◆旅行⑦◆

◆◆◆◆◆

ロビーのソファにテーブルを挟んで向き合って座ってる女が2人。

近付くにつれて楽しそうな声が聞こえてくる。

そんな2人にマサトとヤマトは顔を見合わせて小さな溜め息を吐いた。

一方、美桜は緊張したように顔を引きつらせていた。

「瑠衣」

ヤマトが優しい声を出した。

その声で会話をピタリと止めた2人が同時に視線を向けた。

そして、弾かれたように立ち上がった。

「蓮さん、お久しぶりです」

深々と頭を下げたのは、マサトが世界で一番大切にしている女。

「久し振りだな、元気にしてたか?」

「はい」

マサトの嫁さんはニコニコと人懐っこい笑みを零した。

そんな彼女に俺は頭を下げた。

「悪かったな」

「えっ?」

「せっかく楽しんでたのに、マサトを巻き込んじまって……」

「あっ!!全然、気にしないでください。顔に傷を作って帰ってくるのは日常茶飯事なんですから。それに、マサトも全然平気だって言ってますから。ねっ?マサト」

彼女は機関銃のごとく喋り、マサトに問い掛けた。

「あぁ」

そんな彼女にマサトは普段は見せないような優しい表情で答えた。

「……それに、綾さんに反抗的な態度を取ったマサトも悪いんです」

「いや、マサトは俺を庇う為に……」

「分かってます。マサトは不器用だから要領よくなんて出来ないんです」

「だから、お前もマサトを選んだんだろ?」

「はい」

頷いた彼女がマサトに視線を向けた。

マサトを見つめるその瞳には深い愛情が感じられた。

長年、マサトの傍にいた彼女だからこそ笑顔でこんな言葉を言えるんだと思う。

誰だって自分の旦那が目の前で殴られたらいい気分はしねぇはずだ。しかも今回の事は俺がマサト達を巻き込んだようなもの。

俺に文句を言いたい気持ちも少なからずあるはず。

なのに彼女は文句を言うどころか俺に笑顔を見せてくれる。

長年、マサトの傍にいた彼女は マサトの言葉を一番に信じている。それは、マサトがそれを強く望んでいるからで……。

そんな2人の関係性を俺は素直にすげぇと思う。

「頭」

そんな2人を眺めていた俺はヤマトの声で我に返った。

「うん?」

ヤマトに視線を移すと、その隣には女が立っていた。

「紹介します。瑠衣です」

ヤマトに紹介された女が深々と俺に頭を下げた。

「は……初めまして!!瑠衣です!!」

その女は明らかに緊張してるって感じだった。

そんな彼女を苦笑しながらも愛しそうに見つめるヤマト。

俺は緊張気味の彼女に声を掛けた。

「今日はわざわざ時間を作って参加してくれてありがとう」

「いっ……いいえ、なんか図々しく参加してしまって……」

顔の前で両手をブンブンと振る彼女。

その彼女の顔を見て俺は思った。

……どっかで会った事ねぇーか?

俺は記憶を辿ってみた。

……。

……。

……もしかして……。

彼女からヤマトに視線を移すと、ヤマトは頭を掻きながら照れくさそうに笑っていた。

そんなヤマトを見て、俺は確信した。

「今日は仕事は休みですか?」

「えっ!?」

彼女が驚いたような表情で俺の顔を見上げた。

……やっぱり、間違いねぇ。

「前に貴方の会社でお会いしましたよね?」

「覚えていてくれたんですか!?」

以前、仕事上の取引先に行った時に、お茶を出してくれたのが彼女だった。

普通だったら記憶に残るはずもねぇのに俺の記憶にしっかりと残っていた理由。

それは、ヤマトがすげぇ勢いで部屋を飛び出して行ったからで……。

◆◆◆◆◆

あの日、俺はヤマトとマサトを引き連れて不動産を取り扱う会社を訪れていた。

でけぇ取引のための商談。

担当者であるその会社の部長と話をしている時、彼女がお茶を持って部屋に入って来た。

彼女は、多分俺達がどんな職業なのか知っていたんだと思う。

多少の緊張感を纏いながらも、彼女は丁寧にお茶を差し出してくれた。

仏頂面のマサトに多少怯えながらもお茶を差し出した彼女はヤマトの隣に行った時、なぜか固まっていた。

その異変に気付いた俺は不思議に思った。

最初は、ヤマトにも怯えているのかと思った。

でも、ヤマトとマサトは正反対の外見の持ち主だ。

マサトの不器用な優しさは初対面の人間には伝わり難い。

それに、厳つい外見も手伝ってマサトという人間を知らない奴からは怯えられる事も多かったりする。

一方、ヤマトはといえば優しさと人懐っこさを纏った外見は初対面の人間にも抵抗感なく受け入れられる。

それに、性格だって無愛想なマサトに比べれば普段は温厚なヤマト。

……まぁ、キレたらマサトと同じくらい手を焼くけど……。

そんなヤマトの横で固まっていた彼女。

お茶を差し出されたヤマトが『ありがとう』と言った瞬間彼女の顔色が変わった。

……なんだ?

軽快に営業トークを放ち続ける部長に視線を向けつつも、視界の端に映る彼女。

人の言動に誰よりも敏感なマサトも彼女の異変に気付いたらしく、控えめな視線を向けていた。

その時、顔を強張らせていた彼女が小さな声を発した。

「……ヤマト?」

弱々しくて小さな声。

その声は彼女の口から零れ落ち、すぐに部長の声にかき消されてしまった。

だけど、それまで彼女の存在に気付いていなかったヤマトにその存在を主張するには充分だった。

彼女の声にヤマトの肩が小さく反応した。

正面から彼女の顔に映る視線。

彼女の顔を捉えた瞬間、ヤマトの表情に驚きの色が広がった。

「……瑠衣?」

ヤマトのその声は明らかに動揺をしていた。

ヤマトのその声を聞いた彼女の表情が辛そうに歪んだ。

2人を包む空気が張り詰めていく。

『森下さん?藤原さんとお知り合いだったのか?』

2人の異変に気付いたらしい部長が不思議そうな表情で2人に視線を向けた

「……いいえ、違います……」

彼女はそう言いながら、最後の湯呑みを部長の前に置いた。

「失礼しました」

客である俺達に一礼をした彼女は応接室を出て行った。

そんな彼女の背中に向かって何かを言い掛けたヤマトがその言葉を飲み込んだのを俺は見逃さなかった。

ヤマトが彼女を追い掛けたいと思う気持ちがヒシヒシと伝わってくる。

でも、ヤマトにはそれが出来なかった。

なぜなら、ヤマトは仕事の商談の為にここを訪れているから。

ヤマトは自分の置かれている立場ってもんを嫌ってほど理解している。

彼女が出て行った事で何事もなかったように話し始めた部長を他所にマサトが俺にチラッと視線を向けた。

マサトのその視線に俺は小さく頷いた。

部長の話しに相槌を打っていると鳴り響いた電子音。

ヤマトが「失礼します」と断ってからスーツのポケットからケイタイを取り出した。

そして、ケイタイを開いて液晶を見たヤマトは動きをピタリと止め固まった。

その表情は見る見るうちに困ったものへと変わっていく。

それもそのはず、今ヤマトが困った表情で見つめているケイタイの液晶に映し出されているのはマサトの名前だ。

“神楽 理人”

同姓同名なんかじゃなく真横に座っているマサトがこの状況でわざわざヤマトに電話をする事自体が不思議以外のなにものでもないはずだ。

ヤマトが複雑な表情を浮かべている一方でマサトは涼しい顔をして部長の営業トークに頷いている。

……多分、マサトは真剣に話を聞いているように振舞ってはいるけど実際は殆どと言っていいほど聞いていないはずだ……。

今、部長の口から機関銃の如く飛び出している話は全て自分の会社の自慢話だとか今の世の中は不況でなかなか思うように契約が取れないだとか俺達にしてみればどうでもいい話ばかりだから別に真剣に聞く必要はない。

そんな話をあたかも真剣に聞いてますって感じのマサトはまさに見事だとしか言いようがない。

ヤマトがケイタイの液晶からマサトに視線を上げるとマサトは部長に視線を向けたまま小さく頷いた。

それを見たヤマトの視線が戸惑い気味に俺へと向けられる。

そんなヤマトに俺は小さく顎でドアを指した。

『追いかけろ』

俺が言いたかった言葉は口に出さなくてもヤマトには伝わったようで

「すみません、ちょっと失礼します」

ヤマトは立ち上がり部長に一礼をすると応接室を出て行った。

ドアが閉まった瞬間、マサトがチラッと俺に視線を向け一瞬だけ楽しそうな笑みを零した。

商談を終え会社を後にした俺はマサトが運転する車に乗っていた。

窓の外には見慣れた繁華街が昼間の顔から夜の顔に変わろうとしていた。

俺はスーツのポケットからケイタイを取り出し、メモリーをスクロールさせて番号を呼び出した。

その番号に発信をする。

ヤマトが応接室を出て行ってからもうすぐ20分が経とうとしている。果たして彼女と話すことが出来ただろうか?

呼び出し音が1回

2回

3回

『……お疲れ様です』

ヤマトの声がケイタイの向こうから聞こえてきた。

その瞬間、俺はやべぇーと思った。

ケイタイの向こうから聞こえてきたのはヤマトの声と苦しそうな息遣いだった。

「……悪ぃ、邪魔したか?」

女を追って行ったヤマトがそういう事をしていたとしても不思議じゃない。

そう思ったけど……。

『いえ、全然大丈夫です』

ヤマトは不思議そうに答えた。

なんでそんな事を言うんだ?みたいな反応。

……とは言え、ヤマトの呼吸は相変わらず乱れている。

「……なぁ、ヤマト。」

『はい?』

「お前、今なにやってんだ?」

聞くべきか聞かないべきか正直迷った。

でも、ヤマトの乱れた呼吸が気になった俺は単刀直入に聞いてみた。もしかしたら、相手が俺だからヤマトも気を遣っているのかもしれねぇーし。

もし、ここでヤマトが少しでも動揺を見せたら速攻でケイタイを切ろうと心に決めて。

だけど、ヤマトから返ってきた答えは意外なモノだった。

『繁華街を全力疾走してます』

「は?繁華街を全力疾走?」

『はい』

「なんかモメてんのか?」

俺の言葉を聞いたマサトがルームミラー越しにチラッと視線を向けた。

『いえ、違うんです。さっきの女を追いかけてるんですけど、思った以上に足が速くて、油断すると見失いそうなんです』

「そうか」

俺は胸を撫で下ろした。

『頭』

急に真剣な声を出したヤマト。

「どうした?」

『今日は仕事中にすみませんでした』

「気にするな。商談はほぼ終わってたんだ。それに、仕事より大事な事だったんじゃねぇーのか?」

『……はい』

「なら、謝る必要はねぇーよ」

『ありがとうございます。それと頼みがあるんですけど……』

「なんだ?」

『明日、休みを頂きたいんですが……』

「分かった。明日はゆっくり休め」

『ありがとうございます』

「ヤマト」

『はい』

「来年の組の旅行は彼女同伴で参加するって親父に言っておくぞ」

『えっ?それはまだ……』

「大事な女なら絶対に放すなよ?」

『……旅行の時に紹介出来るように頑張ります』

「あぁ、楽しみにしてる」

◆◆◆◆◆

あの日、ヤマトと交わした約束。

ヤマトはその約束をきっちりと果たしてくれた。

驚いたようにでも嬉しそうな笑みを零した彼女。

そんな彼女をヤマトは愛しそうに見つめていた。

「美桜」

「うん?」

「マサトの嫁さんとヤマトの彼女さんだ」

俺がそう言った瞬間、美桜の瞳が輝いた。

「……あの……」

どことなく落ち着かない様子の美桜が口を開いた。

そんな美桜にその場にいた全員の視線が集まる。

その視線に美桜は戸惑ったような表情で俺の顔を見上げた。

美桜は極度の人見知りだ。

俺と知り合う前まで意識的に一切人と関わらないようにしていた所為もあっていまだに初対面の人間と言葉を交わす時には緊張してしまうらしい。

それでも、他人に興味すら持たなかった頃に比べればかなり変わったと俺は思う。

今も緊張はしているもののマサトの嫁さんやヤマトの彼女と話したいという気持ちはひしひしと伝わってくる。

だから、俺は美桜の背中に手を当てた。

そして、その小さな背中を押した。

人は他人と関わらずに生きてはいけない。

必ずどこかで関わりを強いられる。

俺が間に入る事は簡単だがそれは美桜の為にはならない。

そう考えた俺は美桜の背中を押した。

俺に背中を押された美桜の身体が必然的に一歩前へ出た。

初対面の彼女達と美桜の距離が縮まる。

美桜は驚いた表情で俺の顔を見上げていたけど

俺が小さく頷くと美桜も小さく頷いた。

それから、小さく深呼吸をすると

「初めまして、美桜です」

のし掛かる緊張感を押し退けるように口を開いた。

その瞬間、美桜を見つめていた彼女達の表情がふと緩み優しい笑顔を浮かべた。

それから俺達男には出番すら無かった。

楽しそうな話し声。

時折、聞こえてくる笑い声。

さっきマサトとヤマトが言った言葉の意味を俺は改めて知る事となった。

女3人でソファに座り話し込む姿を俺達は少し離れたソファに座りタバコを吸いながら眺めていた。

さっきまで美桜が発していた緊張感がウソみたいに感じられる。

途切れる事のない会話に俺は苦笑した。

「あんなに喋って喉が痛くならねぇーのか?」

半分呆れたように呟いた俺の言葉に

「……ですよね」

マサトとヤマトも苦笑気味に頷いた。

そうは言いつつも楽しそうな美桜を眺めているのは俺にとっても楽しい時間だった。

そんなまったりとした穏やかな時間に終止符を打ったのはやっぱりあの人だった。

そいつは和やかな雰囲気が漂う空間に険しい表情で姿を現した。

不機嫌さ全開でロビーにサンダルのヒールの音を響かせての登場。

ただでさえ女にしては長身のくせに高いヒールとデカい態度の所為でかなりの存在感がある。

その存在にいち早く気付いたのはヤマトだった。

口にくわえていたタバコを灰皿に投げ入れ立ち上がった。

そんなヤマトの行動に気付いたマサトもヤマトと同じようにタバコを灰皿に投げ入れ立ち上がった。

2人は近付いてくるそいつに向かって頭を下げた。

大の大人の男に深々と頭を下げられても表情1つ変える事無く

目の前までやってきたそいつがドカッと俺の正面のソファに腰を下ろした。

「……ずっと待ってたんですけど!?」

不満そうに言葉を吐き出した綾さんに俺は大きな溜息を吐いた。

「待っててくれなんて頼んだ覚えは全然ねぇーぞ」

「……」

鋭い眼付きで俺を睨む綾さんと

「……」

その視線に気付かないフリをする俺。

そんな俺達にマサトとヤマトは顔を見合わせて苦笑していた。

流れる沈黙の時間。

その沈黙を破ったのは

「……チッ……」

綾さんの舌打ちの音だった。

……この女……。

いくつになっても昔のクセが抜けねぇーな。

「ほら、マサトもヤマトもデカイ図体でいつまでも突っ立ってんじゃないわよ。今日は仕事じゃないんだから気を遣う必要なんてないでしょ」

そう言って綾さんは自分の両サイドをバシバシと叩いた。

「……」

「……」

「……」

……確かにマサトやヤマトに座るように促した綾さんの行動は間違ってはいない。

ただ、1つだけ綾さんの言動におかしなところがあるとすれば、それは2人に座るように勧めた席がなぜか自分の両サイドだった事。別にソファはまだあるんだからそこを勧めればいいのに

……一体、この女は何を求めてんだ?

そう思ったのはどうやら俺だけじゃないらしく

マサトとヤマトも困ったような表情を浮かべていた。

「……なにやってんの?早く座りなさいよ」

半分、脅しとも取れる綾さんの言葉に

「……はぁ、失礼します」

戸惑い気味に2人は綾さんを真ん中にして、ソファに腰を降ろした。そんな2人に満足そうな笑みを浮かべ数回意味不明に頷いた綾さんが突然、キョロキョロと辺りを見渡した。

そんな行動をする綾さんから俺は視線が逸らせなかった。

……次は、何を企んでやがる?

この女と一緒にいると全然気が休まらねぇ。

次は何をやらかすのか気が気じゃねーし。

本当に疲れる。

全く、こんな女と好き好んで一緒にいれる奴の気がしれねぇーな。

……。

……。

……てか、それが自分の父親なんだってことが一番の驚きなんだけどな。

頼むから大人しくしててくれよ。

そんな俺の願いも虚しく、目の前にどっかりと座ってるこの女は、視線を一点で止めると大きな溜息を吐いた。

……今度はなんだよ?

綾さんが視線をとめているのは、あきらかに美桜達が楽しそうに話し込んでるテーブルの方だった。

「……美桜ちゃん……」

「あ?」

「楽しそうね」

悲しそうにそう呟いた綾さんは寂しそうに哀愁を漂わせていた。

……まさか、今度はヤキモチか?

「……おい……」

「なによ?」

「邪魔すんじゃねーぞ」

「は?そんなことするわけないじゃん!!」

「……」

「本当にあんたは口の利き方を知らないんだから!!」

「……」

「美桜ちゃんが楽しそうなのに私が邪魔なんてする訳ないじゃない!!」

綾さんは、俺にそう言い放った。

……確かにそう断言したはずなのに……。

「……おい、どこに行くつもりだ?」

「えっ?」

「確か、今『邪魔なんてする訳ないじゃない!!』って俺に断言したよな?」

「うん」

「じゃあ、てめぇは今からどこに行こうとしてんだ?」

「……」

「……」

「……別に邪魔しようなんて考えてないわよ」

「……」

「ただちょっと、仲間にいれてもらおうかななんて……」

「……それを邪魔するっていうんじゃねぇーのか?」

「……」

「大体、あんたがあの輪に加わったらみんなが気を遣うじゃねーか」

「……」

「少しは自分の立場を弁えて、遠慮ってもんをしろよ」

「……」

ソファから微妙に腰を上げていた綾さんは、俺の言葉に固まっていた。

……おい、おい……。

その体勢ってすげぇキツくねぇーのか?

……てか、微妙に足がプルプルしてんじゃねぇーか。

「……とりあえず、座れよ」

「うん」

珍しく、俺の意見に素直に従った綾さん。

……どうやら、かなりきつかったらしい。

ソファに腰を降ろした綾さんは、至福の溜息を零した。

……ったく、本当に面倒くせぇ女だな……。

そう改めて感じた俺の口からも大きな溜息が漏れた。

そんな俺と綾さんを見てマサトとヤマトは苦笑している。

「……ねぇ、マサト」

「は……はい?」

「あんたの奥さんっていくつだった?」

「えっ?」

「確か、あんたより年上だったわよね?」

「え……えぇ、3歳上ですけど……」

「……って事は……。」

綾さんはぶつぶつと何かを呟きながら数をかぞえていた。

「……ヤマト、あんたの彼女はいくつ?」

「自分より2歳下です」

「……2歳下ってことは……」

一方的に意味不明な質問をぶつけては、ぶつぶつと独り言を呟きながら何かを計算している綾さん。

その姿は見れば見るほど意味不明だった。

意味不明な上に挙動不審で、マサトやヤマトも困ったように、俺に視線を向けてくる。

「……おい、大丈夫か?」

あまりの不審さに心配になった俺は綾さんに問いかけた。

そんな俺に綾さんは

「は?なにが?」

自分の不審さに全く気付いていないらしく

『なに言ってんの?こいつ』的な視線を向けてくる。

人がせっかく心配してやってんのに。

そんな想いから大きな溜息を吐いた俺を綾さんは軽くシカトして

「うん!!やっぱり大丈夫みたい!!」

嬉しそうな声を出した。

その顔には満面の笑みが浮かんでいて

……やべぇ……。

すげぇ、嫌な予感がする。

俺は胸騒ぎを感じた。

その胸騒ぎを感じたのは俺だけじゃないらしく

綾さんの両サイドに座るマサト達の顔も微妙に引きつっていた。

そんな俺達を他所に綾さんは『うん、うん』と満足気に大きく頷いていて、何かを企んでいることは誰の目にも一目瞭然だった。

……これは、突っ込んだ方がいいのか?

それとも放っておいた方がいいのか?

俺は究極の選択を迫られる事となった。

そんな俺の迷いに気付いたらしいマサトが恐る恐るって感じで口を開いた。

「……あの……姐さん……」

「なぁに?」

「えっと……大丈夫っていうのは、一体何が大丈夫何でしょうか?」

「ん?気になる?」

「……えっ!?……あぁ……はい……」

「そう?そんなに気になるなら教えてあげてもいいんだけど」

「ぜひ、お願いします」

「そんなに気になるなら仕方ないわね」

「……はぁ……」

俺も……。

マサトも……。

ヤマトも……。

その場にいる全員が固唾を呑んで綾さんの言葉を待っていた。

微妙な緊張感を感じながら……。

そんな俺達に綾さんは得意気に言い放った。

「歳よ、歳」

「……歳ですか?」

「うん、歳」

「……」

「……」

「……」

綾さんの自信の根源が全く理解できない俺達はひたすら頭を捻るしかなく……。

俺達のリアクションに綾さんは不満気な声を出した。

「なに、腑抜け面してんのよ?」

「……意味が全然分かんねぇ……」

「は?分からない?」

「あぁ、あんたの言いたい事の意味が全く理解できない」

「まったく、あんた達少しは頭を使いなさいよ」

「あ?」

「なんの為に頭があるのよ?使わないと退化する一方よ」

……この女……。

1回、軽く殴っとくか?

そんな俺の心境を読んだのかマサトが焦ったように口を開いた。

「姐さん」

「なに?」

「歳が大丈夫っていうのは……」

「あんたの奥さんやヤマトの彼女と私は歳が近いってことよ」

「えっ?」

「だから、私があの輪の中に入っても大丈夫ってことでしょ?」

「はぁ」

……どうやら、この女は相当あの輪の中に加わりたいらしい……。

……てか、あの楽しそうな会話の中に入りたくて仕方がないらしい。

……いい加減にしろよ……。

その言葉が喉まででかかったけど

俺はその言葉を必死で飲み込んだ。

その言葉を口にしたいのは山々だが、今の綾さんにそう言うのはあまりにも酷な気がした。

全身から『早く会話に参加したい!!』っていうオーラが出てるし

どうしても、美桜達のことが気になるようで俺の顔とそっちに忙しなく視線を動かしてるし……。

その姿は好物を目の前に“待て”状態の犬以外のなにものでもなかった。

そんな、綾さんにこれ以上“待て”なんて言えねぇーよな。

綾さんに対して同情心が浮かんだ俺は溜息を吐くことしかできなかった。

「頭」

そんな俺に遠慮がちに声を掛けたのはマサトで、視線を向けるとマサトは小さく頷いた。

その表情から読み取れるのは、マサトも綾さんに対して同情心を抱いたようで

『別にあの輪の中にに参加させてやってもいいんじゃねぇーか?』

みたいなことを物語っていた。

……まぁ、確かに綾さんは俺達には威圧的だったり、意味不明な言動を惜しげもなく披露したりするけど……。

相手が組員の彼女とか嫁さんとかならそんなことをするような女じゃない。

多分……いや、確実に猫を被って本性を隠してるんだと思うけど。

組員の家族からはかなり頼られていたりする。

だから、あの輪の中に入ってもそれなりの対応ができるとは思うけど、この女は甘やかすとどこまでも調子に乗る。

調子に乗った綾さんは、誰にも止められねぇ。

マサトやヤマトはもちろん俺のいう事も絶対に聞かねぇはずだ。

そうなったら、この上なく面倒くせぇーし……。

……どうすっかな……。

頭を悩ませてると

『あっ!!綾さんだ!!』

聞き慣れた嬉しそうな声が響いた。

わざわざ確認しなくても分かるその声。

その声を発したのは、紛れもなく美桜だった。

美桜の声が聞こえた瞬間、綾さんの行動はとてつもなく素早かった。声が聞こえてきたと同時に『待ってました!!』とばかりに立ち上がった綾さんは、あっという間に美桜達がいるソファに近づいていた。

満面の笑みを浮かべ「美桜ちゃん~」なんて甘い声を出しながら……。

そんな綾さんにマサトの嫁さんとヤマトの彼女は慌てたようにその場に立ち上がろうとしたけど

綾さんはそれをさり気なく制した。

それから、綾さんは美桜の隣に素早く腰を降ろすと、“ずっとここにいました”みたいな雰囲気を醸し出しながら、会話に参加して楽しそうに笑っていた。

綾さんの登場に最初こそ驚いた表情を浮かべいたマサトの嫁さんやヤマトの彼女でさえも、その数分後には、まるで昔からの友達と話しているような感じになっていた。

「……女ってやっぱりすげぇーな……」

思わず俺が呟いた言葉に

「……ですね」

マサトとヤマトは苦笑していた。

「綾さんには不思議な力がありますからね」

その言葉を発したマサトに俺は視線を向けた。

「不思議な力?それって……」

「……?」

「綾さんが魔女だからか?」

「はっ?魔女?」

いつもは周りに組員がいる時は絶対に敬語で話すマサト。

そんなマサトがヤマトがいるにも関わらずタメ語で俺に話しかけるってことはかなり動揺してるってことで……

一瞬動きを止めて固まったマサトがハッと我に返り小さな咳払いをひとつした。

だけどそんなマサトの異変に気付かないくらい動揺してるのは、ヤマトで

「えっ!?綾さんが魔女!?」

すっとぼけた声を上げた。

そんなヤマトに俺とマサトは顔を見合わせて吹き出しそうになった。

「なぁ、ヤマト」

俺はこみ上げてくる笑いを必死で飲み込みながらヤマトに話しかけた。

「は……はい?」

「ここだけの話なんだけどな」

「はい」

「絶対に人には話すなよ?」

「は……はい……」

「実は綾さんは人間じゃねぇーんだよ」

「……!?」

「お前も思い当たることがねぇーか?」

「……思い当たること……」

「あぁ、こいつ実は人間じゃねぇんじゃないか?とか思ったことねぇーか?」

「そう言われてみれば……あるような……ないような……」

「だろ?本人は他人にバレちゃいけねぇーから、必死で誤魔化してるつもりなんだけどたまにボロが出るんだよ」

「……」

「このことは絶対に誰にも言うなよ?」

「わ……分かりました」

釘を刺されたヤマトは、真剣な表情で頷いた。

神妙なヤマトの表情に無性に笑いが込み上げてくる。

普通に考えればそんな話がある訳ねぇーのに、どうやらヤマトは俺の言葉を疑うどころか信じてるし。

まぁ、それだけ日頃からヤマトも綾さんにはいろいろと振り回されてるから、そう思っても仕方ねぇーか。

真剣な表情で『誰にも言いません!!』と宣誓するヤマトと笑いを堪えるのに必死な俺。

そんな俺達のやり取りを見ていたマサトが限界を超えたように吹き出した。

勢いよく吹き出したマサトにヤマトは驚いた表情で視線を向けた。

その表情は“こいつ、なんでこのタイミングで笑ってんだ?”って感じだった。

怪訝そうな表情で視線を向けてくるヤマトにマサトは笑いを堪えたような、半分呆れたような複雑な表情で言い放った。

「……お前、もしかして本気で信じてんのか?」

「あ?」

「綾姐さんが人間じゃねぇーなんて……」

「はっ?」

「……んな訳ねぇーだろーが」

「……!?」

焦った表情で俺の顔を見たヤマト。

その顔を見た瞬間、俺は限界に達していた。

俺とマサトの顔を見比べるように交互に見つめた後

「……頭……マジで勘弁してください……」

ヤマトは情けない声を出した。

穏やかな時間が流れる休日の午後。

陽の光が差し込むロビーには、たくさんの笑顔と賑やかな笑い声が響いていた。







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