第11話 別れ

「申し訳ありません。遅くなりました」


 主人が、家の前でタカテラスと話しているのを見たノトイアは、息を切らしながら申し訳なさそうに二人に近づく。すると振り返ったタカテラスは、困ったような悲しいような表情を浮かべ、一方でグレイスは渋い顔をしていた。


(何かあったのだろうか?)


 ノトイアは、二人が纏う空気がいつもと違うことを察しながらもあえて聞かず、話してくれるのを待った。


「ノトイアさん……その……」


 タカテラスが何かを言おうとしたとき、遮ってグレイスがノトイアに命令した。


「ノトイア、タカテラスにその菓子をそのままあげてくれ」


 主人の指示に、彼は動揺した。


「え? い、いいのですか?」


 どうやらタカテラスはもう帰るところらしい。やはり今年で60歳になる自分が気を利かせて、少し遠いところにある菓子屋へ向かったのは間違っていたようだ。もし近くの菓子屋で済ませていれば、彼はもう暫くとどまってくれたかもしれない。

 主人の為に上手く動けなかったことが悔しく、心の中で自分で自分を責めていると、グレイスは「いいんだ」と明るくもどこか諦めた声で言った。


 ノトイアは状況が掴めないまま、二人を交互に見た後、買ってきた菓子が入った紙袋をタカテラスに渡す。


「あの、グレイスさん……」


 タカテラスが貰うのを渋っていると、

「お前が受け取らないと、ノトイアの仕事が終わらないぞ」

と言うので、タカテラスはおずおずとノトイアからその紙袋を受け取った。


「ノトイアさん、ありがとうございます。もし、またお会い出来たらお話しましょうね」

「タカテラス様……?」


 するとタカテラスはにこっと笑い、二人に「お菓子いただいていきますね」と言って、背を向けようとしたときだった。グレイスが友の名を呼んだ。


「タカテラス」

「はい?」

 振り向いたタカテラスに、グレイスは言った。

「困ったことがあったら、必ず俺を頼れ。いいな。絶対だぞ」


 タカテラスはにこりと笑うと、「はい」と頷く。グレイスはそれ以上何も言わなかった。


「それじゃあ」


 そう言って去っていく友人を見送った主人は、いつになく悲しそうで、友の背が見えなくなってからも、暫く玄関先に立ったままだった。



「ノトイア」


 どれくらいそうしていただろうか。

 主人が外にいるので、同じように傍で立っていたノトイアは、彼の呼びかけに顔を上げた。


「はい」


「近くでいいと言ったのに、あの菓子屋まで行ったのか?」


 主人の問いに、ノトイアは考えを巡らせた。

 先ほどタカテラスの為に買いに行った菓子屋は、ここから片道20分かかる場所にある。しかし片道10分圏内にも、いくつか菓子屋はあるので、わざわざ遠いところに行かなくても良かったのだ。


 気難しい主人ではあるが、ノトイアは彼のことを好いている。融通が利かない性格を見ていると、少しは聞き流したらいいのにと思うのだが、その真っ直ぐに受け止めるところが主人の良さでもある。


「グレイス」という人物の良さを知って、近づいてくる人はあまりいない。

 そのため、グレイスにとってタカテラスは特別な人だ。彼は主人のまことの部分を知って、付き合ってくれているのだということが分かるので、ノトイアとしては、この関係性を自分が出来る限りのことで支えたいと思っていた。だがそれは、余計な気遣いだったのかもしれない。

 ノトイアは深々と頭を下げて謝った。


「申し訳ありません。旦那様も、タカテラス様もお好きだからと思ったばっかりに……」


 だが、主人は全く責めなかった。


「いいや、嬉しいよ。感謝する」


 優しい言葉だった。心からそう言ってくれていることも分かる。

 しかしその声がいつになく寂しそうだったので、ノトイアはそろそろと顔を上げ、主人の心にある重い何かを一緒に背負うつもりで尋ねた。


「グレイス様、もうタカテラス様にはお会いできないのですか?」

「どうしてそう思う?」

「分かりません。でも、そのように感じました……」


 主人は少し考えてから答えた。


「どうだろう? だが、これからどうなるかはタカテラス次第だと思う」

「……また、お会いできるといいですね」

「ああ。俺はそれを願っているよ」


 グレイスは空を見上げてそう呟いた。そのときふわりと吹いた風が、主人の潤んだ瞳をノトイアに見せたが、彼は顔を伏せ見ないようにしたのだった。

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