?

勝手にノックして声をかけるでない!

まだ心の準備が出来てないであろうが!

こういうのは本人のタイミングというものがだなぁ!


「どうぞ」


どうぞって言われちゃったであろうが!

もはや迷っている時間はない。

ローザの手からハンカチを奪い取り手汗を拭って投げ返す。

い、行くぞお!


「へ、ヘンリー、…入るぞ!」


勢いよく扉を開ける。

三日ぶりに顔を見た黒髪の少年は今までと同じ空気を纏ったまま、だけど今まで以上に魅力的に見えた。

鼻腔を擽る麗しい香り。

こちらを見て少しだけ目を細めて笑う仕草。

ヘンリーだ。

ヘンリー・ラインバッハがいた。

体は緊張で石のように固まっているのに、脳髄だけじんわりとほどける不思議な感覚だった。

気が付いた時にはヘンリーは手の届く距離にいて、無意識に近づいていたことに脳のどこかが驚いていた。

まるで光に誘われる虫の如く、誘われるように。

黒色の瞳が私を捉えて離さない。

正気に戻れたのは事前に装填した時限式の精神安定化術式のお陰だった。

冷水を流し込んだ様に思考の靄が晴れる。


そして晴れると同時に今までの緊張が一気に襲ってきた。

お、おち落ち着け私は火のエスターライヒ。

そうだ、まずは謝罪からだ!


「すまなかった!」

「ごめんなさい!」


謝罪がかぶった。

全く同じタイミングで下げた頭がヘンリーにぶつかりそうになって、竜人族パワーで半歩下がる。

角が刺さってしまうところだったな、危ないぞヘンリー。

そうじゃないだろう、悪いのは私だろう。

なんでヘンリーが頭を下げるんだ。

私はやや混乱した頭で彼の顔色を伺う。

同じくこちらを怪訝そうに見るヘンリーの視線とぶつかった。


「……」

「……」

「この間の騒動は私が」

「余計なことをしてことを大きく」

「…私が! あの知れ者どもを増長させて!」

「…僕が! あの場で喧嘩を売ったから!」

「悪いのは私だ!」

「僕だよ!」


竜人族の起こした問題なんだから私が悪いに決まっておるだろうが!

ヘンリー相手でもこればかりは譲らんぞ!

ええい強引に頭を下げようとするでないわ!

こうして竜人族パワーで押さえられては頭の下げようが…つ、角を、角を掴むのは止めろぉ!

おのれ、こちらが怪我をさせない様に手加減をしているのを逆手にとって…こ、小刻みに爪でカリカリするなぁ!

この身は火のエスターライヒの後継であるぞ、この程度で退くものか!

そうやってわちゃわちゃして暫し、気付けばお互いの頭を押さえて額を押し付け合っていた。


至近距離。

ヘンリーの瞳がこんなにも近く。

吐いた息が唇に触れる。

近い。


う、おお、おおお?

うぉおおおおお! いかんぞヘンリー!

婚姻前の男子がこんな!

今、ヘンリーと私の鼻先がちょっと擦れた!

はしたない!

良い匂いがする!

は、離れねば…このままではおかしくなってしまう…!

私はヘンリーの頭から手を放し、ヘンリーから離れ…ヘンリー!

角から手を放してくれヘンリー!

ひ、額でぐりぐりするのもダメだ!

許してくれ!

この状態で僅かに目を伏せるのは止めてくれ!

変な感じになる!


暫くしてヘンリーが満足したころには、私は息も絶え絶えになっていた。


「はぁ、はぁ…」

「…ごめんね?」

「…い、いや、私こそ、悪かった…」


おかしいな、こんな予定ではなかったのだが。

もっとスマートに謝罪するはずが、何故こうなったのだ。

ま、まあ良い。

ヘンリーは怒っていないことが分かったし、私の謝罪も受け入れてくれた。

良い思いもできた。

最高ではないか。

よし。


「あ、ああ。そうだ。

 今日は贈り物を持ってきたのだ。どうか受け取って欲しい」


私は懐から手のひらサイズの箱を取り出す。

中身は色気のあるものではない。

護身用の魔道具だ。

おそらくはクラウディア殿も用意しているだろうが、こちらは少し趣が違う。

六角柱の水晶の中には私の魔力が充填してある。

強く握れば自動で私が感知する。

この首都の範囲内なら数秒以内に到着できる。

もう二度と前回の様な失態は起させない。

絶対に。


受取ってくれたヘンリーは水晶を頭上に翳して、内部で揺れる赤色の魔力光を覗き込んでいる。

それを見ていた私とヘンリーと目が合って、彼は自分の懐に手を入れた。


「ありがとうヒルダ。実は僕も贈り物があるんだ」

「贈り物…?」


贈り物とは男からも貰えるものだったのか…?

つまりヘンリーが私に…?

半ば呆然としている私を余所に、ヘンリーは私の前に手を伸ばした。


手の上には一つの赤い布地の長方形の袋。

上部には紐で縛る巾着口と飾り紐。

正面には招の文字が刺繍されている。


「御守り。

 この間から作ってたんだ。

 いつも貰ってばかりだと悪いから」

「御守り…」


御守り。

ヘンリーの手作りの。


私は誘われたように受け取ったお守りに顔を寄せる。

やや乱れた手縫いの跡。

そして香るヘンリーの強い匂い。

残り香にしては強いそれに、本能的に魔力感知を走らせる。

私の魔力に反応して僅かに魔力を散らす淡い光。

巾着口の奥の魔力反応はヘンリーのものだった。

この魔力光の形状は繊維の束を三つ編みしたものか。

…ヘンリーの魔力光、三つ編み、そしてこの麗しい香り。

私の脳裏に電流が走る。

間違いなくこれは――!


「中に入ってるのは僕の髪の毛を編んだものなんだ。

 そういう伝統だってお父さんから聞いたんだけど、気持ち悪かったらごめんね」


――普人族の祝福の御守りぃ!

お母様から聞いたことあるぞ!

常勝不敗を約束する神通力が宿るという!

普人族の穢れなき男児の髪を編みこんだ、親密な相手にのみ贈られるというあの!

その妻でもなければ手に入らないというあの伝説の御守り…!

てっきりエルフ共よくやるマウント用の作り話だと思っていたが実在していたのか…。


「初めて作ったから、不格好なんだけど」


しかも初めてだとぉ!?

お、おお…! いかん、いかんぞヘンリー…!

尾が揺れるのが抑えきれん。

これは本格的に抑えがきかんぞ。

う、うおおおおおおぉっしゃあおらぁ!


私は辛うじて掻き集めた自制心を振り絞り、我が身に渦巻く浅ましい情欲を振り払う。

この場を設けてもらったのは、偏にラインバッハ家からの信頼の証だ。

そんな場所でいくところまでいってしまっては、あの淫売共の同類になってしまう。

何よりもヘンリーに嫌われたくない。


そうだ、私は勝ったのだ。

何を慌てる必要があろうか。

他の女を差し置いて、この御守りを贈られたのはこの私なのだ。

私は内心で勝利の勝鬨を挙げた。

見たかローザ! 私は勝ったぞぉぉぉ!



◆―〇―◆



「…という感じでな!

 これはもう勝ったと言っても過言ではないな!」


私は帰りの馬車の中でローザにヘンリーから貰った御守りを見せびらかしていた。

幸せのおすそ分けというやつだったか。

私がやられた時は相手を殺してやりたくなったが、いざ自分がその立場になってみるとその気持ちが分かる。

なんて晴れ晴れとした気分なのだろうか。


「あの、お嬢様…」

「んん? なんだローザ、ラインバッハ家に向かう時のあれこれなら気にしなくても良いぞ?」


最高の気分だからのう!

これはもう尻尾が荒ぶっても仕方がないわ!

ふはははは!


「その…」

「なんださっきからもごもごと、言いたいことがあるならばはっきり言え」


ローザは逡巡すると、意を決したように口を開いた。


「例の一件での怪我で、ヘンリー様には他の女性からお見舞いの品が多数届いたと聞いております」

「まあそうだろうな」


それがどうしたというのだ。

贈り物をしてきた女は数多くいようが、面会したのは私が最初だと守衛の連中もクラウディア殿も言っていたではないか。


「そのお見舞いの品のお返しのつもりでヘンリー様は作ったのでは…?」

「祝福の御守りだぞ? そんなまさか…そんな」


お母様の言っていた半ば伝説的な御守りだぞ?

それを今迄の感謝の気持ちみたいな感覚で贈り物にするなど。

まさか。

そんな。

でもあのヘンリーなら…。

気付いてしまったそれを認めようとしない私に、ローザは言葉にして突き付けてきた。


「その御守りは、はたしてお嬢様だけに贈られたものなのでしょうか」

「…あぁ」

「ヘンリー様は誰か一人だけに贈り物をするような男性でしたか?」

「……」

「お嬢様…」


ヘンリーは贈り物とは言ったが、果たして私だけに、と言っただろうか…?

言ってない。

そうか。

そっかぁ。


「ローザ」

「はい」

「…ローザ」

「はい」

「ろーざぁ!」

「はい」

「うわあああああん!」

「尻尾が痛いです」


だってそういう仲の相手にしか贈られないものだって聞いてたんだよ!

それを! メイド達の監視のない部屋で!

二人っきりの状況で貰ったんだから、勘違いしてもおかしくはないだろう!?


自分だけが御守りを贈られたというぬか喜びから一転、ただ順番が一番だったという事実に気付いてしまった私は、その事実に堪らず目の前のメイドに縋り付いた。


――――――――――――――――――――――――――――――――


呪術的に本人の髪の毛があれば催眠とか暗示とか色んなことに悪用できる。

だから信用された相手にか贈られないんだよ、と母親から教えられたヒルデガルドは一瞬で機嫌を直したよ。チョロいね。


≪TIPS≫普人族の祝福の御守り

穢れなき童貞の普人族の男児の髪が納められた御守り。

成人するまでの期間限定の希少品であり、ごく親しい相手しか受け取ることはないため、半ば都市伝説のような扱いを受けている。

決して婚姻の証という訳ではない。

贈られる相手とは大体結婚するので、他種族からはそういうものだと思われている。

勿論、神通力なんて宿っていないただの手縫いの御守りである。

ちなみに髪の毛は17話の散髪時に回収したもの。

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