第13話 竜人族ヒルデガルドと煌めく指輪

衝撃の膝枕寝落ち事件から数日、なんとかクラウディアに謝り倒して許してもらった私はヘンリーの元を訪ねていた。


ヘンリーの膝という天国のような心地よさを知ったあの日。

まるで揺りかごで微睡むような安心感から一転して背筋を走る戦慄に従って飛び起きてみれば、憤怒のオーラに満ちたクラウディアの姿がいた。

正直めちゃくちゃ怖かった。

角を折られた時以上の過去一番の恐怖だった。

言い訳のしようがなかった私は、彼女に縋り付いて恥も外聞もかなぐり捨てて必死に平謝りをし続けたのだ。

お目付け役として部屋に残っていたメイド2人の証言と、何よりヘンリーの助け船がなければ私の命はなかったかもしれない。

でも仕方ないではないか。

膝枕は私の夢だったのだ。

あの色気に抗える者だけが私に石を投げるがいい。


あの後は当然ながらラインバッハ家から叩き出されたが、謝罪品を山ほど抱えた連日に渡っての陳謝が功を奏して今日のヘンリーとの面会が叶ったという訳だ。

事件後はメイドのローザからも多少は冷たい目で見られたものだが、今回の私には秘策があるから安心すると良い。

私の迂闊な発言のせいでヘンリーに主導権を握らせてしまったことが原因ならば、その逆、私が主導権を握り続ければいいのだ。

いざという時は懐に忍ばせた秘策を使えばいいのだ。

勝ったなふはは。

さあ、今行くぞヘンリー!

首を洗って待っているがいい!



◆―〇―◆



前回と同じ応接間で出迎えてくれたヘンリーには変わった様子はなかった。

彼の度量の広さは重々承知であるが、万が一、情けない奴!とでも思われて嫌われでもしていたらと居てもたってもいられなかったのだ。

ヘンリーに会えない間に市井に溢れる指南書ref恋愛系の小説と漫画(少女漫画含む)《/ref》を読み込んできたのだ。

今日の私は一味違うからな。


ヘンリーは普人族の男児ということもあって、私たちのように自由に街を歩くというのは難しい立場だ。

ラ・ヴィンセルの治安が良いとはいえ、ラインバッハ家の威光が通じない無頼女というのはいるものだ。

特に国に来たばかりの国のルールを知らぬ相手というのは面倒極まりない。

そういった相手に絡まれるようなことを避けるためにも、散歩一つであっても護衛をつけなければならないのが彼の現状だった。

満足に外を歩けない不自由を強いる者に、せめて家の外の出来事を話して無窮を癒すことは、将来この国を背負って立つ竜人族の使命のようなものだ。

決してヘンリーに会いたい一心で無理に時間を作っているわけではない。

それに私が親しい普人族の少年は彼一人だけだなのだから、必然的に私が会いに行く相手は彼一択なのだ。

まあ市井のことなら彼のメイドのタマラから色々聞くことだろうし、私は彼がいずれ足を踏み入れる上流階級の話を中心に語っていく。


今の話題は議会に名を連ねる有力者とその身内についてだ。

向かい合って椅子に座りながら、私はピンと立てた指の先に空間投影魔法で人物像を投射する。

薄い水色の髪、歪曲しながらも天を衝く2本角に、隠しきれない傲慢さをにじませる竜人族だ。


「こいつはアウグスタ・シュタイエルと言ってな、【水のクフェルナーゲル】に連なる一族の出だ。

 とにかく性格が悪くて、他人の伴侶であろうとも平気で閨に誘うような淫売だ。近づいてはならんぞ」

「淫売ってことはお金をもらってそういうことをするってこと?」

「んんっ!? い、いや、あれだ、金銭でそういったことを強要するような奴という意味でな」

「なるほど、淫売か…」

「本当に分かったか? 近づいてはならんのだぞ」

「近づかない近づかない。それにそういうときはヒルダが守ってくれるんでしょ?」

「む、それは、まぁそうなんだが」


何でちょっと興味を持った風な反応をするんだろうな。

普通の男児なら嫌悪したりするのではなかろうか。ヘンリー以外の男を碌に知らぬから判断がつかない。

私はとりあえずアウグスタがヘンリーに近づいてきたら殴り飛ばすことを心に決めた。


「こいつはジモーネ・フントゥゲボールト。先ほどのアウグスタの従妹にあたる奴だ。

 こいつも淫売だ」

「淫売か…」

「本当に近づくなよ?」


本気で心配になってきた。

ヘンリーはとにかく無防備さだからなあ。

心の殴り飛ばす奴リストにジモーネの奴も追加していると、ヘンリーが少し屈んでテーブルの上のクッキーに手を伸ばすところだった。

今日のヘンリーは胸元に余裕のある服装で、普通にしていても鎖骨がチラ見えする有様でとても良かった。

そのまま屈んだりしたものだから、重力に従って胸元がわずかに、ほんのわずかに緩んで胸元の奥に肌色が一瞬だけ見えたことを私の眼は見逃さなかった。

そして同時に服の下に細い鎖状のネックレスを着けていることも。


はて、今までヘンリーはああいったアクセサリー類を身に着けていただろうか?

私は出会った当初からの記憶を脳内で再生して確認するが、着けてはいなかったと思う。

そもそも彼自身にアクセサリーを自分で購入する趣味そのものがなかったはずだが。

何故だかとても嫌な予感がする。

良くない想像が頭を駆け巡る。


「…お、おやヘンリー、今日は珍しくネックレスをしているのか。

 それは…」


いつのまにか口の中がカラカラに乾いていた。

唾と一緒に息を飲み込む。


「それは、誰かのプレゼントだったりするのか?」

「実はそうなんだよ」


ひぎぃ、と声にならない悲鳴が漏れた。

幸いなことにヘンリーには届かなかったようで、「いやー見えちゃってたかー」なんて照れ笑いしている。

いや、待て、落ち着け。

ただのチェーンネックレスだろう。

ヘンリー程の男児なら他の女に贈り物くらい貰って当然だし、気に入ったデザインなら身に着けることだってあるだろう。

そもそも警戒心のかわりに包容力を詰め込まれて生まれてきたような彼のことだ、プレゼントを身につけないと相手に悪いなんて考えてもおかしくはない。

そうだ、何もおかしいことはない。

ないのだ。

というか混乱のあまりつい口に出てしまったが、胸元を覗いてましたと自白したようなものなのにそっちには触れもしないのか。

未だに胸元に視線を送る私を見て、ネックレスに興味があるのだと勘違いしたのだろう彼は胸元を開いてそれを取り出して見せた。

もちろん肌が覗いた瞬間を私は見逃さない。


「一昨日にドワーフのダリアって子から贈り物をもらったんだ。

 ほら、綺麗でしょ」


そう言って彼の鎖骨から視線を動かして服の下から引っ張り出されたばかりのネックレスを見る。

精巧に編み込まれた細い鎖。

そしてその先にある彼の掌に乗った指輪。

指輪だ。

なんてことだ。

私の表情筋はギリギリで仕事をしているようで、ヘンリーは気づいた様子はなかった。


「て、手に取って見てもいいだろうか」

「良いよ。ほら、凄い出来でしょ」


ヘンリーはあっさりと了承すると、首の後ろに手を回し、ネックレスを外して見せた。

見せるのはともかく、直接触らせるのならば、それほど深い仲ではないのか。

たしかドワーフ族には男性に自分の手作りの贈り物をする習慣があったはずだから、おそらくはそれだろう。

ようやく平静を取り戻した私は、先ほどのヘンリーの動きを思い返すだけの余裕が生まれていた。

男の子のネックレスを外す仕草ってなんか良いな…。


ヘンリーは私の手の上に外したネックレスを乗せた。

彼の体温が移ったそれは、金属なのにほのかに暖かい。

思わず唾を飲んでしまったが、気を取り直して見分していく。

名のあるドワーフの作品なのだろう、材料、質、作り、どれをとっても一級品だった。

自己主張を抑えたデザインはシンプルながらも気品に溢れおり、日常的に身に着けてもらうことを想定している様だった。

すばらしい出来だった。

私がヘンリーをイメージして作った指輪にそっくりだった。

そう、今私の懐に秘策として忍ばせている用意した指輪と。


まさかのプレゼント被りであった。


私の受けたショックは計り知れないものがあった。

たった数日、わずかそれだけで、ここまでの大きな差を付けられるとは。

仮に今プレゼントしたとして、このネックレスのように常日頃から着けてくれるだろうか。

そもそもドワーフからのプレゼントってことは、そいつの手作りということでは。

金額なら私の指輪の方がはるかに上だろうが、彼は金額の多寡で喜び方を変える男ではないし、私がデザインしたオーダーメイドとはいえ私が手作りしたわけではない。

これってアレでは? 「金に飽かせた金持ちの女が贈り物をして、でも真心籠もった手作りの贈り物には勝てません」的な恋の当て馬ポジションではないのか。

この前、指南書で見た奴だ。

どうしよう。

本当にどうしようか。


「…、いい指輪だな。作ったのはダリアという者か。どういう女なのだ?」

「ダリアは精錬区画に店を持っている子で…」


ヘンリーにネックレスを返すと彼はそれをテーブルの上において、製作者のドワーフについて語り始める。

私が興味を持ったと思ったのだろう、彼女自身というよりも、彼女の作り出すものとその腕前を中心とした話しぶりだった。

ああ、興味を持ったとも。腕前にも、そのダリアとかいう女にも。

このことは絶対に忘れんからな。

未だに頭の混乱は収まる気配がなく、指輪をプレゼントする踏ん切りがつかめないまま時間だけが過ぎていく。

ヘンリーの笑顔がやけに眩しかった。



◆―〇―◆



手を振るヘンリーに見送られて、私とローラは連れ立って屋敷を後にする。

結局指輪はプレゼントできなかった。

余人からの視線を遮った馬車の中で、私は思わずローラに縋り付いた。


「ローラぁ…」

「はい、お嬢様」

「贈れなかったよぉ…ローラぁ…」

「見ておりました」

「なんでデザインまで丸被りなんだよぉ!おかしいだろ!」

「お二人ともヘンリー様をイメージしたからでしょうね」

「あれでプレゼントなんてしたら私は当て馬そのものではないか!

 なぜじゃ! めっちゃ考えに考えてあのデザインに決めたんじゃぞ!」

「お嬢様が製錬技師と同等のデザイン力だったのは今回に限っては不幸なことです」

「そんなことってあるものか!うわあああん!」


私は今までの自分をかなぐり捨てて、ローラの胸に顔を埋めながら声をあげて泣いた。


――――――――――――――――――――――――――――――――

女からのプレゼントを身に着けたまま違う女と応対する奴がいるかよ。

それが居るのさ、ここに一人な!

クソ情けない主人の泣き顔を見てローラさんは新たな扉を開いたよ。忠誠心も爆上がりだよ、良かったね。


ちなみに考えなしに結婚の約束をしているように見えるヘンリー君だけど、そもそも普人族の男に生まれた以上は重婚は避けられないことだし、自分の近くにいるという時点で母の選別は受けた結婚相手の候補であることは何となくわかってるんだよね。パッパも重婚してるし。

でも結婚後の妻の序列とか力関係とかを一切考えてないからホイホイと贈り物だの約束だのをしちゃうんだ。アホだね。

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