第7話

 童謡が夕暮れに馴染む季節を迎えた頃、久しぶりにばあちゃん家に行ってみた。夏の終わりに工事は終わっているらしい。


 この季節を迎えると、毎年1冊の絵本を思い出す。


確か、団地に住む小さな女の子とお母さんの話だったように思う。


タイトルどころか内容すら覚えていないので、一生探し出すことはできないのだろう。


ただ、黄色のワンピースに赤色の帽子を被ったおかっぱの女の子が銀杏並木を通ってお母さんと一緒にスーパーに向かう、あの一瞬の挿絵だけを鮮明に覚えていて。



 葉っぱは緑色で生まれる。


そして、時が来ると一斉に黄色だったり、赤色だったりにそれぞれ色を変え、世の中を彩る。


すごく期間は短いはずなのに、ニュースを見ても本を読んでも、新緑という言葉よりも紅葉というフレーズに触れる機会の方が多い。


その姿は信号のそれと同じで、青に関しては「進め」の2文字で片付けられてしまい、黄色と赤に関してだけは特別に事故のエピソードなどが脚色されたストーリーを持って言い伝えられる。


じっとしていなさい、注意しなさい、動いてはいけません。静的な色として気を引くために選ばれた配色なのだろうか。


ただ、秋の紅葉はいつも僕の心を躍らせ、足踏みしている自分を包み込むようにエールをくれる気がする。


黄色と赤は立ち止まれ、と教えられた気がしている。けれど、僕にとっては勇気を持って踏み出す一歩のきっかけをくれる動的な存在なのだ。



 ばあちゃん家に向かうには、大きな商店街を通ることになる。


一体誰が買うのだろうと思うような寂れたブティックや、バケツや桶だけを売っているよく分からないお店を横目に、何が9月だ、と言わんばかりに蒸し暑い夕方を自転車で疾走する。


風が生ぬるい。


それは、油に顔をつけたようなトプンとした感触を産む。


 昔公文式に通っていた頃、週3で通っていた商店街。


少しずつ、少しずつ、寂れはじめた商店街。


夕焼けを見ながら突っ走るそこはうらわびしささえ覚える。


 昔よく寄り道したおもちゃ屋さんが2軒とも店じまいを終えていることに気づく。


流行りのカードゲームのパックをよく買った「たからや」も、小学生には決して手の届かない額のレアカードを壁に吊り下げた「スターファイター」も、もうそこにはない。


今ではシャッターの奥で時を止めている。


シャッターは薄汚れていた。


恐らく、一生その空間には立ち入ることもできないだろう。


あの時、ただの通り道でなかった商店街が、今はただの通り道に成り下がっている。


音楽を聞きながらただ出発地点と目的地点をつなぐポイントでしかなくなっている。


昔はもっと色んなところにささやかな楽しみが、感情が、一日の背景が、確かにあった。


日が暮れていくのを恨めしく思った夏。


欲しいおもちゃよりも得体の知れない白髭のおじさんそのものを待ち焦がれた冬。


 僕たち人間は、慣れの生き物である。


幸せに慣れ、悦びを忘れ、そして次なる欲求を求める。


目まぐるしく移り変わる、それはもう本当に台風のように。


世話しなく蠢く時代のなかに感受性を落としてきたのだろうか。


途方に暮れる。


 かつて誰もが楽しんだ、色んな妄想をぼくは忘れてしまった。


ただ、時が過ぎ、ついに自分が、自分こそが、つまらない顔をして、つまらない時を過ごして、急ぎ足で生きる生き物に成り下がりつつある。


少しずつ、少しずつ、落としてきた感受性を、生き方を拾っていかないといけない。


そんなことを考えつつ、ばあちゃん家にどれだけの思い出の空間が残っているのかと不安に駆られながら、薄汚れた一本道をひた走った。

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