第7話

 描写作業に就いてもうかなり時が経とうとしている。みんなにあやしまれないように、適度に違う作業もはさまれていて、ずっと絵に専念できたわけではなかった。でも私の絵の腕はかなり上達したと思う。ヤマさんもほめてくれた。そしてここで油絵具というものを初めて知り、その使い方にも慣れてきた。あの独特な匂いは、絵具をとかす油からきていることを知った。私は一枚しかないキャンバスにいろんなものを描いては、薬品で落として、また描くことを繰り返していた。そして最終的にヤマさんをモデルにして絵を描き、「役に立つ」と判断された。


そんなある日、いつものように作業部屋につくと、ヤマさん以外に背の高い男の人がいた。太陽柱からでる西日で良く表情が見えない。

「紹介しよう。クオクだ。」

その人は近づいてきて、私に手をさしのべ、

「初めまして、カナンさん。クオクです。」

と言った。そしてにっこりと私にほほ笑みかけた。私は反射的にその手をにぎり、目を伏せてごにょごにょと挨拶をした。

 私みたいな中学生に、まるで大人のような挨拶をしてくる人だった。私が成人した知的な女性で、とても重要な役職についている人みたいに。どぎまぎしてちゃんと顔を見ることができない。でもそれもやがて解決する。ヤマさんが私に、このクオクをモデルにして絵を描くように言ったからだ。背は180㎝を超える長身の私の父と同じくらいある。小柄なヤマさんと並んでいたからより高く感じる。着ているものがパリッとしている。みんな服は同じ素材のはずなのになぜだろう。胸に緑色の石のアクセサリーをつけている。紐がつながっているから、ペンダントだろうか。彼の体はぱっと見では細いのに、筋肉がしっかりついているようなので、作業強度が高いものをさせられているのかもしれないと思う。頑丈な父は作業強度の高い漁にでることがあって肌が浅黒いが、それにしてもクオクは日に焼けていない。普段どんな作業をしているのか、今のところまったく想像ができない。そして遠くからでもわかる美しい顔を、絵を描くこと以外で直視することができない。小さな顔に涼やかな切れ長の瞳、バランスの取れた目鼻立ち、均整のとれた姿形、前に見たモデルという職業の人を思い出す。

キャンパスにおおまかなデッサンをした後、サイレンがなる。クオクが私のデッサンを見て微笑み、ご苦労様と言って帰った。私はどうしてクオクを描くことが、全体への奉仕につながるのかヤマさんに尋ねる。「奉仕」はまだまだ先だとヤマさんは笑った。


 放課後のこの作業の間は、クオクを描くことに集中することになった。ヤマさんは隣の部屋で、絵の整理をしている。スタイルの良い美しいクオクを描くのは楽しい。あまりしゃべらないクオクだが、休憩ごとに少し話をするようになった。

「カナンさんは“約束の日”を信じていますか?」

クオクが温かいお茶をマグカップで飲みながら、ふいに私に尋ねる。私がウオーターサーバーの台から、水が入ったグラスをもちあげている時だった。なぜかこぼしそうになる。彼の声に少し緊張がにじんでいるように思えたからかもしれない。“約束の日”については、あまり話してはいけないことになっている。それはちょうど来年にあたる西暦3000年になった年に、今ある大量の海水がなくなり、地球が大洪水の起きた日の前の状態に戻るという、よく出所がわからない噂である。そんな未来が本当にくるかわからないし、来なかった場合の人々の落胆を憂慮して、センターが話すことを禁じているのだ。

「・・・わかりません。」

小さな声で答えると、彼はにっこり微笑んで、

「ここに監視カメラはないよ。」

と言った。見回すと、確かにないようだ。ヤマさんがセンターから信用されている証拠だろうか。

「本当にそうなったらいいなとは思います。でも約束の日に、人類が神の御心にそえない場合があれば、私たちは滅亡するっていう話もあるって。それはちょっと怖いです。」

彼はお茶を一口飲む。私はお茶のおいしさがいまいちわからない。もう秋で肌寒いのだが、温かい飲み物を飲む気になれないのだ。あなたはまだ子どもだからと母は言う。

「・・・はは、そうだよね。地球に陸地がもどっても、人がいないんじゃね。」

彼は微笑んだ。絵に描くとき、彼の切れ長の目はどう描いても冷たい印象の目になって、全体が暗い表情になってしまう。普段話をしている時は柔和な表情なのだが、絵のモデルとして立って無表情になると、ひどくつめたい心をもった人間に見えてしまう。だからといって20分間微笑めとは言えない。今彼は23歳だから私の10歳年上だ。今までどんな人生だったのだろう。働きはじめごろの年齢で、絵のモデルで時間を使えるのはどういう立場の人だろう。聞きたいことは山ほどあるが、先生ではない初めての年上の男の人に、何も聞くことができない。彼が続けて言う。

「そしてリーダーの交代の年が、ちょうど来年の3000年にあたるよね。たとえば仮に約束の日がくると言われている年に、カナンさんがリーダーに選ばれたりしたらどうだろう?」

どうしてそんな変なことを聞くのだろうと思いながら私は答えた。

「…絶対嫌です。責任が重すぎるし。それに私はまだ13歳だし、リーダーは18歳から選ばれるんですよね。」

「そうだったね。」

と彼は遠くを見るような目つきになって言った。そしてその日、絵の9割がたを終えて私たちは別れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る