第14話 G線上の骨董市
事件は深夜零時に時効を迎える。
あきらめきれない刑事は、事件のあった川沿いの高級マンションの周りを一人で探っていた。すでにマンションは建て替えられ、周囲の施設は改変し、今更手がかりなどないだろう。
もはや執念、あるいは呪縛のようにさえ思える。
「そろそろ時間か……」
近くの公園のベンチに腰掛けると、晩秋の冷風に思わずコートの襟をたてた。
缶コーヒーを飲み終えると、風に吹き飛ばされてきた一枚の紙が、頬を叩くように張り付いてきた。
「全く! 散々だな」
近くにゴミ箱もなく、コーヒーの空き缶と一緒に捨てようと、くしゃくしゃにしてポケットにねじ込んだ。
腕時計の針が零時を指すと、呆然と虚空を仰ぎ見て力なく立ち上がり、家路につく。
◇
終電車を降りて、ぽつりぽつりと街灯が灯る夜道を歩いていると、いつも閉まっている倉庫が明るい。しかも、こんな深夜に明かりが灯っているなど、これまでなかった。
倉庫の前に行くと、立て看板がある
『なつかしの骨董市』
(骨董市……こんな深夜に。ここは確か、廃業した倉庫のはず)
すこし扉が開いているので中を覗くと、多くの品物が陳列されているのが見えた。
骨董品など興味ないので帰ろうとすると、刑事に気づいた法被を着た少女が、なぜか驚いた表情で駆けてきた。
イベントのコスチュームだろうか、頭に猫耳の飾り?をつけ、腰には大福帳、首から小判の飾りを胸に下げている。
「お客さん! 案内状は持ってこられましたか」
「いや。案内状などないが」
「えっ! 」
猫耳の娘は意外だといった表情で、少し考えたあと
「まあ、ここに来られたこと自体、何かのご縁です。良ければ見ていってくださいニャ」
なぜか、語尾にニャをつける猫娘に促されるまま、刑事は中に入った。
◇
中には広い倉庫の床にブルーシートが敷かれ、品物が無造作に置かれている。
骨董市と言うものの、普段使われている生活用品がほとんどで、装飾された壺や、絵画などが若干展示されている程度で、客と言えば、奥でピアノや楽器を熱心に見ている制服を着た女子高生だけだった。
刑事は入ったついでで、さっと見て帰ろうと思ったが、隅の陳列品に目が止まった。
「これは! 」
そこには、まさかの品物が置かれている
「十五年前の事件で、被害者の家にあったものだ……」
展示されている品物は、先程時効を迎えた事件の被害者の家にあった物で、小物の他にも箪笥や机などもあるが、証拠になりそうにないので、持ち帰らなかった物だ。
「たいした物はないが、どうして、ここに」
納得いかない刑事だが、念の為手袋をして品物を手にとって眺めてみたが。やはり、これといって重要なものはなく、箪笥の引き出しも開けてみたが、空になっている。
その中で、箪笥の上に置かれた装飾のついた小箱のオルゴールに目が止まった。陳列されている物の中で唯一、警察でも保管している押収品と同じ物だった。
これは、被害者の女性が好きだという曲のオルゴールを、愛人の男性がプレゼントした品物だったはず。
無論、調べたが同じ製品は多くあり、細工された形跡などはなく、第一発見者の愛人が持ってきたという品なので、念の為、押収して警察に今でも保管している。
刑事は、何気なく蓋を開けると、オルゴールの繊細な響きが流れ始める。
曲はG線上のアリア。
音色は静かな倉庫で反響し、奥の女子高生もこちらに振り向いたので、慌てて止めた。
そのとき、女子高生と目が合うと、彼女は笑顔で会釈し、刑事も少し頭をさげた
「こんな時間に、女子高生が一人でとは。あとで、ご両親に連絡するように話そう。でも、どこかで見たような」
直ぐに思い出せそうもなく、再び遺留品を見渡した
「あのときは、徹底的に調べたものだったが………」
刑事は十五年前の事件を
◇
事件は川沿いの高級マンションの一室、被害者はとある富豪の若い愛人の女性。死因は神経ガスによるものだが、どのようにして被害者に吸わせたか不明で、ガスの入っていた容器などは見つかっていない。
被害者の女性はその美貌も合わせて、富豪だけでなく、多くの有名人と関係をもち、スキャンダルをちらつかせて金銭を揺すっていたようで、死亡して胸を撫で下ろした者も少なくないようだ。
進まない捜査に、なぜか上層部からの圧力もあり、自殺ということで打ち切りになった。
そんな被害者の女性の生活は、豪華なマンションに高級車、服装も派手でいつも高価な宝石を身に着けていた。その贅沢な振る舞いに、自業自得だとも囁かれていた。
ただ、刑事はその女性に同情していた。
女性の身元を調べると、子供の頃から音楽の英才教育を受けさせられ、美少女ピアニストとして少し話題になり、有名歌手のバックバンドや、演奏会に参加していた。
しかし、さほどの才能はなかったようで、年齢ともに次第に仕事がなくなっていく。使い捨ての世界で生き抜くには、次なる手段を選ばざるを得なかった。
(おそらく、本人は望んでいなかっただろう)
そう思われる形跡が、刑事にはいくつも見て取れた。
派手に振る舞うのは、有名人に近づくための手段で、普段の生活は質素だった。台所や冷蔵庫は整理され、裕福なはずだが人を雇わず自分で食事や掃除もしていたようだ。
さらに、派手に金銭を使っていたように見えるが、しっかりと貯金もしている。
執拗に有名人に近づき、脅迫じみたことをしたのは何か理由があるようで、実際は真面目で優しい女性ではなかったかと思っていた。
なぜか、その女性が不憫というか、どこか自分と重なるものがあったのだろうか、もはや弔いのための執念の捜査だった。
第一発見者の愛人などが疑わしいが物的証拠がなく、他にも疑えばきりがない。
そんなことを、ぼんやりと考えながらオルゴールを見ていると、猫娘がそばにきて大福帳を見ながら
「お客さん、これはいわくつきの品です。十五年前の殺人事件の被害者の部屋に置かれていた、オルゴールですニャ」
刑事は驚いて
「なぜ、そのことを知っている! 」
「わっ……私には、わかりませんニャ」
「確かに、ここにあるものは、あの事件現場にあったものだ。どうやって手に入れた!」
詰問する刑事に、猫娘もたじろいで
「……私はアルバイトなので」
「ただ、このオルゴールは事件現場にあったものではない。現場にあったオルゴールは我々が保管している」
刑事の言い分に、猫娘は意外な表情で
「そんなこと、ありえない。これは、正真正銘そこにあった物。だとしたら、今警察に保管しているものが偽物ですニャ!」
ムキになる猫娘に、刑事は苦笑しながら
「警察署にあるものは、厳重に管理して、オルゴール自体も丹念に調べたが、どこも怪しくはない。大した証拠品でもないので、すり替える者もいないだろう」
「でも、この大福帳に絶対間違いはありませんニャ」
「絶対ということはないだろう」
言い争う刑事と猫娘のところに、奥で楽器を見ていた女子高生が、様子を伺いながら、なぜか近づいてきた。
「あっ……あのー」
刑事と猫娘が振り向くと、二人に睨まれた女子高生は、たじろいで首をすくめながらも
「そのオルゴールですけど……」
恐る恐る話す女子高生は、髪を丁寧にくくり、メガネをかけ、みるからに優等生的な女子高生だ。
刑事は少し不機嫌な声で
「オルゴールがなにか」
「さきほどのオルゴールの曲、五小節目のG(ソ)#の音が若干フラットになっています。ぶつけたか、いじられたのではないでしょうか。気にするほどではないですが、良い音なので修理されたらどうですか。でも、ここに置いてある物なら、高くて買えそうにもないですけどね」
少女が苦笑いしながら言うと
「すみません、おせっかいですよね。でも、この曲、G線上のアリアは私も好きで、どうしても気になったもので」
少女の話に、刑事は被害者の女性が自撮り動画を写していたのを思い出した。
「確か、画像にオルゴールの音が流れていたはず」
その動画を自分のスマホにもコピーしていたので、もしやと思い
「すみませんが、この画像のオルゴールの音を聞いていただけないですか」
「いいですよ」
少女が快諾してくれたので、その動画を映し出すと、嬉しそうに微笑む女性の後ろで、このオルゴールと同じG線上のアリアが流れている。
その時、スマホに耳を近づけて聞いている少女の姿が、なぜか動画の被害女性と重なった。
(髪型は違うが瓜二つだ、まるで双子のようだが、十五年前の話だ、双子のはずがない)刑事が茫然としていると、少女が顔をあげ
「これも、同じところの音が狂っていますね。このオルゴールと同じものでしょうか」
驚いた刑事は少し考えたあと。
「そうですか……ありがとう」
震えるように言うと、女子生徒は自分の見ていた楽器のところに戻っていった。
絶対音感のある少女なのだろう、刑事には全く分からない領域に感心すると
「警察署に持ち帰った押収品は、被害女性が受け取ったオルゴールと違う物なのか……」
とはいえ、製品特有のバグと言うか癖の可能性もあり、被害女性の持っていたものかの決め手にはならない。もっとも、高級品なので狂っていることは考えにくいが。
警察署にあるものと聞き比べれば良いだろうが、今手元にはない。
念の為、刑事は置いてあるオルゴールを丹念に調べ始めた。そこで、オルゴール部分を取り外した内側を見て愕然とした。
「こっ……これは! 時限型の揮発性ガスの発生装置」
思わず叫ぶ刑事に、横の猫娘も驚いている。警察のオルゴールにはなかったものだ。
(オルゴールは、二日ほど前に愛人の男が、被害女性の誕生日プレゼントに渡したと言っていた。それを第一発見者の愛人が、我々が現場に着くまでに別の物にすり替えることも、できなくもない。同じものを他のルートで手に入れることは容易だろう)
指紋も残っているようなので、このオルゴールを調べれば犯人の判別がつく。しかし、不可解なのは、犯人が処分したと思われる証拠品がなぜここにあるのか。
刑事は猫娘に向かって
「なぜ、犯行に使われたと思われるオルゴールがここにある。これは、重要な証拠品だ! 」
猫娘も驚いているが、入手ルートなどは本当にわからないようだ。
イラつく刑事だか、ここで答えは出そうにない。
(持ち帰って、調べるしかない……が)
すでに、時効が成立して、すぐに強制的に持ち帰ることもできない。刑事は、場合によっては買い取ろうと思って値段を聞いてみると。
「五百万円! 」
先程の女子高生が言った「高くて買えない…」の意味がわかった。
しかし、あまりに横暴な骨董市とも思われ、事件に関わる品を持っている事自体、怪しく、調べる必要がある。
刑事は猫娘に警察手帳を見せて
「どうして、事件の現場にあったものが、ここにあるのかい。廃棄されたものを取ってきても窃盗になるのだよ」
「先程も言いましが、私はアルバイトなのでわからないです。とにかく、置かれているものを売るだけですニャ」
店員では拉致があかないようで
「責任者を呼んでもらえないかな」
「責任者はいませんニャ」
「……わかった」
まだ少女風の店員を問い詰めるのも気が引けるので、外部と連絡をとることにしたが、町の中のはずなのに圏外で繋がらない。
刑事は外にでたが、やはりつながらない。しかたなく、公衆電話を探すため、倉庫から離れようとすると、猫娘が
「案内状がないなら、あまり遠くに行かれると、戻ってこられなくなりますニャ」
「ここは私がいつも通っている場所だ、道に迷うはずはない」
「そうではなくて……」
口を濁す猫娘は、それ以上は言えないようで「まあ、お客様の好きなようにしてください、私は知りませんニャ」
◇消えた骨董市
刑事は倉庫を離れ、角をいくつか曲がったコンビニで、やっと電話がつながった。
「あやしい骨董市がひらかれている。直ぐに調べてくれないか」
電話を終えると、コンビニのゴミ箱が目に入り。ポケットに入れていた空き缶と紙のことを思い出し一緒に捨てた。
その後、刑事は倉庫に戻ってきたが………
「店がない! 」
ほんの数分前まで、開かれていた骨董市。
倉庫の扉は締められ、街燈だけが灯るいつもの帰宅の夜道だ。
骨董市が逃げたにしても、数分であれだけの物を片付けるのは不可能だ。
「夢でもみていたのか」
スマホも今は圏内になり、再び電話すると繋がった
「先程の応援の件だが、少し待ってくれ。私の勘違いだったかもしれない………」
釈然としないまま、電話を切ると呆然と立ちすくむしかなかった。
◇
翌朝、倉庫の管理者に聞いてみたが、骨董市など知らない、とのことだった。
結局、事件の真実も明らかにできない。
念のため警察に保管している、オルゴールを調べたが、やはり音は狂っていない。
あの骨董市で売られていたオルゴールがなければ、何も証明できないが、いずれにしても時効となった今、捜査は進められないだろう。
ただ、あの女子高生の音感のおかげで、犯人がだれか確信できた。
ちなみに、あのオルゴールのG線上のアリアで、G(ソ)#の音は一度しか出てこない。しかも、曲は1回しか流れていないので、その音を聞き逃さなかった少女の音感に巡り会ったことは、神がかり的なものを感じた。
「
つぶやくように独り言を漏らす刑事。
あの女子高生が教えてくれたとも言える、刑事と真犯人しか知らない真実。
もはや検挙は出来ず、悔やんでも仕方ない。ただ、被害者の無念が、最後に刑事だけに教えてくれたのかも知れない。
押収品のオルゴールは廃棄することになったが、刑事は特別に預かることにした。
家に持ち帰り、蓋をあけると……
G線上のアリアのせつない音色が、いつになく心を震わせる。
<「G線上の骨董市」 了 >
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます