1-7 招待状

 エドワードを乗せた馬車は、屋敷の前に到着していた。

 エドワードは馭者に代金を支払い、玄関ドアの前へと向かう。


「お帰りなさいませ、エドワード様」


 屋敷の執事がドアを開け、エドワードを出迎えた。執事はエドワードからシルクハットとステッキを預かる。


「ただいま。ごめん、すっかり遅くなってしまったね。今夜はもう下がっていいよ」


 エドワードがリビングへ向かうと、ちょうど兄のジェームズが手紙の封を切っているところだった。部屋の中はコーヒーと葉巻のにおいで満たされている。

 ジェームズは、母親似のエドワードとは異なり、父親譲りの茶色い髪に、エメラルドのような緑色の目をしている。身長もエドワードより十センチメートル以上高く、長男ということもあり、女性貴族からの人気が高い。


「ただいま。また吸っていたんですね、兄さん」

「お帰り。ハバナ産の物が手に入ったんだ。それにしても、今日は遅かったじゃないか」

「少しばかり寄り道を。ハバナの葉巻とは、一級品ですね」

「お前のことだ。また、余計なことに首を突っ込んでいないだろうな。好奇心旺盛なのはいいが、限度はわきまえておけよ」

「心配性ですね、兄さんは」

「お前は頭がいいし、人もいい。ともすると、人に利用されやすい側面も持ち合わせている。だからこそ父上は、お前に法律学の専門家エキスパートになることを勧めたのだろう。お前が自分の身を守る手段のひとつとして」

「心得ています」


 ジェームズは手紙に目を通すと、途端に溜息をついた。

 それを見たエドワードは、テーブルに置かれた封筒を持ち、封印のデザインを確かめる。


「その手紙、王室からのようですね」

「ああ。また面倒くさい知らせが届いたものだ」


 エドワードは、ジェームズの読む手紙を横から覗き込んだ。


 招待状

 王室ワイン販売記念舞踏会開催

 八月三十一日午後九時より

 バッキンガム宮殿にて

 試飲会あり


「王室ワインというと、九月一日から販売予定のものでしたっけ? それを一足早く試飲できるのは画期的なイベントですね。開始が普段より少し遅めだとは思いますが」

「何だかんだもったいぶって、どうせワインを飲む頃には日付をまたいでいる。そのための九時開始だろう。遅いのは時間だけではない。社交シーズンの終わるギリギリに招待状を送りつけているところからして、田舎の領地へ帰ろうとする者たちを足止めするのが王室の狙いだろう」


 ジェームズが言うように、貴族の社交シーズンはおおよそ十二月頃から翌年八月ぐらいまでの期間だ。その間、田舎の領地にいる貴族たちは都市部へと移住し、乗馬やオペラ鑑賞などをして楽しむ。この他にも、舞踏会や晩餐会ばんさんかいに参加するなど、その活動は多岐にわたる。

 エドワードは顎に手を添え、思案した。


「足止め……ですか。まさか、昨夜の殺人事件が影響して……」

「今日着いた手紙だ。昨夜のが影響しているかは知らないが、事件自体は議会でも度々取り上げられている。王室としても、ロンドンを恐怖のどん底へ突き落さんとする輩を、これ以上野放しにするわけにはいくまい」

「兄さん、事件はその三件だけではないかもしれません」


 ジェームズは瞬時目を見開いたが、コーヒーを口に含み、落ち着き払った様子で答える。


「無論、犯人が捕まっていない以上、可能性としては十分ありうる。だが、なぜそう考える? お前がそう考えるからには、何か理由があるのだろう?」


 エドワードは俯いた。


「……先程、僕が行きつけにしているパブ・コンスタンスの従業員、アニタさんという女性が殺されました」


 ジェームズは瞠目した。


「お前、現場に居合わせたのか?」

「はい、パブへ寄った帰りに。女性の悲鳴が聞こえ、行った時にはもうすでに手遅れの状態でした。今回のが四件目に当たるのか、まだ断定はできませんが、同一犯である可能性は十分あると思います」

「そうか、次回の議会はまた荒れそうだ。会期も恐らく延びることになるだろう」


 ジェームズは嘆息し、招待状をテーブルの上に置いた。


「いずれにせよ、父上亡き今、マイヤー家当主の私が行かないわけにもいくまい。当日、留守は頼んだぞ」

「承知しました」






 八月二十四日金曜日、バッキンガム宮殿――。

 玉座に座り、険しい表情を浮かべる女性の姿があった。

 向かいでは男がひざまずき、緊張した面持ちで頭を下げている。


「一昨日に続き、昨夜も市内路上にて女性の遺体が見つかりました。ちまたで話題の連続殺人鬼による犯行と思われます」


 女性は嘆息した。


「これで四件目。あなたには、最初の事件が起きた段階で釘を刺しておいたはずですが。侯爵、一国の首相として、今回の事態をどのように考えているのでしょう」

「事の重大さは十分存じております。現在、ロンドン警視庁スコットランド・ヤードのギルバート・ホワード警部、ならびにアルフレッド・ケリー巡査を中心に捜査を続けておりますが、犯人の足取りはいまだ掴めず」

「今度の舞踏会までに良い報せが届くことを心待ちにしています。どんな手段を使ってでも、必ず犯人を捕まえなさい」


 男は自らの胸に手を当て、頷いた。


Yes, Your Majestyはい、女王陛下’.






 ビッグベンの鐘が正午を知らせる。

 ウェストフォード大学では、エドワードの担当する法律学の追試験が終了し、学生たちが講堂を後にしているところだった。


「教授の言っていたところがそのまま出て助かったぜ」

「補講に出ていて助かった」

 などと、学生たちからは笑みがこぼれる。


 エドワードはすぐさま回収した答案用紙に目を通し、安堵の表情を浮かべる。


「この様子だと、みんな合格かな」


 心の中で呟いた直後、彼は視線を講堂の後方へと向け、柔らかい笑みを浮かべた。


「君も受けに来てくれたんだね、夏目」


 夏目は席を立ち、エドワードの元へ歩み寄る。


「問題用紙が余っていたので、挑戦してみたいと思いまして。ですが、まだまだ勉強不足ですね。分からないところがいくつもありました」

「慌てることはないよ。まだ新学期も始まっていないし、君は昨日ここへ来たばかりなんだからね」


 そう言ってから、エドワードは突然妙案が思いついたと言わんばかりに「そうだ!」と、付け加える。


「君がもし良ければ、火曜日から補講を再開しようと思うんだけど、受けてみる気はあるかい?」


 夏目の目が輝く。


「い、良いんですか⁉ もちろん、喜んで! 教授のご迷惑にならないようでしたら、ぜひ」

「じゃあ、早速学長に掛け合ってみるよ。学長もすぐにOKしてくれるはずさ。日程が決まったら、学部の共用掲示板に貼っておくよ」


 エドワードは満足げな表情を浮かべ、講堂を後にした。

 明日から三日間、彼にとっては短い夏休みが到来する。補講に関しては、学長からすんなり許可が下りたため、早速彼は共用掲示板に補講の知らせを書いた紙を貼り出した。


 補講のお知らせ

 八月二十八日から三日間

 朝十時より

 エドワード・マイヤー

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