第37話 娘の嫉妬は蜜の味

「うひぃ……疲れた……」


 大量の荷物を持ち、ショッピングモールの通り道に設置されているベンチへと倒れ込む。


 色んな場所に連れ回されてもはや疲労困憊の極致にあった。


「なんだよ令次ぃ~。なんでもするって言ったじゃんかよぉ~」


「だ、だからこうして付き合ってるだろ……」


 冬服などの必要な買い物に加え、初海が望むものを多少買いそろえているのだが……女性の買い物を甘く見ていた。


 とにかく色んなものを試し、話し合ったうえで結局買わなかったりするのだ。


 買い物を楽しんでいるのだろうが、どうにも男の私にはそぐわない世界で、気疲れする一方だった。


「はい、次行こう次~~」


「ちょ、ちょっと休憩させてくれ」


「しゃあないなぁ。じゃあ、そこの店に入ってるから早く来てな~」


 初海が指差したのは服飾関係のファンシーな店で、男性お断りの雰囲気がぷんぷんしているところだ。


 さすがにこの店にひとりでのこのこと入る勇気はなかった。


「……冬服はもう買ったろ?」


「あっちは日常生活で着る服。こっちはおしゃれ用!!」


 元はと言えば身から出た錆である。


 断るわけにもいかず、仕方なしに立ち上がると……。


「お父さん、本当にだいじょうぶ? 私も荷物持つよ?」


 美海が私の背中に手を添えて気遣ってくれる。


 非常に嬉しいのだが、美海は美海で問題があった。


「重さはそんなに大したことないから大丈夫。それより美海も欲しいものを言いなさい」


「え……。私はいいよ」


「ダメだ。じゃないと前みたいなことになるだろ」


 美海は遠慮するあまり体に合わない下着を身に着けて苦しい思いをしていた。


 こういう機会に買い与えて押し付けないといつまでも同じ服を着ていそうである。


 実際、今だって私のお古である男物のダッフルコートを着ているのだから。


「でも……」


 まだグダグダ言っている美海にしびれを切らした私は、伝家の宝刀を抜き放つ。


「可愛い美海が見たい。だから買ってくれ」


「――――っ」


 効果はてきめんで、美海の頭にカァ~っと血が昇っていくのがはた目にも分かった。


「お父さんっ! だからそういう軽い事言わないでって!!」


「ごめんごめん、でも本心だから」


 ついつい美海の反応が愛らしくて更にからかいたくなってくる。


 なんだろう。好きな娘をいじめてしまう小学生レベルにまで精神年齢が落ちてしまっているのかもしれない。


「もう、お父さんが軽い人みたいになるのが嫌なのっ。…………だって、一生懸命私を助けてくれたお父さんが好きなんだもん……」


「――――ぐっ」


 最後のつぶやきは本当に卑怯だ。


 私の最終兵器が可愛く見えるくらいに破壊力抜群である。


 ここが人前でなければ今すぐにでも抱きしめていただろう。


「は~いはい。アタシも居るんだからふたりの世界に入るのは勘弁してよ」


「――っ!!」


「――ご、ごめんね、初海……」


 美海とふたりして初海に頭を下げる。


 最近よく初海に謝っているのは気のせいではないはずだ。


 意識して自重はしているのだが、すぐにタガが緩んでしまうのは幸せなことが原因にあるのではないだろうか。


「もういいから行こうって。あ、でも店員さんの前でそういう新婚みたいな雰囲気出すのだけはやめてよ~」


「はい、分かりました」


「自重します」


 初海の注意を胸に刻みこんでからブース内に足を踏み入れる。


 中は思っていた通り、いや、それ以上にファンシーな雰囲気で、男性である私は非常に居心地が悪いものだった。


 そんな私を気遣ってか、初海が私の腕を引っ張り、店内の奥へ奥へと連れていく。


「実はさ~、前見て良さそうなヤツあったんだよね。あ、美海ねえに似合いそうなのもあったんだ。見てよ」


「分かった分かった」


 そして私は試着室の前で初海のファッションショーを見せられることになった。


「こういうパンク系って意外と好きなんだけどさ……」


「ラメ入ってるのとか派手すぎかなぁ」


「あ、でもこういうシルバーのラインが腕に……」


「可愛い系は恥ずいんだけどどう?」


 初海は言動に反して意外と女の子な面を持っている。


 むしろ、美海よりもこういったおめかしが好きなまであった。


 だからだろう。


 だんだんと初海の親権さが増していき、かなりの熱意をもって意見を聞いてくるようになってしまった。


「ねえ、これどう?」


 見せられたのはやや変化球気味のストリート系ファッションで、Tシャツをいくつか重ね着して一番上のシャツを斜めに配しているようなデザインのものだ。


 初海の雰囲気と割合マッチしているのだが、反抗する理由を失って黒に戻った髪の色と少し合っていない様な気がする。


 そのことを素直に伝えると、初海はまたも試着室に引っ込んでしまった。


「やれやれ……」


 大変ではあるが、目の保養にもなるしいいかと思いつつ軽く伸びをする、と――。


「お父さん、楽しそうだね」


「うおっ」


 少し尖った感じの声が耳元で響く。


 慌てて振り向くと、腕組みをした美海が不機嫌そうなジト目で私を見つめていた。


 そういえば少しの時間、美海の姿を見ていなかった気がする。


 既に紙袋を小脇に抱えているため、もう自分の買い物を済ませてしまったのだろう。


 となると、初海にばかり構っていて、美海のことは放置してしまったことになる。


 あまりにもマズい所業だった。


「い、いや……その、まあ、おやしてるなぁって感じだとは……思ってマス」


「初海、可愛いもんね」


「ま、まあ?」


 初海は美海の妹らしく、わりと整った顔をしている。


 綺麗な美海とはまたタイプが違って小動物的な方向に針が振れており、人懐っこい性格も相まってかなり可愛い娘だった。


「お父さん」


「は、はいっ」


 別に悪いことはなにもしていないのだが、ついつい迫力に圧されて直立不動の姿勢を取ってしまう。


 たまたま近くに居て品出しをしていた店員さんが、こちらを見てクスリと含み笑いをしていた。


「ちょっと着いて来て下さい。私も買いたいものがあります」


 敬語になった美海は……怖い。


 本気で怒っているのがよく伝わってくるからだ。


 無論、私に美海のお願いを断る権利はなかった。


 これからも長い時間迷うであろう初海のことは店員に頼み――可愛い初海を着せ替え人形にできるので喜んでいた――、ついでに荷物も初海の試着室に放り込んでからファンシーショップを後にする。


 美海に連行されるまま、ショッピングモールを歩く。


 本屋に電気店、よく分からないアイドルのグッズコーナーなどなど、様々な店があったのだが、その全てをスルーして行った。


 やがて人気のほとんどない裏口にまでたどり着く。


 あるのは自販機とベンチ、それからトイレくらいのものだ。


「もしかしてトイレに……」


「いいからついて来て下さい」


「わか――ってなにを!? トイレに一緒にって!!」


「早くしてくださいっ!」


 私が抗おうとしても美海の力は強く、無理やりトイレに連れ込まれてしまう。


 男子トイレであったことは私にとって多少の幸いだったが、なんの慰めにもならなかった。


 最奥の個室に美海と共に入る。


 新しいショッピングモールであるため、個室自体はわりと広く、掃除も行き届いて綺麗だった。


「…………」


「あ、あの……美海さん? どういう……」


 恐る恐る質問を飛ばしてみる。


 人気のないところ。


 ふたりきり。


 と来るとやや変な妄想をしてしまいそうになるが、さすがにリスクが大きすぎて美海もそのつもりはないだろう。


「お父さん、見て」


 なにを、と問い返す間もなく美海はダッフルコートのファスナーを下ろし始めてしまった。


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