第10話 ピンコロに惑う

 長寿いきいき研究所のホームページ〈健康長寿プロジェクト〉には驚いた!

「私たちが望む人生とは(亡くなる直前まで元気に活動できる)ピンピンコロリ(PPK)であり(長期の寝たきり後に亡くなる)ネンネンコロリ(NNK)ではないでしょう」だと。

○死ぬことを「コロリ」と言ふは不快なり「ネンネンコロリ」や猶情けなき


 ネンネンコロリは悪乗りが過ぎるし、ピンピンコロリだって気になる点がある。

「自宅で死んだら警察が入って(大変なこと)になる」と世間が騒ぐ〈検死〉だ。


 この言葉は〈検視〉〈検案〉〈解剖〉を包括する。


 この検死について(在宅医療の推進者)中野一司氏は『在宅医療が日本を変える』のなかで強く主張している。

「在宅医療は検死を減らす」と。


 主治医が定期的に訪問診療している場合でさえ(自宅で冷たくなった患者さんを見つけて動転した)家族が救急車を呼んだら……。

 救急隊から連絡を受けた警察も「すわ、不審死か?」と来るはず。


 そんな〈大変なこと〉を避けるため中野氏は「必ず私へ連絡するように」と初診時から家族へ助言しているそうだ。


 さて〈看取りの質〉を考えてみたい。

「家で死にたい」とは「死ぬまで家で生きたい」という願いの表現。

 ポイントは「家で」にある。

「死にたい」のではなく「生きたい」のだ。


 ちなみに「病院で死ぬのは勿体ない」という意見がある。

 〈費用〉の面から試算すると、一人分の入院費で二~三人が在宅医療を受けられる。


 しかし大切なのは〈お金〉ではなく、本人や家族の〈気持ち〉の問題なのである。

「自宅で最期を迎えられずに勿体ない」という素朴な気持ちを大切にしたい。

○わが家にて最期を迎ふるが願ひなり妻とつくりし庭をめでつつ


(20200801)

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