第11話 堕ちた女はその自覚すらなく地べたを這いずる

 設楽初美。実の娘である設楽美海の妹を名乗る少女から聞きだした住所は、隣の市であった。


「そろそろ着くから電話を持って待機していてくれないか」


『なあ、やっぱりアタシも行った方がよかったんじゃねえの?』


「確かに人手が多ければそれに越したことはないが、今の君はむしろ足手まといだ」


『…………』


 どうやら初海は連日連夜に渡り、自分の足だけで探してくれていたらしい。


 そのため、私の家にたどり着いた時には既に疲労困憊しきっており、戦力としては考えられない状態だったのだ。


 仕方なく初海には家で待機して居てもらい、私ひとりで敵地へと乗り込むべくタクシーに乗っていた。


「わざわざ私を探してまで伝えにきてくれたことは感謝している。それだけでも十分だよ。君の仕事は終わったから休んでなさい」


『分かってるよ。だから一杯やってる』


「酒は飲むなよ」


『大変な時に飲むはずないだろっ! 第一アタシは未成年だ!!』


「なら良かった」


 なら一杯やってるなんて誤解するような言い方はするなと言いたかったが、ぐっとこらえる。


 想像になるが、そういう言い回しを覚えてしまう様な環境に置かれていたのかもしれない。


 美海も同じかと思うと、胸が苦しくなる以前にそういう環境から助け出せなかった自分に腹が立ってくる。


「着きましたよ、お客さん」


「あ、はい。ありがとうございます」


 スマホに向かって「じゃあ」と断り、通話状態を維持したまま胸ポケットに入れる。


「ちなみに、この近くで待っててもらえるとか出来ますかね」


「……すぐなら出来なくもないですが」


 どれだけ時間がかかるか分からない上に、タクシーが必要になるかも分からない。


 さすがに頼むのは無理があると判断し、急いでくれたお礼も兼ねて少し多めにお金を払ってタクシーを降りた。


「あの娘の言う通りなら路地裏に入って――」


 呟きながら道路を挟んで向こう側の家々を眺めて――目が合った。


 忘れもしない。


 あの顔は、絶対に。


「八尋……!!」


 元妻。設楽八尋。


 真っ直ぐで長い髪を金と茶色でまだらに染め、それをちょうど中央で割ってやや後退したおでこを出している。


 化粧は前よりも濃くなったのか、過剰なまでに赤い唇が目立つ。


 その上、遠目からでも分かるぐらい長いつけまつげをしていた。


 ギャルと言っても過言ではない容姿だけならば、恐らく彼女だと気付かなかっただろう。


 けれど身にまとう雰囲気、煙草を加える仕草、なにより時を経てなおギラついた眼差しが、彼女こそ八尋であることを物語っていた。


「あっ!」


 私の姿を認めるや否や、八尋は踵を返して走り出す。


 瞬きひとつする間もなく、彼女は姿を消してしまった。


 だが――。


「聞いた家の方角だな。そういえば荷物も何も持っていなかったかっ」


 連絡を取るために戻ったかもしれない。


 いずれにしても迷っている時間すらなかった。


「すみませんっ!!」


 車がやって来る中、手を挙げて謝りながらも道路に飛び出す。


 クラクションが鳴り響き、怒号が飛ぶ。


 けれどそういったものを全て無視して強引に道路を横断すると、八尋の後を追った。


 細い小道を走ると、ほどなくして古いアパートが視界に入る。


 アパート壁面に書かれているかすれた文字を拾い集め、胸元に怒鳴った。


「イクサイ……なんちゃらで合ってるか!?」


『小此木レイクサイド!! 合ってる!!』


 前半部分が消えてなんとも破廉恥な雰囲気の名前になってしまっている。


 普段なら物笑いのタネになるのだろうが、今は嘲笑われているようで逆にむかっ腹が立った。


「おい、八尋! 出てこいっ!!」


 怒鳴りながら教えられた一室へと迫る。


 本来ネームプレートの類がかけられているところに何もないのを見ると、後ろ暗い生活を営んでいるのだろうかと勘繰ってしまう。


「話がある!」


 ドアノブを掴んで回すと、ガチャガチャと音がするだけで開いてはくれない。


 鍵をかけて籠城すると決めたのだろう。


 だが、もちろんこうなることは織り込み済みであった。


 初海から借りた家の鍵を取り出し、錠前に差し込む。


 予定通りにドアはするりと開き、私を中へと迎え入れてくれた。


「いやぁぁぁっ!! なんでぇぇっ!!」


 金切り声をあげながら八尋が部屋の奥へと逃げ込んでいく。


 傍から見れば完全に押し込み強盗である。


 警察を呼ばれでもしたら、こちらに非がないとはいえ時間が取られてしまうのは明白だ。


 今は一分一秒を争うのだから出来る限り避けたかった。


「お前が娘の美海に変なことをやらさせてるのは分かっている! それで自殺未遂を何度も起こしてるんだぞ!」


 八尋ではなく周りに住んでいる誰かへ聞かせるために、声を張り上げる。


 効果があるかどうかは分からなかったが、何もしないよりかはマシだろう。


「来ないでっ!! 誰か、助けてぇ!!」


「ふざけるな!! こっちがお前から娘を助けに来たんだよ!!」


 八尋は助けてと言ってスマホを握っているのに誰か助けを呼んだり通報する気配はない。


 やはりなにか後ろ暗いことがあるのだと確信を覚えた。


 悪いとは思いつつ土足のまま狭苦しい1Kの部屋へあがると、奥の寝室として使われているであろう部屋にまで踏み入れる。


 部屋は様々な物が乱雑に置かれ、中央に布団が敷きっぱなしになっている汚部屋一歩手前といった惨状で酷いありさまだった。


 唯一綺麗なのは、半分だけ引き戸が開いている押し入れの中だけ。


 幼稚園で配られるような柄の小さな用具入れが端の方に据え付けられていた。


「――っ!!」


 カッと頭に血がのぼる。


 小物入れには、見覚えがあった。


 私が何時間も悩みぬいた末に買ったものだからだ。


 まだ持っていたのかという哀愁と、まだ持っておかざるを得ない状況にまで追い込んだ八尋への怒りがふつふつと湧いて来る。


「美海はここで生活しているのか?」


「……え?」


 突然なにを言い出したのかといった感じで八尋が当惑する。


 分かっていないのだ、こいつは。


 あまりにも日常すぎて、子どもをこんなところで生活させることがあり得ないということに。


「こんな押入れが美海の部屋なのかと聞いているんだ!!」


「そ、それは……そうだけど……。仕方ないでしょ、貧乏なんだから」


「私が毎月入金している養育費の十五万はどこに消えた!! 何に使った!!」


 八尋がしまったといった様子で息を呑む。


 化粧のせいで顔色だけが変わらないのが不気味だった。


「あの金は美海を育てるための金だ! お前みたいなヤツが自分のためだけに使っていい金じゃない!!」


 相場の二倍も送金していたのは八尋の金遣いの荒さを知っていたからだ。


 それだけのお金を送れば、多少八尋が使ったとしても美海に残るだろうと思っていた。


 でも、現実は違う。


 このザマだ。


 娘に一切お金をかけず、ずっと着服し続けたのだ。


 せめて母親なら少しぐらい愛情を持っていると思っていたのに。


「もういい。美海になにをした? いや、させた? それだけ答えろ」


「な、なんのことか分からないわ」


 この後に及んでもとぼけるなど、反省どころか悪いとすら思っていないのだろう。


 思わず握りこんだ拳を振りかぶりそうになって、必死に自分を抑える。


 もしこの世界に刑罰がなかったのなら、間違いなくこの女を殺していたはずだ。


 そのぐらい、はらわたが煮えくり返っていた。


「お前は変わらないな。浮気がバレた時とおんなじ態度取ってるの、自分で気づかないか?」


「は? なにが?」


「もういい。スマホを渡せ」


 私がそういった瞬間、八尋は体を捻って私の視界からスマホを外す。


 その態度と表情で、そこに秘密があるのは明らかだった。


「わざわざこんな捕まえてくれと言わんばかりの場所に逃げこんで、真っ先にスマホを掴んだんだ。なにかあるだろう」 


「ち、ちがっ!!」


 明らかな嘘に付き合う義理は無い。


 私は「嘘は要らない」と一言で切って捨てると八尋に掴みかかった。

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