第6話

 夏が終わる頃、僕はばあちゃん家に行かなくなった。


興味がなくなったわけではない。


忙しくなったわけではない。


単に改装工事が入ることになったからで、止まっていた時が思いがけない形で突然動き出したのだ。


確かに、便利にはなるのかもしれない。屋根裏を走るネズミの足音にギョッとしなくても良くなるのかもしれない。


急すぎる階段が少しなだらかになるのかもしれない。


けれど、寂しかった。


小さな時から、たまにお泊まりして、夜は近くにお寿司を食べにいって、次の日の朝は決まって手作りドーナツかホットケーキだった。


なかでも、お皿の端っこについてくる、信じられないほど薄っぺらく塩辛いポテトチップスが大好きだった。


これが世に出れば、コンビニのうすしお味はひとつも売れなくなるんだろう。


世界をひとり占めしているような気持ちになったあの日を忘れてしまいそうで、寂しかった。


◆ ◇ ◆


 そんな雑念を忘れ、今僕は北海道にいる。学生の節目には、得てして何かしらの大きなイベントがあるものだ。


中高一貫校である僕たちにとっても、それは同じだ。


昨年までは東北旅行だったと先生に聞いた。


偶然、僕たちの学年は校長の息子が学年主任をしていて、話が通りやすいのかもしれない。


そんな下世話な噂が真実だったのかは確かめようもないが、斯くして今年の修学旅行の行き先は北海道となった。


通常の学校であれば、高校受験を控え、こういったイベントは前倒しで消化される傾向にある。


春先に体育祭を終わらせ、夏までには修学旅行に行く。


そして、それらの時間と体力を消費するイベントが終わる頃から、全エネルギーを受験に振り向けていく。


ただ、僕たちの未来は「一貫」の2文字で保証をされてしまうことから、それほど時間の制約がなかった。


事情はよく分からないが、僕たちの修学旅行は夏休みが明けた急遽9月中旬に変更された。


 早朝空港に集合し、校長の訓示を受け、校歌斉唱をする。


毎日の恒例行事なのだが、こうも他人目のつくところにて行われるのは何年経っても恥ずかしい。


何せ9クラスにまたがる肉々しい男児たちが醜声を轟かせるのだ。


そんな気恥ずかしさを現地に残し、僕たちは機内に乗り込む。



人生ではじめての飛行機。


正確には、3歳を迎える少し前にばあちゃんの実家へ行くために、1度だけ乗ったことがあるみたいだけど。


パスポートがなくても、国内便であれば飛行機には乗れるらしい。ひとつ、賢くなった。



 これから北の大地に向かうというのだ。


先生たちがどれだけ注意しても、機内は期待と熱気に包まれていた。


教師陣も含め、総勢450名がいくつかの便にまたがって出発する、その光景はまさに壮観であり、何とも暑苦しい。


来たるべきイベントを前にして落ち着かない生徒たちを尻目に、先生たちは自席で目を閉じる。


きっと、僕たちが寝静まった後のミーティングだったり、見回り活動などがあるんだろう。


今のうちに体力を蓄えておかないと2泊3日の体力が持たない。


見渡すと、後ろの方の席でチューペだけがひとりむなしく気を吐いている。



 機内では知らぬ間に時間が過ぎ、着陸態勢に入るとアナウンスが鳴り響く。


地上とは時間の流れが違うのかと錯覚するくらい、あっという間だった。


空の世界では、文字通り時空が歪んだりするんだろうか。


機体は徐々に高度を下げ始める。


激しい振動に襲われ、太ももの裏とお腹の深い部分に力が入る。


反射で外を見ると、視界が霞んでいる。


これは何だ。どこかに迷い込んでしまったのか。


周囲は平然としている。


僕は慌てて、今起きているであろうことを伝える。


するとみんなは笑いながら、「雲の中は揺れんだよ」と返してくる。


これが雲の中だとすると、思っていたよりずっと視界は良好だなとぼんやり考えた。


もっと真っ白に覆われていて。


抜ける時にはスポッという音が聞こえると思っていたのに。


そして、次第に視界が良好になり、下界を見下ろせるところまで到達した。


緑色の大地が全面に広がり、北海道が実在の地であったことを知る。


もちろん疑っていたわけではなくて。


少なくとも僕にとって、北の大地は未開の地だし、冬の厳しさも、乳牛牧場の景色も、メロン畑の匂いだって、知らないんだ。


何やら誇らしい気持ちで地上に降り立つ。


幸い天気も良く、道内ではそれなりに名の通った遊園地をひとしきり堪能したあと、バスに揺られてホテルへ向かっている。


もともと5月を予定していたらしく、いろんな準備を進めた後の日程変更だったこともあり、寝かされた歳月の分だけ、僕たちは修学旅行への期待値を高めていた。


ホテルに到着し、しおりを開く。


修学旅行に限らず、宿泊行事の明暗を最も左右するのが、部屋割りだったりする。


うちに帰るまでが遠足だとすれば、お菓子を買った瞬間が遠足のはじまりであって、宿泊行事にその理論をはめ込むとすれば、部屋割りを決めた時にはもうイベントは始まっているのだ。


北の大地は、広い。


3泊4日のこの旅路は、毎日拠点を変えながら、南部の中心地から北上を続ける行程になっていた。


全土を満喫する為というよりは、数百名をまとめて収容できる施設はさらさら見つからないため、最初から3コースに分かれて点々と違うプログラムが用意されたようだ。


初日は、健太との2人部屋だった。


5月開催の予定に伴い4月の中旬に決めていたこともあって、すっかり忘れていた。


そういえば、夏前からロクに話もしてなかったな、と気付く。


このクラスになって、開けた世界。


学校帰りにみんなで行ったカラオケのことだったり、近くのパン屋で店主を怒らせたこと。


色んな話をしたかったし、健太の今も知りたかった。


彼もきっと、同じことを考えているんだろう。


今日は長い夜になりそうだ。高いロビーの天井を見上げながら、そんなことを考えた。

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