第16話 魔法族マリナと女の情け

「あいったたたたた!」

「うるさい動くな馬鹿者が」

「な、なあ。アヤメの容体は…」

「お前は邪魔だから出ていけ」


部屋で優雅に紅茶を傾けつつ論文を執筆していた私の癒しの時間は、私の名前を叫びながら窓を突き破り部屋に突っ込んで来たアホによって台無しになった。


初めて使った寸勁とかいうのを実演したらアヤメがゲロ吐いてぶっ倒れたそうだ。

そう早口で説明するアホによって、有無を言わさずに荷物のように担がれて鍛錬場に連行された私は、ぶっ倒れたアヤメに応急処置をして、近場のベッドのある空き部屋で治癒魔術を行使していた。

既に体内の負傷部分は特定し終えて、各部のバイタルを確認しつつ治癒術式で治療する段階だ。

簡単に言えばもうすぐ治療は完了する。


ベッドの上のアヤメはデカい声で痛いと喚いている。

強い沈痛術式をかけても良かったのに、それを拒否したのはお前だぞ。

その場合は筋弛緩作用が働いてほぼ確実に漏らすだろうけど。

私なら痛い方が嫌なんだけどなあ。


しかし寸勁ね。

タチアナがクラウディア様から打ち込まれ、無傷でいなし切った技だったか。

【傷なし】の異名を確立した一騎打ちの顛末は私も知っている。

その話では寸勁のために踏み込んだ地面には数mに渡って深い亀裂が走ったそうだが、鍛錬場には地面に足裏サイズの窪みはあっても亀裂なんてものはなかった。

あの程度の踏み込みでこの被害ならば、クラウディア様の寸勁はどれ程の威力だというのか。


というかそれを受けて無傷でいるとかどういうことだよ。

魔法族の私にとっては何一つ意味が分からない話だった。

本気で意味が分からない。

体術で物理法則を捻じ曲げるような真似をするのは止めろ。

そもそも勁って何なんだよ。


そしてそれを本家よりも威力が低いとはいえ身内に打ち込むんじゃないよ。

何でただの鍛錬で外傷0で内蔵だけ損傷する特殊な怪我をするんだ。

初めて人に使う訳の分からん技をその場の気分で実行するな。


聡明なお前ならこの程度は大した怪我じゃないって直ぐに分かるだろうに。

ヘンリー君の前でやらかしたからって簡単にパニクりおって。

どうせヘンリー君の前で格好いい所を見せようと思ったんだろこの雌猫め。


痛みを声で訴えるアヤメに我慢しろと言い放ちつつ、私は彼女の体を改めて見る。

鬼人族の体はすごいな、もう損傷が快癒しつつある。

痛い痛いと声を上げて喚くくらい元気になってるんだから、応急処置もいらなかったかもしれんな。

放っておいても1時間くらいで自己回復できたんじゃないか。


背後で扉が開く音がして、振り返るとヘンリー君が荷物を抱えて部屋に入ってくるところだった。

ああ、ヘンリー君ありがとう、水を汲んできてくれたんだね。

アヤメなら大丈夫だよ。多分あと10分くらいで治るから。

普人族にとっては内蔵の損傷は死に繋がるくらい重大な怪我だから心配になってるんだろうね。

死んでなければ治せるから心配はいらないよ。

死にたてでもギリいける。

ああ、ほら泣かないで。大丈夫、大丈夫だから。


少し落ち着いたヘンリー君はベッドの上のアヤメに近づいて心配そうに話しかけている。

ちなみに彼が部屋に入ってきた途端、痛い痛いと喚いていたアヤメはスン…と静かになっていた。


「全然痛くねえっすよ坊ちゃん。この程度どうってことねえっす。

 してほしいことっすか。…あ、あー、じゃあ、手を握っててほしいかなーって…」

「こう?」

「う、うっす」


おいこら調子に乗るんじゃない。

私がそう口を開く前に、ヘンリー君はアヤメの手を取るとぎゅっと手を握る。

額に浮いた汗を拭い、彼女の前髪を優しい手つきで撫でていた。

そうやって甲斐甲斐しく世話を焼くから、周囲の女が放っておかないんだろうな。

私の目には世話されてデレデレした情けない顔にしか見えないんだが、彼からしたら心配でそれどころではないのだろう。

何ちょっと「まだ痛いけど我慢してます」みたいな顔してるんだお前は。

もうほとんど治ってるだろお前。


「大丈夫、喉乾いてない?」

「少しだけ…」


ヘンリー君はアヤメの頭を抱え上げると、口元にコップを近づける。

アヤメはまるでひな鳥のように口を開き、美味しそうに水を嚥下する。

この部屋に水がないのはさっきお前が飲み干したからだろうが。

この状況を最大限楽しみおって。

私がお前の行動に口を挟まずに黙って治療しているのはな、私がこの状況に陥ったのなら絶対に同じことをするだろうから、女の情けで見逃しているだけなんだぞ。

それ以上の狼藉は許さんからな。

私はヘンリー君の背後の死角からアヤメに視線を合わせ、瞳の【星】をビカビカと光らせて威嚇した。


「他にして欲しいことはない?」

「だ、大丈夫っす!」


それでいい。

お手手を繋いだ頭なでなでと病人介護プレイで満足しろ。

恋人繋ぎなんてしようものなら、即座に沈静術式を打ち込んで気絶させるからな。


私は片手で治癒魔術を続けつつ、残った方の手でヘンリー君の髪をあやすように撫でた。

半泣きのヘンリー君の姿は初めて見る。下から見上げる上目遣いの視線、赤くなった目元に、涙でうるんだ瞳…。

いかんな、興奮してきた。

威嚇とは別の感情で瞳が輝いてしまう。そっちは意識的に抑えるのが難しいんだ。


私は三角帽子つばを引っ張り、抑えきれぬ興奮でじんわり輝く瞳を隠しつつ、残る一人のアホを見る。

タチアナは耳を伏せて大柄な体を縮こまらせていた。

常ならば強さと聡明さを滲ませる彼女からは想像がつかない情けない姿だった。

私の視線に気づいた彼女は眉尻を下げた顔で口を開く。


「なあ。あたしに出来ることはないか?」


出来ること、ね。

ああ、勿論あるぞタチアナ。

お前にして欲しいことならちゃんとある。


私はタチアナとア改めて視線を合わせる。

身長差から見上げる形になった。

まるで睨んでるように見えるだろう。睨んでいるからそれで合ってるぞ。

今の瞳の輝きは興奮と欲情からくるものではない。

私の【星】の輝きを見て黙り込んだタチアナを見据えて、私は口を開く。


お前にして欲しいことは、お前がぶち破って壊した窓の修理と、散らかった私の部屋の掃除だよ。


私の言葉に【傷なし】のタチアナはさらに小さく背中を丸めた。


――――――――――――――――――――――――――――――――

なお書いていた論文は紅茶でびちゃびちゃになっていた。

前回は急にバトル描写を入れてゴメンね。

書きたくて仕方なかったんだ許してくれ。

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