第32話 見せつけ

「な……な……な……」


 混乱しきった八尋が私たちに震える人差し指を突きつける。


 当たり前だ。


 キスをしているのは、八尋にとって自分の元夫とお腹を痛めて産んだ娘。


 血の繋がった父娘なのだから。


「んっ……ふぁ……おと……さぁん……」


「……美海……」


 絡みつく舌が心地いい。


 あたたかく私を抱きしめてくれるのは心から安心する。


 甘い吐息で肺腑が満たされるのは脳が痺れるほどの多幸感をもたらした。


 私たちの関係は決して誰にも知られてはいけない。


 ましてやキスを見せつけるなんてもってのほかなのに、始めた口づけを止める気にならなかった。


「あなたたちっ!! なにをしてるのっ!!」


 金切り声が大気を破る。


「父娘なのよっ!! 異常よっ!!」


 あれほど非常識な認識と態度を繰り返してきたというのに、私たちの関係は受け入れられないらしい。


「……聞いてなかったんですか、設楽さん」


 私から唇を離した美海が、けれど抱き合ったままに冷ややかな目を八尋へと向ける。


「お父さんにはそういう相手が、お父さんを慰める妻が居るんだって」


 触れあっている私には分かる。


 冷静なように見えて、美海の胸中では激しい炎が燃え盛っていた。


 それこそ、恐怖の対象に抗うなんて生易しいものではない。


 敵を全力で叩き潰すという選択をするほどに。


「聞いてたわよっ! でもそれがアンタだとはふつう思わないでしょうっ!!」


 考えてみれば先ほどまで八尋の取っていた行動は、妻の目の前で夫をレイプしようとしている泥棒猫……いや、犯罪者の所業だ。


 なら、私のことを心から愛してくれている美海が激怒してもおかしくはなかった。


 ……私のことを想って心の傷すら乗り越えてくれる。


 そこまで深く想われていたなんて、正直嬉しくて仕方がなかった。


「へぇ……その程度で男を扱うプロだと思い上がってたんですね」


「たかがウリするのが嫌で自殺しようとしてた小娘が言うセリフ!?」


「たかが娼婦の真似事しかできない半端ものが思い上がらないでください」


「なっ」


 一片の容赦すらない辛辣な言葉が次々と美海の口から生まれ、八尋を突き刺していく。


 美海の瞳は絶対零度の冷気を宿していた。


「お父さんみたいにいい人を手放して、他の男とよろしくやる程度の見る目しか持ってないじゃないですか、あなたは」


「こ……のっ」


 冷え冷えとした雰囲気に反して私を抱きしめる美海の腕は、より強く、より熱くなっていく。


 それは、私と美海が愛し合った時を思い起こさせるほどの熱量で……。


「あ……っ」


 条件反射とは恐ろしい。


 美海の感触や香り、いや、彼女が近くに居るというだけでつい息を荒らげ興奮を露わにしてしまっていた。


「す、すまない、こんな時に」


 真面目な話をしている時に欲情してしまうなど、あまりに場の空気を弁えていない所業だ。


 けれど、そんな私を美海は見て、にんまりとした笑みを浮かべる。


「ううん、嬉しい。設楽さんに抱き着かれた時は気持ち悪がってたけど、私の時はそんなに嬉しく想ってくれてるんだ」


 八尋と言い合っていた権幕は鳴りを潜め、代わりに見知ったいろが彼女の頬を染めた。


「いや、でも……だな」


 八尋の前で美海との関係を肯定するようなことを口にすべきではないと思って一瞬迷ったが、どうせもうフレンチ・キスするところを見られているのである。


 今更な話であった。


「……ねえ、お父さん。どうせなら設楽さんに私たちが愛し合ってるところを見せつけてあげようよ」


「え?」


「あの人の基準は感情であって、好きかどうかでしょ?」


「まあ、そうだな」


 今のところ、八尋の自信を支えているのは色んな男たちが自分に価値を付けてくれている所という感じはする。


 なにせそれだけしか話していないのだから。


「だから、私とお父さんはお互いを最高に好きあっていて、もう他の人が入る余地なんてないってことを、一番確実に分からせられるんじゃないかな」


「…………」


 確かに一理あるのかもしれない。


「お父さん。今日は初海が帰って来ないんだよ?」


 八尋がやってきたのは十七時過ぎ。


 話し合いで時間を取られたとしても、十八時を回っていることはないだろう。


 つまり、美海との時間を六時間は確保できるのだ。


 なんとも魅力的な提案だった。


「まったく……」


 本当は今すぐ美海を抱きしめたかったが、ひとつだけ八尋という懸念があった。


 ただ、彼女が騒ぎ立てたところで果たして信じる人は居るだろうか。


 物的証拠が無ければただ悪評を流そうとしただけと取られて終わるだろう。


 なら……。


「仕方ないな」


「うんうん、仕方ないよね」


 というより私が考えている間中、美海は男根を緩やかに扱き続けてこちらの獣欲を煽ってくる。


 さすがに美海へぶつけなければ辛抱たまらなかった。


「悪いだ!」


「あんっ」


 美海を丈の低い座敷机の上にゆっくり押し倒すと、黒髪がざぁっと扇状に広がる。


 制服姿の娘が頬を赤く染めながら私を見つめていて、まるで絵画のような美しさだった。


「…………」


 チラリと目だけ動かして八尋を窺う。


 八尋は信じられないとばかりに口を半開きにして固まり、じっとこちらの方を見つめている。


 互いが望んで行う近親相姦というあまりに大きなショックを受けて、完全に思考が停止してしまっているようだ。


 しばらく何かをしてくることはないだろう。


 目線を戻して美海と見つめ合う。


「美海、愛してるよ」


「私も愛してる、お父さん」


 なによりも愛しい娘を前にして、自然と笑みがこぼれる。


 美海も同じ気持ちなのか、幸せそうな笑みを浮かべていた。


 どちらからともなく顔が近づいて行き……。


 私たちは再び口づけを交わした。



※カクヨム規制版なため、一部描写を変更しております、ご了承ください

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