第14話 ヒンメルの心情

 

 自分以外に誰もいない私室にて――。

 毛先にかけて青が濃くなる銀糸を掻き上げ、頭を抱えるヒンメルはずっとクイーンの言葉が忘れられないでいた。

 ラフレーズからメーラに婚約者変更の準備は既に出来、ヒンメルが国王に訴えればすぐに可能だと。

 ファーヴァティ公爵家の次女メーラに接触し、親しくなり、恋人と呼ばれるようになったのはある事が理由だった。おじクイーンの態度から察するにまだ理由を知らないと見える。


 父リチャードもまだ話していない。以前、ラフレーズにメーラと恋人になった理由を明かしたいと話した際、自業自得だとリチャードに一蹴された。



「何故なんだ……っ」



 隣国の姫を母に持つラフレーズとの婚約は、関係強化の為必要だとずっと周囲に言い聞かされた。王子として生まれた以上、政略結婚は避けられないと分かっていたのに心のどこかでは自分で好きな人を見つけたかった。

 ラフレーズとの初対面は忘れられない。母親譲りのストロベリーブロンドは見た事がなく、温かな森を連想とさせる新緑色の瞳は伏目がちで顔は俯いていた。同席していたベリーシュ伯爵が気遣わしげにラフレーズを呼んだのを見て、気まずい空気をこれ以上出してはならないとヒンメルはラフレーズを王宮の庭を案内すると手を差し出した。

 俯いていた顔をゆっくりと上げたラフレーズは、少々驚いた顔をするも――はにかみながらヒンメルの手を取った。


 他人のそんな顔を見るのが初めてだったヒンメルは胸が高鳴った。元々、母親に似たラフレーズはとても愛らしい少女。同い年の女の子と接する機会があまりなかったヒンメルは、初めて向けられたそれをどう扱えばいいか分からなかった。

 周囲からは王太子として常に己を律しろと言われ続け、王妃である母からも「貴方はこの国唯一の王子であり、王太子です。決して他人に弱みを見せないこと。婚約者に対してもです。いいですね?」と厳しく言われた。

 それが当たり前なんだと思っていたから、初対面の日以降から始まった婚約者の定期的なお茶の時間でも訪問でも感情を出さないようにした。


 最初は気持ちを素直に見せ、1日の出来事や自分の事をヒンメルに知ってもらおうと話すラフレーズに対し、ヒンメルは時偶相槌を打つだけで自分は何も話さなかった。ヒンメルの冷たい態度にもめげず、ラフレーズは王妃教育が終わった後でもヒンメルに会いに来てくれた。


 嬉しいと感じていたのに、周囲や王妃の言葉を思い出しては表に出してはならないと己を律し続けた。


 でも、ある時知ってしまった。


 それはヒンメルがラフレーズの好物を聞いた時。その場に同席する従者にラフレーズがあまりにも可哀想だと指摘され、ヒンメルは今度からラフレーズの好きな茶菓子でも出そうと決めた。好きな物を聞かれたラフレーズは驚いていたが、すぐに全身から嬉しさを醸し出していた。好きな女の子のとても嬉しそうな姿はヒンメルにとっても嬉しい物だった。

 ……しかし、見てしまった。


 ラフレーズがおじクイーンと食べていたスイーツが、ラフレーズが苦手と言っていた甘いスイーツばかりだと。

 自分には苦手だと言っておきながら、クイーンと見たことがない屈託のない笑顔でスイーツを食べるラフレーズとそれを微笑ましげに見つめるクイーン。瞬時に湧き上がった怒りの感情が何か今なら分かるが、当時は意味が分からなかった。結局、次に会った時ラフレーズが好きだと言ってくれたスイーツを用意しても、あの時の光景が忘れられずずっと不機嫌だった。ラフレーズもヒンメルの機嫌の悪さに気付いていたから、居心地が悪そうにスイーツを食べていた。


 クイーンに嫉妬していた。

 今でも変わらない。


 クイーンが好きなら、クイーンと婚約したらいいと言えたら楽になるだろうか。



「……きっと、ならない」



 ラフレーズを好きな気持ちは変わらない。

 隣国との関係の為に自分と婚約が結ばれたとラフレーズも理解している。メーラと恋人になった時、ラフレーズからは何度も別れてほしい、節度ある振る舞いをしてほしいと訴えられた。理由があるのとラフレーズが自分のせいで傷付いていると知りながら、気持ちが自分に向いている仄暗い喜びから徹底的にラフレーズの言葉を無視し続けてきた。


 ……その結果が今である。


 のろのろと立ち上がったヒンメルは重い足取りで部屋を出た。向かう先は父がいる執務室。大抵の時間を執務室で過ごしている。

 許可を貰って入室すると休憩していたようで、一口サイズのスコーンとティーカップが執務机に置かれていた。ティーカップから立つ湯気が注ぎたてだと主張している。


 ヒンメルは入室理由を問われた。



「……おじ上から聞きました」



 昼食の時刻、クイーンから放たれた台詞をリチャードに伝えると「事実だ」と告げられた。



「何故ですか!! メーラについては、調査の為だと父上は知っているのに!!」

「何度も言わせるな。確かな関係を築かず、ラフレーズならずっと待っていてくれると思い込むお前にいい加減おじ上も堪忍袋の緒を切られたのだ」

「なら、おじ上に話させてください! 僕がメーラと恋人になった理由を!」

「……ヒンメル」



 厳しさが1段増したリチャードの声がヒンメルに刺さった。



「確かに私やベリーシュ伯爵は、マリン=コールドと特に親しげなメーラ=ファーヴァティに接触し、親しくなれと命じた。だが、恋人になれとまでは言っていない。勝手に恋人になった挙句、ラフレーズに見捨てられかけているのはお前の自業自得だ」

「…………」



 ヒンメルは何も言い返せなかった。リチャードやベリーシュ伯爵からは、メーラと親しくなりマリン=コールドの情報と様子を探れと命じられた。必要以上に親しくすることもないと。でも、確実な情報を得るには友人以上の関係が必要だと判断したヒンメルは、メーラから疑われることのないよう頼まれるがまま恋人になった。恋人になったと明かしたら、ベリーシュ伯爵からは非難され、リチャードからは何も言われなかった。

 ベリーシュ伯爵から非難される度、その苛立ちをラフレーズにぶつけてきた。彼女は無関係なのに。更に距離が開いていくラフレーズとの現状にも苛立つがメーラに会う事で癒されていた。


 父が何も言ってこなかったから、大丈夫だと勘違いしてしまった。


 冷たく言い放され、執務室を出たヒンメルは正気のない足取りで再び私室へと行った。


 途中、2人の男女の姿を見かけて足を止めた。壁に凭れているのはおじクイーン。一緒にいるのは……。



「ラフレーズ……」


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