第26話 ヒロインのお願い

 

 マリン=コールドが前世を思い出したのは4歳の時。何時ものように起きたマリンは自分の身の変化に戸惑った。昨日は友人とテーマパークで遊び倒し、有名なキャラクターをモチーフにしたホテルのベッドでぐっすりと眠ったのに、最初に映った天井は質素な木製だった。壁一面や天井がキャラクター柄の部屋はどこへいった、そもそも此処は何処だと体を起こそうと腕を前へ伸ばした時あまりにも小さな手に固まった。

 子供特有の可愛い椛のおてて。腕も短いし足も短い。何より視界の端に見えた髪の毛の色がオレンジ色だった。成人してから茶色に染めてもオレンジには染めていない。染めても綺麗なオレンジ一色になるかと自問自答し。


 取り敢えず上体を起こすも固まったまま。

 そうしている内に部屋の扉が開かれ、若い女性にマリンと呼ばれた。



「おはようマリン。朝御飯が出来てるわよ」



 顔を向けるとこれまた綺麗な女性だ。髪の毛の色は赤茶色だがとても優しそうな人。怪しまれないよう返事だけは返せた。恐らく母親だろう母親が出て行く。マリンはベッドに仰向けに倒れた。


 オレンジ色の髪に、マリンという名前。

 夜寝る前に読んでいた『マリンの幸せな恋物語』のヒロイン・マリン=コールドしか浮かばない。

 小説のヒロインに何故自分が? それとも、単に容姿と名前が同じだけの別の人間? そもそも寝てただけなのに?

 色々と疑問が生まれ、まだ部屋から出ないマリンを訝しんだ母親が再度登場するまでマリンは固まっていた。



 今の自分が本当にマリン=コールドになってしまったと受け入れられるようになって早数か月。元々仕えていた男爵家から辞めさせられるも、女であるが子供を生んだ母は男爵から援助を受けていた。正妻との間に子は生まれず、学院入学前辺りで男爵はマリンを引き取る。その時母は断固反対するも、マリンを渡さなければ命の保証をしないと言う男爵の脅迫にマリンが自ら行くと告げたのだ。全ては母を守る為。男爵家に行くと月に1度だけ手紙でのやり取りを許される。マリンが母と再会したのは王太子ヒンメルとの婚約が決まってからだ。


 自分がマリンになったのなら、どうしてもやりたいことがある。

 家の近所にある広場でマリンは考え事をしていた。『マリンの幸せな恋物語』において不幸となるのは悪女メーラ=ファーヴァティ公爵令嬢。生まれ持った天性の美貌は読者であったマリンの心を鷲掴み、誰よりもヒンメルを愛するメーラの恋心だけは純粋であった。婚約者から元になるラフレーズよりも、ヒロインで後にヒンメルと結ばれるマリンよりも、メーラこそがヒンメルと結ばれるに相応しい女性だ。



「でもなあ」



 マリンが主要人物達と出会うのは学院に入学してからだ。特にヒンメルと関わるのは入学後暫くしてから。ラフレーズに素直になれず、酷い言葉ばかり放つ自分を嫌悪し落ち込むヒンメルを見つけ、励ますのが最初の出会い。出来ればそこはマリンではなく、メーラにしてもらいたい。

 本来ヒロインがするべき行動を悪女にしてもらいたい。



「……決めたわ! 私はメーラとヒンメルが結ばれるようにヒロインの座からは降りるわ!」



 代わりにメーラをヒロインに!

 悲劇の悪女は家庭環境が大きな原因で性格の悪い女になってしまった。

 メーラは悪くない。悪いのは親世代。子は親を選んで生まれられない。


 決意を固くし、来たる日までに自分が出来る事はなにかと作戦を練るべく早速実行とばかりに動き出したマリンを呼び止める声があった。辺りを見渡してもマリンを呼んだ人らしき者はいない。気のせいかと思うももう1度声がした。上を見ろと言われ顔を上げたら、元の世界で知らない人はいない真っ黒な大きな鳥――烏が上空にいて。黒い目は嘲笑うかのようにマリンへ向けられていた。得体の知れない不気味な気配を感じるも、烏はマリンに力を貸してやると言う。



「さっきのお前の願いを聞いた。おれにはお前の願いを叶えてやれる力がある」

「いつから聞いてたの、だいたい、何よあんた」

「人間どもが言う精霊という存在だ」

「精霊……?」



 小説の世界に精霊なんて登場していない。本来なる筈のない自分がヒロインマリンとなってしまったバグがここにきて発生してしまったのか、と恐怖を抱く。烏は更に続ける。マリンの望みを叶えるには強い願いが必要だと。



「願い?」

「そう。邪な感情が一切ない純粋な願いだ。お前はその2人を結ばせたいのだろう?」

「……ええ、そうよ。メーラは悪い子じゃないもの。幸せになってもいい子よ。メーラの幸せはヒンメルと愛し愛される関係になること。本当に私の願いを叶えてくれるの?」

「ああ。叶えてやろう」



 怪しさ満点の烏の言うことを聞く気になったのはマリン自身に物語を大きく力があるのか大きな不安を持っていたことと、協力者が多ければ目的達成への近道となるからだと確信したからだ。

 烏の言う通り、その日から毎日願った。



 ――メーラがヒンメルと結ばれて幸せになりますように

 ――メーラだけを愛するヒンメルになりますように

 ――ラフレーズとヒンメルが絶対に仲良くなりませんように



 毎日、毎日、願い続けた。

 子供の頃のラフレーズとヒンメルも描写されている場面があり、殆どはヒンメルの冷たい仕打ちに耐えられず1人隠れて泣くラフレーズをクイーンが見つけ慰め、後からラフレーズを探していたヒンメルがラフレーズを抱いたクイーンに説教されるもの。



「ラフレーズって好きになれなかったのよね。ヒンメルに冷たくされて悲しいのは分かるけど、毎回クイーンを頼って慰めてもらっていたもの。そりゃあヒンメルだって優しくしたいなんて思わないわ」



 それでもヒンメルがマリンへの気持ちを自覚するまでは本気でラフレーズを愛していた。ラフレーズに冷たくしていたのだって、要はクイーンにしか頼らないラフレーズに苛立ちクイーンには嫉妬していたからで。拗らせた初恋を抱えてしまっただけ。


 マリンによる毎日のお願いの効果は烏が定期的に報せを入れにくる。

 結果を聞く度自分の願いに意味はあるのだと更に精を出した。



 ――マリン=コールドになって10年以上は経過し、男爵に引き取られ入学も済ませた今もお願いは続行中だ。


 昨日の『花祭り』メーラは朝から公爵夫人により外出禁止命令を出されるも、父である公爵の力を借りて外に出られた。『花祭り』に来ていたヒンメルと会うも、気付かない間に姿を消したラフレーズを追ってヒンメルは消えてしまった。



「もう! 何をやってるのよ!」



 男爵家にて与えられた私室にて憤慨する。枕を殴っても時間は帰ってこない。次の作戦を考えないとならない。


 大きな後押しが欲しい。

 何か、良案はないだろうか。



「……あ! そうだわ、良いこと思い付いた」



 烏はマリンの純粋な願いを叶える。

 これも純粋な願いだ。

 メーラがヒンメルと結ばれ幸せになる為の。


 枕を横に置き、ベッドに腰掛けたまま、胸の前で両手を握ったマリンは願った。



「ヒンメルがラフレーズをクイーンへの嫉妬から襲って、嫌われて絶望するヒンメルの許に来たメーラに励まされ恋をするように!」



 誰が見てもお似合いな恋人同士になっているので恋をするようにとは些か違うのではと疑問を持つも、更にメーラに夢中になるにはもっと恋をしてもらいたい。

 明日が楽しみだと嬉々とした様子で布団に潜ったマリンは部屋の明かりを消し、眠りに就いた。








 ――その日の夜。ラフレーズをクイーンに奪われた挙句、目の前で別れを突き付けられる夢を見たヒンメルが絶叫を上げて飛び起きた等と……自分の望む幸福なハッピーエンドを目指すマリンは知らない。





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