第25話 悪夢

 


 ――目の前で繰り広げられているのはなんだ、と口にする度胸と思考能力は一瞬にして消え去った。

 魔王公爵と名高いおじの屋敷に先触れを出さず突撃訪問したヒンメルは、止める執事や使用人達を払いのけ目的の人を探した。よく使うと言っていた庭園や部屋にはいない。残るは私室かと至り、更に人を多くして止めに掛かる屋敷の者達を王太子命令で退かして乱暴気に扉を開けた。広い室内を見渡してもクイーンはいない。耳を澄ませば隣から声が漏れた。1人じゃない、もう1人いる。しかも女性の声。


 嫌な予感を抱きながらも大股で隣室に続く扉を開けたヒンメルが目にしたのは、天蓋付きの大きな寝台の上で仲睦まじくするクイーンと婚約者のラフレーズがいた。



「ラフレーズ…………?」



 生気を失った声でラフレーズを呼ぶも2人は自分達の世界に浸ってヒンメルに気付かない。今度は大声で呼ぶもやはり気付かない。


 白いシャツのボタンを数個しか留めていないクイーンの肌は大きく露出され、薄い夜着を纏うラフレーズを引き寄せ頬や額にキスを落としていく。室内に漂う甘美と淫靡が混ざった雰囲気が何を齎すか、知らないヒンメルじゃない。呆然としていたのを我に返り、2人を引き剥がそうと近付こうするが――見えない壁に阻まれ近付けない。



「ラフレーズっ!!」



 喉が張り裂けんばかりの声を出したのにラフレーズもクイーンもヒンメルに気付かない。見えない壁のせいでヒンメルの姿も声も遮断されているのではないか。


 お互いを熱の籠った瞳で見つめ合っていた2人の唇が重なる。触れるだけの口付けは段々と深みを増し、軈てクイーンがラフレーズを押し倒し白く細い腕がクイーンの首に回った。



「嘘だ……嘘だっ……ラフレーズ……ラフレーズ……っ!!」



 何度も何度も何度もラフレーズを呼ぶ。

 彼女がヒンメルを見ることはない。

 ラフレーズに触れるクイーンも見ない。


 2人だけの世界に夢中となり、他人の存在等一切入らない。








「っ――――!!」



 勢いよく上半身を起こしたヒンメルの額からは大量の水筋が出来ており、額から顎に流れた水滴が衣服に落ちて染みを広げていく。荒い呼吸を何度かしている内に夢だったのかと冷静さを取り戻していく。なんて夢を見るんだと思うのと同時に有り得ない未来じゃないことに戦慄した。ベッドの上で愛し合うラフレーズとクイーン。誰が見ても2人がお互いを愛しているのは明白で。ヒンメルが割り込む隙間は一切なかった。



「落ち着け、あれは夢っ、夢なんだ」



 ラフレーズとクイーンは最近恋人になったばかり。何か理由があるのだろうと知ったのは少し前。キスをして、深く愛し合ってはいない。

 それが今だけなら……? もしも、夢の通りいつか本当に愛し合ってしまったら……? 


 その時ヒンメルの隣にラフレーズはいなくなる。隣に立つのは誰になるのか。



「……っ!!」



 考えたくもない恐ろしい予想はヒンメルの恐怖を一段と刺激した。忘れろ、忘れろと念じるのに夢で見た光景を脳はしっかりと焼き付けてしまったらしく、再び目を閉じてもヒンメルが見るのは2人が愛し合う光景だった。












「よし、今日はこれくらいでいいかな」



 コールド家マリンの部屋にて。日課としているヒンメルとメーラのカップル成立の祈りを終えたマリンはベッドに寝転がった。

 今日の花祭り結局メーラはヒンメルと行けなかったらしく、しかも母親の命令で屋敷から出る事も叶わなかったとか。だがメーラを溺愛する父親が止める使用人達を脅しメーラを外に出してくれた。お陰でヒンメルに会えるもメーラの手を振り解き勝手にいなくなったラフレーズを追い掛けてしまった。

 と、マリンに教えたのは真っ黒な鳥の精霊だった。この世界では稀に精霊を視る目を持つ人間がいるらしい。特別なのは精霊が視えるだけで他は何もない。

 不便とも便利とも思わなかったが有益な情報をくれる精霊には感謝している。前世でもよく見掛けた烏と酷似しているので精霊をカラスと呼んでいる。


 マリンがメーラの初恋を叶えたいという願いをカラスは協力してやると言って近付いて来た。最初は原作にいないキャラで警戒したがカラスの情報は非常に助かり、今では頼りになる協力者だ。

 日課となる祈りもカラスに勧められたからだ。神頼みというやつだが、人の純粋な祈りを叶えてくれる神がいるのだとカラスは言う。



「嘘か本当かは置いといて、ちょっとでもメーラの為になるのなら苦じゃないわ」



 悪女にする為とは言え、メーラは可哀想なキャラだ。父親に溺愛されているが母親からは冷遇され、姉のグレイスと明確な差を付けられ続けた。見目は母親にそっくりなのに冷たいのはある理由があるからだ。メーラは関係ないのに、大人の問題なのにと悪女寄りなマリンは憤慨した。

 まともに育てられていたらメーラは悪女にならなかった。悪女を救うのがヒロインとなった自分の役目だと決意を新たにした。



「お祈りしながら寝ようかしら。ヒンメルとメーラが結ばれ、ハッピーエンドを迎えますように」



 メーラをヒロインにと動いているので中々原作通りにいかないが何れヒンメルとラフレーズの婚約は破棄され、クイーンの婚約者となる。原作では失踪したラフレーズがクイーンの婚約者として再び表に現れた時、ホーエンハイム公爵邸の使用人達を押し退けラフレーズに会おうと強行突破した先でヒンメルが見たのは、深く愛し合う2人だった。もう自分がラフレーズの手を取れる日は来ないのだと知り絶望したヒンメルは屋敷を飛び出し、街を彷徨った。

 亡霊のように宛もなく歩いていた所をマリンと遭遇するのだ。原作では中盤以降なのでこの展開はまだまだ先だ。他の展開に持って行くか、新たな展開を作らないとならない。



「頑張るのよマリン。ヒロインだからこそ出来るハッピーエンドなんだから」




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