第11話 鬼人族アヤメ・リュウゾウジと懺悔の天使

俺は地元では負け知らずだった。

生まれついての剛腕に恵まれた俺は、しかし馬鹿力だけの女だと言われるのが我慢ならず、それに釣り合うだけの技量を身に着けるべく鍛錬を積んだ。

俺の努力は見事に実を結び、同年代はいざ知らず、上の世代と比べても比肩するものなど極僅かしかいなかった。

だから調子に乗っていたのだろう。

優れた自分に釣り合うツガイを見つけるのだなどと意気込んで、ラ・ヴィンセルまでやって来て。

日雇い仕事で稼いだ金で食って遊んで、一週間。

ドワーフの屋台街を冷かしている時、あの少年の姿を目にしたのだ。


輝く黒髪、つややかな肌、次々に表情を変える美しい瞳。

彼の隣に小さいのとでっかいのが2人くらいいた気がするけれど。

買ったばかりの氷菓子が手の中で溶けたことにさえ気が付かないほどに、俺は少年に首ったけだった。

屋台街から離れていく彼の背中をふらふらとした足取りで付いていく。

その時の俺には少年を追いかけているという意識さえなかった。

燃え盛る火に向かって飛び込む虫ように、少年の魅力にやられきっていたのだ。


俺の意識がはっきりしたのは少年がドワーフ工房を出て暫くしてからだ。

自発的なものではない。

道の向こう、少年が向った広場に続く1本道のど真ん中にあいつがいたからだ。

腰には反った片手剣。

俺より頭一つ小さい体からは、抑えきれない強者の気配がにじみ出る。

虎の獣人族。

タチアナと名乗ったそいつ――後にあの【傷なし】のタチアナだと知った――は近づく俺を相手に一歩も引かなかった。

獣人族の威嚇は髪の毛が逆立つことを俺は知っていたが、タチアナはそうではなかった。

冷徹な瞳は俺の一挙一動を観察するようで、しかし俺だけを見ているわけではない。

彼女に一歩近づくたびに、皮膚が泡立つように俺のボルテージが上がっていく。


この女の向こうにあの子はいて、その道の真ん中にタチアナは立っている。

あのタチアナの少年はツガイなのだろうと俺は思った。

これほどの強者の伴侶というならば納得がいったし、これから俺のすることもシンプルにすむ。

気に入った男にこうやって近づこうとすることも、自分のツガイにすり寄る虫を力づくで叩き潰すことも、どちらも鬼人族の流儀だ。

あいにくと獣人族の文化には明るくないため確証なんてなかったが、それでも俺は確信していた。

俺達がそうなのだから、この女も


「そういう訳で、彼となりてえのさ。

 だからそこを退いてくれねえかな」

「失せろ」


タチアナが俺の予想通りの返答を返した時点で確信は事実へと変わった。

戦の前口上にしては簡素なものをお互いに投げつけ合って、俺は拳を握り込む。

既にお互いの拳の間合いの内側だ。ならばやることは決まっている。

勝った方が我を通すのだ。

自信をもって振りぬいた自慢の拳はあっさり空を切り、逆に俺の横っ面にタチアナの拳が突き刺さった。



◆―〇―◆



今日まで生きてきた俺は、狭い世界で威張り散らしていたイキったチンピラでしかなかった。

鍛えた拳も、母祖から継いだ技法の全ても、あの虎の獣人には通じなかった。

あいつは一筋の傷さえ負わないまま、俺は見事なまでにボコボコにされた。

怪我のない場所はどこにもなく、精魂尽きるまで食らいついたものの結局は殴り倒された。

意識が戻った時はすでに夕暮れ時で、きっとあの少年も既に遠くへ行ってしまったことだろう。

どれだけの力量差があるのかも分からないまま、いい様に転がされた。

なんて無様なのだろうか。

そうして物陰で1人で悔しさに震えていると、俺の顔に影が差した。

見上げた俺が見たのは、鮮やかな金色の髪。

天使族の女が心配そうな表情で俺を見下ろしていた。


「こんなとこで、何をしているんですか?」

「…見ての通りだよ、放っておいてくれ」

「そのままだと風邪ひきますよ。

 一体何があったんですか?」


普段の俺ならば怒鳴りつけていたのかもしれない。

ただ、自信というものを粉々に砕かれた今はそんな気にはなれなかった。

これ以上の恥の上塗りなんてしたくはなかったし、縛られた状態で脅しても滑稽なだけだという自覚もあった。


「何があった、か。

 お前は聞きたいのか?」

「鬼人族がボコボコに顔を腫らして縛られて転がっていたら誰でも気になりますよ」

「確かにそりゃそうだわ」


自分の現状を客観的に説明されて、俺は思わず笑ってしまった。

何をしているんですか、って訊きたくもなるわな。

悔しさは未だに心に残っているが、少しだけ心が軽くなった。

だからお節介な天使族に、お礼もかねて口を滑らせることにしたのだ。


「俺は地元で負け知らずだったんだが…」

「長くなりそうなのでそこら辺は端折ってください」

「…ドワーフの屋台街を冷かしている時なんだが――」


良い性格してるなこいつ。



◆―〇―◆



私が彼女を発見したのは偶然だ。

ヘンリーを見たという目撃証言をたまたま聞いた私は、パン屋の店番もそこそこに目撃情報を辿って製錬特区を走り回り、ダメ元で特区の外れにある広場へ向かう途中に見つけたのだ。

物陰に何かいるな、と思って目をやれば、デカい図体した変なのが縛られて転がっているではないか。

その場で衛兵を呼ばなかったのは、彼女が酷く落ち込んでいるように見えたからだ。

しょぼくれた大型犬を思わせるその背中に思わず声をかけてしまったのはそのせいだ。


アヤメは外見に反して意外と話せる女で、途中で茶々を入れても気にした様子もなく緊縛鬼女状態になるまでのあらましを語ってくれた。

要約すればヘンリーに一目惚れしてタチアナにボコられたということらしい。

ヘンリーの色香に惑わされた女がまた一人増えてしまったか…。

罪な男だぜヘンリー。

しょんぼりしたアヤメを見て、とりあえず彼女の誤解を解いておくことにした。


「タチアナはヘンリーの護衛なだけで、ツガイじゃないよ?」

「まじかよ…。あんなに強いのにあの子と結婚できねえのか…?」


衝撃の事実、という顔で恐れ戦くアヤメには悪いけど、その通りなんだよね。

ラインバッハ家は戦闘力という点で既に十分な戦力を保有している家だ。ヘンリーに何かあればラインバッハの悪夢が再来しかねないし、最悪の場合は竜が出張ってくる。

もしもアヤメの行為が成功していたらこの程度では済まなかっただろう。


「…ん? ヘンリーっていうのはあの子の名前か?

 何でお前が知ってるんだ?」

「そりゃ私は幼馴染でお姉さんだからね、マックガバン家わたしラインバッハ家ヘンリーは家族ぐるみの仲なの」


ふふーん羨ましいだろう。

マックガバン家とラインバッハ家はズッ友なんだ。

優越感に浸る私を無視して、アヤメはヘンリーの名前を何度も呟く。


「ヘンリー…、ヘンリー・ラインバッハ…それが君の名前か。

 美しい響きだ…」


この国じゃ割と普通の名前なんだけどなぁ。

というか出会ってから今まで、彼女はずっと縛られたままなんだけどそれは良いのだろうか。

胸や腰に縄が食い込んでるけど痛くはないのか。

縄をほどいて欲しいと言われなかったから放置してきたけど、流石に見てて可哀そうになってきた。

緊縛姿でしょぼくれてる彼女の姿は、かつて私がヘンリーにセクハラし過ぎて裸吊りされた過去を思い起こさせる。

ボコボコにされた上に魔力封印の魔道具で縛られたから自己治療すらできなくてすごくしんどかったんだよね。

だから彼女がどうにも他人には思えなかった。


私は悩んだ。

目の前の恋する乙女状態の女をラインバッハ家に紹介するかどうかだ。

おそらくアヤメはヘンリーを諦めようとはしない。

そしてこの国の常識を、守るべきルールについてかなり疎いところがある。

変に付きまとった挙句に一線を越えてしまえば、彼女はきっと不幸な目に合うだろう。

それは嫌だった。

少し話した程度の関係だが、彼女が純朴な性格だということは良く分かる。

誰かが少しだけ手助けさえすれば、きっと彼女は正しい選択が出来る女なのだと思う。


私はさらに悩む。

それはつまり、ヘンリーを取り巻く女が増えるということで。

恋のライバルが私の手で増えかねないということだ。

悩み、悩んで。

とりあえずアヤメの負傷を治癒魔法で回復させながら頭を巡らせる。

じんわりとした治癒の光を受けて、アヤメはようやく顔を上げた。


「治療してくれるのか、有難てえ。

 やっぱあの子の幼馴染だけあって優しいんだな」

「……そうね」


考えても答えが出なかったのだからしょうがない。

しょうがないから助けてあげる。

私はヘンリーの幼馴染だものね。

幸い骨は折れていなかったから治療は早々に完了した。

はえー、という顔をした彼女の縄に手をかける。

やけにきつく縛られた縄は中々外れなかったけど、なんとか彼女を緊縛鬼女状態から開放できた。

私に何度もお礼を言いながら立ち上がる彼女を見上げて、私は胸を張って言う。


「助けてあげるから着いてきなさい。

 ヘンリーとクラウディア様と、あとタチアナに謝りに行くわよ」

「それは助かるけど、本当にいいのか?

 俺に返せるものがねえよ」

「良いのよ」


私はヘンリーのお姉さんで幼馴染なんだから。


――――――――――――――――――――――――――――――――

≪TIPS≫天使族・追記

豊富な魔力を持ち、魔術全般を得意とするほか、治癒系の魔術への適性は群を抜いている。

大戦時は堅牢な障壁魔法を身に纏い大規模魔術を連発しながら、傷は自己治癒で治すというワンマンア-ミーっぷりを発揮した。

マジギレ魔力完全駆動状態だと頭上に光の環が浮かぶ。

背中の羽は飛行のために存在する器官ではなく、フェロモンを放出する触手に近いものであり、抱擁時に獲物を翼で包んで逃がさないためか見かけによらず力強く強靭である。

同種族と嗅覚の優れた一部の種族のみ分かる程度のフェロモンでマーキングする。

羽の膨張は性的興奮とリンクしているが他種族にはあまり知られていない。

実質的にちんちんのため、勃起した羽で相手に触れること自体に強い快感を持つ。

奉仕を好む種族傾向が強く、おはようから墓場までありとあらゆるお世話をしたいとか考える程度には独占欲と執着心が強い。

好きな体位は翼で包んだ状態でする対面座位と騎乗位。

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