第16話 明日への骨董市
「終わったな………」
夕方6時、四十年続けてきたスポーツ用品店のシャッターを閉めた。
駅裏の十数件の小さな商店街は、ほとんどの店が閉店し、シャッター通りになっている。残った数件の店の主人らが、最後の挨拶に来てくれた。
この小さな商店街で妻と始めた小さなスポーツ用品店のシャッターも、この先、客を迎えるために開けることはない。
住宅も兼ねたこの店で子供は成人して巣立って行き、半年前には妻に先立たれ、私は一人になった。体力の衰えや、郊外の大型店の出店で売上も減り、やむなく店を閉めることにした。
そして私は明日、隣町に住む息子たちと暮らすため、この家を出る。
閉じられたシャッターをしばし眺め、一人最後の夜を過ごすため、家に入ろうとすると郵便受けに一枚のチラシが入っていた。
『なつかしの骨董市』 明日朝 5:00~6:00 駅裏商店街 西詰めイベント会場にて開催
(骨董市? この商店街で開催とは、そんなこと聞いていないが……)
念の為、近所の店主に聞いてみたが、そんな広告は入ってなく、商店街のイベントや会合を行うために使っている、通りの端の建物を見ても準備の気配はない。
特に興味もないのでチラシは放っておき、夕食のため台所に向った。
家族団らんを過ごし、子どもたちと賑やかだった台所も、今は私だけが使っている。妻がよく作ってくれた煮物を自分で作り、缶ビールをあけて妻の遺影に乾杯すると、今一度、亡くなった妻の声が聴きたくて、女々しくも涙がこぼれ落ちる。
それは、突然の別れだった。
半年前、私が仕入れにでかけて家に帰ると、妻が台所で倒れていた。
急性心筋梗塞だった。
何も言葉を交わすことができない、突然の別れ。
これから産まれる孫を楽しみにし、老後には、忙しくて行けなかった旅行を一緒に行こうと話していた。
なにより、これまで苦労をかけた妻に、今まで言ったことのない、感謝の言葉を告げられなかったことが悔やまれて仕方がない。
後悔しても遅い。
せめて、ありがとうと……。それに、もう若くない、この先、なにをして生きていくのか、死ぬまでの虚ろな時間があるだけだ。
そもそも、この店は、妻の発案で始めたのだった。
私は、子供の頃から野球をやっていたこともあり、大手のスポーツ用品店に就職し、幼馴染の妻と再開して結婚した。
しばらくして、この商店街の東から三軒目の洋服店が店を閉めることを聞いた妻が、なぜか、ここで店を開きたいと言い出し、私も個人の店を持ちたかったこともあり快諾した。
あれから四十年、妻と日々を暮らし、三人の子供を育み、数えきれない思い出を生み出した小さな店は、静かにその役割を終えた。
◇
翌朝……
最近は歳を取ったせいか、朝早く目が覚める。
時計を見ると5時前
「そういえば、昨夜のチラシの骨董市は朝5時だったな」
半信半疑だったが、チラシをもって、店の前に出てみた。
空が白み始めた薄暗い閑散とした商店街は、なぜか異様に静かに感じた。
近くの国道の車の音、鳥のさえずり、風がなく木々の葉音も聞こえない。あまりに静寂で、まるで時間が止まっているような感じがする。
骨董市が開かれるという商店街の端に目を向けると、集会所の前に、祭で着るような法被を着た大柄の男が立っている。
(まさか、本当に骨董市をやっているのか! )
すぐに、近づくと『なつかしの骨董市 会場』と書かれた小さな立て看板がある。
店の前に立つ大柄の男は、禿頭で鼻が上を向き、まさに豚面で、愛想のない表情で、似合わない真珠の数珠と、首輪を下げている。男は何も言わず立っているだけだったが、中から同じ法被を来た小学生くらいの女の子が出てきた。
「いらっしゃいませ! チラシはおもちですかニャ」
なぜか、語尾にニャをつける娘は、猫耳の飾り? を頭につけ、胸には大きな千両小判のペンダト、腰には大福帳を下げ、鈴玉のような丸い瞳で私を見つめている。
まるで招き猫のようなコスチュームの少女に、自分の中では(これは猫娘だな)と勝手に命名し、チラシを見せると、愛くるしい笑顔で中に通された。
品物は、小さな集会所の部屋に並べられたテーブルに無造作に置かれ、客といえばセーラー服の少女が一人いるだけだ。
置かれている商品は、小物類を中心とした日用品、衣類、雑貨など、とりとめのないものばかりで、骨董品というより、リサイクル店のようだが、汚れたり壊れたりしているものばかりで、とても売り物にはならないように感じた。
ただ、どれも見覚えのある自分も使っていた物で、懐かしい。
しばらく品物を見ていると、文字の刺繍の入ったタオルハンカチを見つけた。
「このハンカチ……そしてこの文字は」
手を出そうとすると
「こんなところにあった! 」
先にハンカチを取り上げたのは、セーラー服の少女だった。
少女はうれしそうにハンカチを手に持ったが、同じように取ろうとした私を不思議そうに見て
「お爺さんも、このハンカチを」
「えっ……まあ。刺繍の文字がきれいだと思ってね」
少女はうれしそうに
「ホントですか! うまくいかなくて、自信なかったんだ」
「君が刺繍したのかい」
「ええ、友達が貸してくれたハンカチで、洗って返そうと思っていたのですけど。失くしてしまって」
「そのハンカチに刺繍ですか、ひょっとして、彼氏ですかな」
少しからかうように言うと、図星なようで、少女は真っ赤になりながら
「いえ! 彼氏ではないです……この前の試合に負けたのが、自分のせいだと悔やんでいるようで、頑張ってほしいな……って、それだけです」
「そうですか、それは、必ず大喜びしますよ」
「だといいな」
照れながら言う少女は、猫娘の店員をつかまえ
「すみません、これ売り物ですよね、いくらですか」
猫娘はすぐに大福帳をめくり、告げた値段は
「二十万円ですニャ」
「にっ……ニ十万円! 」
少女が驚いて固まっている。
私もその値段に驚いて
「それはあんまりじゃないのか。どう見ても数百円のハンカチだし、この娘さんのつけた刺繍もある、もう一度調べてくれ」
猫娘は、再度調べたが
「二十万円で間違いないです。それに、この刺繍も、娘さんがつけたという証拠はありませんニャ」
「証拠って……そこまで言われては」
泣きそうな表情の少女に。なぜか、焦りと言うか、少しムキになり
「いったいどういうことだ! 足元を見るにしてもひどすぎる、嫌がらせではないのか。そうだ責任者は! 」
「すみませんが責任者はいません、私の一存で値段を変えることはできませんニャ」
猫娘もどうしようもないようで困っていて、拉致があかない。
ハンカチを手に持って涙を浮かべる少女に、私は居ても立ってもいられなくなり
「少し家に戻ってきてもいいか。私は、同じ商店街の者だ、すぐ戻る」
猫娘は
「いいですニャ。再入場にはチラシが必要なので、なくさないように持っていてください。それと骨董市は6時までです、遅れないように」
客は私とセーラー服の少女だけなので、そこまで厳密にすることはないだろうと思ったが、時間もないので言うとおりにした。
ATMなどは近くになく、店に戻って家中のお金を探した。
レジの釣り銭など、小銭も含めてなんとか二十万円をかき集め、すぐに骨董市に戻り、セーラー服の少女に
「これで、買いなさい」
少女は驚いて
「こっ!……こんな大金、もらう訳にいきません」
「このハンカチはどうしても、お嬢さんに買い戻してほしいんだ。そして、その男の子に渡してほしい」
「どうして、見ず知らずの私にそこまで」
戸惑っている少女に、私はどう答えようかと考え
「私は、この歳で多少お金に余裕はあるし、たいした使い道はない。それに、実は最近、急に妻に先立たたれ。世話になったことを言えずに、後悔していた。お嬢さんには後悔してほしくないんだ」
最後は、力なく言う私の話を聞いた少女は、なぜか急に黙り込む。
「……………」
しばらく沈黙したあと、少女は大人びた表情になり、落ち着いた口調で話始めた
『後悔は真に自分の進むべき道を指し示す光です。それに、あなたの気持ちは、言葉がなくても、永年連れ添って店を守ってきたことで、全てを語ってくれています。大丈夫です、私はわかっています。年老いても、あなたには明日があります! 』
力強く言う少女の言葉は、どこかなつかしく、癒やされ、胸のわだかまり流されていくようだった……
そのあと、少女は急に我に返って
「ええ! 私、今何を……」
胸がつまり言葉のない私の横に猫娘がきて
「セーラー服のお姉ちゃん、差し出がましいですが、お爺さんはお金より大切なものがあるのです。もらっておけばいいのですニャ」
セーラー服の娘は、申し訳なさそうに
「それなら、お金をためていつか返します、お爺さんの家はどこですか」
「この商店街の東から三軒目のスポーツ用品店だよ」
とは言ったものの、店は辞めたばかりだ。
しかし、お金を返してもらう、つもりもないので、そのことは言わなかった。
ただ、セーラー服の少女は、納得いかない様子で
「東から三軒目のスポーツ用品店……? そこは確か洋服の店だけど」
不思議そうに小首をかしげていると、ホタルの光が流れはじめた。
猫娘は時計をみて
「すみませんが、もう閉店ですニャ」
セーラー服の少女は、猫娘にハンカチを包んでもらって受け取ると、私に向かい
「ありがとうございます。必ず、お金は返しますから」
少女は笑顔で私に挨拶し、店を出ていった。
私も、店を出ようとすると、猫娘が
「ところで、何も、お買い上げされないのですか」
「ええ、欲しいものは買いましたから」
すると、猫娘は含みのある笑顔で
「そうですね。それでは、またのご来店をおまちしておりますニャ」
猫娘は丁寧に頭を下げると、私は何も買わず? 店を出て自分の店に戻った。
◇
私は家に帰ると、思うところがあり、中学、高校の頃に使っていた野球道具の箱を持ち出した。
その中にある汚れたズボンのポケットの中を探ると、クシャクシャになったハンカチがでてきた。
いつも、このハンカチを持って野球の試合に臨み、元気づけられたことを思い出す。
「そういえば……」
すっかり忘れていたが、妻が使っていた化粧棚にしまってある封筒のことを思い出した。
一番下の引き出しを開けると、奥に封筒が入っている。
その封筒のことについて、妻が生前言っていた
『これは、私が中学生の頃、不思議な骨董店で、知らないお爺さんにお金を借りて、いつか返したいと思っていたものです。でも、生活に困ったときなどは迷わず使ってください』
幾ら入っているのか聞いたことはないが、開けてみると
(やはり……)
中身は二十万円。
さらにハンカチを広げて見ると、たどたどしい刺繍で書かれている文字は
"FIGHT!"
「……ありがとう」
私は心の中で何度もつぶやくと、まばゆい朝陽が家の中に差し込んできた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます