第6話

 久しぶりに父と母と食堂で食事をする。兄は嫌がって来なかった。場所は窓際の席、時間は食堂が閉まる寸前だった。だから先に母からお風呂をすすめられたのだ。濡れた髪のままなので、タオルを肩にかけてカウンターで食事を受け取る。自分のリストを読み取り機にかざすと、食事がのったトレイが出てくる。今日は赤魚の煮つけと、ご飯と味噌汁。私が今から食べるのは、本物の魚と米と野菜と調味料で作った、本物の食事なのかとふと疑問に思う。この食べ物は過去のデータと確かに同じ形態をしている。だけど本物の味を母も父も知らないのだ。St3に引っ越した母方の祖母も知らない。なぜか調理作業は子供に振り分けられない。仕方なく箸で赤魚をほぐし口に運ぶ。母が話し出す。

「お母さん、元気そうだった。」

「うん。」

父が答える。平均寿命の60歳を過ぎると誰もがSt3に移らねばならない。リモート面会で母と母方の祖母は、月に2度話すことができる。祖母が以前生活していたST2の部屋に帰りたがっているのを母はわかっている。母がちらりとカメラの位置を確認する。口元にさりげなく手をそえて、カメラから小さな死角を作り出す。口元を読む人間がいるからだ。母はそのまま小さな声で話し出す。

「60歳をすぎると、菌やウイルスへの抗体が下がるって本当なのかしら。自分が暮らした場所に、一度も戻れないなんてひどすぎるわ。」

「でもお義母さんが一度こっちに来て、ウイルスを持ち帰ってしまったら、老人居住区の年寄りたちが困るんじゃないかな。仕方がないよ。」

父は食事のトレイを自分の方に引き寄せながら言った。

「・・・あなたの母親が60過ぎても、同じことが言える?」

「・・・。」

父は頭をかいて、視線を私に向けて言った。

「カナン、新しい学校はどうだ?」

「普通。」

もう少し話をしてあげようか、父が困っている。母が最近の私のテストを父に見せる。理科の質量濃度パーセントのところがほぼ全滅のやつだ。母と父はテストで一番難しかったところを解きあっている。

「それじゃあ、薄くなっているじゃない。」

母が言う。

「でも比率で解くと・・・。」

父と母は携帯端末をのぞき込み、問題を解いている。私がSt2の学校で、今回の理科のテストのように60点をとったなら、それ以上高い点数をとる子なんていなかった。でも今の学校なら90点以上がちらほらいる。私は成績で今の学校に選ばれたのではないかもしれない。私が暗い顔をしていると、母が言った。

「ほら、カナンは絵なら誰にも負けないから、ね。それに描写作業で、しばらくカナンにSt1のスタジオに来てもらいたいって、センターから今朝連絡があったの。才能を認めてもらえたのよ。いいわよね?」

母は父の顔を見る。初めて聞くことだ。父も了承する。両親の許可がないと、子どもに同一作業に長くつかせることは、できないことになっている。私は気持ちが少し上向く。でも描写作業ってなんだろう。絵は実物を見たことがない。


次の日の放課後、いつもと違う色で光るリストにびっくりする。昨日母が言っていたように、「St1での描写作業」の指示がきたのだ。St1の受付でリストを見せ、リストが案内するいつもと違う通路を歩き、奥の部屋についた。ドアを開けると真っ白い部屋で、おじいさんが美しいデザインの椅子に座っていた。嗅いだことのない匂いが充満している。見た限り明らかにSt3にいる祖母より年上だ。母方の祖父は私が物心つく前に亡くなっているし、父方の祖父は、父が幼いころ離婚しているので会ったことがない。じっくり「おじいさん」を見るのは、今までなかったかもしれない。髪は全体的に白髪で、生え際が後退している。だけど頭の形がきれいな球体で、カッコ悪く見えない。顔も整っていて、若いころはハンサムだったかもしれない。この人はSt3に移動しなくていいのだろうか?

「カナンさんだね。君のことはよく聞いているよ。」

おじいさんは優しくその日の作業の説明をしてくれた。紙に鉛筆でビンやリンゴや布を描く、それだけ。リンゴは偽物だと思ったら本物だった。思わず手に取り香りをかぐ。

「本物を見ないとね。何事も。」

とおじいさんが微笑んだ。紙の感触、鉛筆の描きごこちに心がおどる。タブレットにペンで描くのと全然違う。ひっかかりがあるのだ。そのおじいさんは後にヤマと名のった。ヤマさんは丁寧にデッサンの方法を教えてくれた。

「この作業は、何の役にたつのですか?」と私は尋ねる。

「うまくなったら、役に立つのさ。」

夢中になって描いていると、作業終了のサイレンがなる。我ながらうまく描けたと思う。ヤマさんもほめてくれた。この紙を持って帰っていいか尋ねると、それは許可できないとのことだった。ここでの話も家族以外に話さないようにと口止めされた。そんなことならリストの作業指示のライトの色を、赤じゃなくて白にもどしてほしいと伝えると、センターに伝えておくとのことだった。

 帰って母親に報告する。その部屋の様子を伝えるとやはりびっくりしていた。あるところにはあるのねとつぶやいていた。この作業がなんのためか母親も知らされていない。でも私は気に入っている。紙に絵を描ける、うまくなるように助言される、資源と時間の無駄と言われずに絵を描いていられる。私のするべき作業は、他の誰かが代わりにやってくれるのだろう。いつまでもこの作業の指示がきますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る