第10話
返事は来なかった。
逃げられたのかな。
でも、わざわざ連絡先を教えておいて、逃げるなんて、詰めが甘すぎる気もする。
骨を切らせて肉をたつ。
そんなフレーズが叙情的に周回する。
そんなに追い詰めたんだろうか?
さっきまでの和気あいあいとしたあのやりとりは何だったんだろう?幻想?僕の禍々しい欲望がにじむ妄想だった?キョウカは今、何を考えてる?今どんな顔をしている?
そして、僕はーーー
今、僕はどんな、どんな顔をしているんだろう。
きっとひどい顔をしている。
背中越しにばあちゃんがテレビを見ている。
その番組は面白い?僕の気持ちを晴らしてくれるような、笑える番組?それとも、SF的な日常を忘れさせてくれるような、僕の逃げ込む先があるような番組?
しばらくして、ばあちゃんに声をかけられた。ご飯ができたらしい。
仕方なく、食卓机に座る。
丸とも言えず、四角とも言えない、変なかたち。
遠目に見ると、ツヤツヤしていて、凛とした4本足がしっかりと盤面を支えている。
ただ、いざ近くで見れば、色んなところに無数の傷がついていて。
ザラザラしたところやガタガタした部分があった。
今の僕がこんな姿だったら、こんな風に見えていたらいいなと思う。
よく見れば、ガタガタかもしれない。
変な姿をしているかもしれない。
けど、外観さえツヤツヤしていれば。
シャキンと立っているならば。
この場は切り抜けられるかもしれない。
前菜はきんぴらごぼうだった。
温かい、できたてのきんぴら。
その昔、僕が小学校に上がるかどうかの頃、公文式の帰りにばあちゃん家で食べた、あのきんぴら。
家で出てくるきんぴらはいつも冷たかったので、そういうものだと思っていた。
おいしかった。
勉強終わりの開放感も相まって、あの時の舌先と喉元の感覚を、僕はいい思い出としてよく覚えている。
あれから、ずいぶん長い年月が経ったな、と思う。
あの頃、僕の人生は狭く、そして鮮やかだった。
悩むことなんて、何ひとつなかった。
目の前の事象に喜び、悲しんだ。
四季のそれぞれを毎日感じ、小さな、本当に小さなことにも楽しみを見出していた。
雨上がりには一生懸命虹を探した。
あんまり見つけられなかったけど、たまにうっすらとそれが見えた時には。
きっと、みんながこの虹を僕と同じように探していて。
きっとみんなが僕と同じようにそれを綺麗だと言うんだと思っていた。
今、僕の世界は圧倒的に広がっていて、広がった分だけ悲しみ、苦しむんだ。
そう思うと、大人になるってのは退化を指すのかもしれない。
小さい僕に、大人はみんな口をそろえて言った。
「若いっていいね」
「今のうちだけだよ」
それを聞くたびに、自分の人生のピークは今この瞬間であり、後ろの方になるほど消化試合が続くんだと。
そう思った。
出された料理を流し込み、パソコンの前に戻る。
やっぱり返事は来ていない。
アドレスが間違っていないことは、何回も何回も確認した。
けれど、今僕にはその間違いの可能性にもう一度かけるしかない。
そう思って、送信トレイのボタンをクリックする。
すると、受信トレイ(1)という太字の表記が目に入る。
テスト前だから、誰かが何かお願いのメールでもしてきたんだろうか。
けど、僕にノートを借りにくる友達はいないはずだ。
もっと字がきれいで、もっと成績のいい奴に連絡をするのが通常で。
僕だったらきっとそうする。
そう思いながら、受信メールを確認する。
「届いたよ!で、いつまでビタミン君なの?(笑)」
紛れもなく、僕が待ち焦がれた京香からの連絡だった。
驚き、ぼーっと画面を眺めていると、受信時間は18:22となっている。
今、20時半を少し過ぎたところだ。
なんだ、来てたのか。今までのこの時間とこの気持ちを返してほしい。
受信トレイボタンか、更新ボタンを押さないと画面が変わらないシステムを理解していなかった、ただそれだけのことだった。
小さな落とし穴が悲劇を招く。
それは子供にとっても、大人にとっても変わらない、世界の真理なのだ。
慌てて返信画面に移る。
「ごめん!メールくれてたんだね、気付かずに待っちゃってた笑 確かに、名前言ってなかったね。僕はヒロキって言います!」
少しして、返事が来た。
「時間あるって言ったのに、ひどいなって思ってたよ(笑)もう見落とさないでね!にしても、なんでカタカナなのさ(笑)」
「ごめんなさい笑 拓己って書くんだけど、パッと見読みづらいかなと思って。タクミって読まれることも多くて」
「けど、京香のこともずっとキョウカでしょ(笑)」
「そうだっけ?それはたぶん無意識だった笑」
「なんかヒロキくん、色々考えてるのか、考えてないのか、よく分からないね(笑)」
「ヒロキでいいよ!」
「いや、せっかくカタカナ使ったのに無視(笑)」
「そうだった笑 拓己でいいよ」
「じゃぁ、ヒロくんね!」
「そっちこそカタカナじゃん!」
「だって、拓くんにすると、タッくんなんだもん(笑) ひろくんもなんか間抜けでしょ?(笑)」
「何でもいいよ、好きに呼んで笑」
「じゃ、ヒロくんで登録しとくね!」
「ありがと!もうちょっとでパソコン切らないといけないから、また今度連絡するね。」
「そっか、明日は忙しい?」
「明日は塾があって。結構忙しいんだよ。毎週火曜は時間があるから、来週連絡するね。」
ばあちゃん家でしかメールできないんだよ、とは言わなかった。
今どき、大抵の家には携帯もパソコンもある。
別にお金がないわけでもないし、極端に教育熱心なわけでもない。
ただ、父親を中心に厳格な家庭であるからして、こういうものを明確な理由なく、遠ざける傾向にある。
文明の利器が備わっていない我が家を恨んだ。
本当は、帰る時間をとっくに過ぎている。
だけど、せめて少しだけ。返事だけは確認して帰ろうと焦る気持ちを抑え
ながら、さっき学んだ受信トレイを連続でクリックした。
「そうなんだ、明日も暇だったのに。じゃぁまた火曜日待ってるね!」
12月を迎え、冬まっしぐらである。
僕は今までにない高揚感を自転車に乗せながら、師走の空を駆け抜けた。
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