第5話

 ククとはSt1の中学校で初めて会った。彼女の出身はSt3だ。私のように別Stの小学校から、このSt1の中学に上がったのだ。ずば抜けて頭がよく、成績が学年でトップなのに、ときどき私には変なことを言ったりやったりする。予測不能なのだ。見た目はどこにでもいそうな、ただの目立たない女の子で、特徴のないせいかよく別人に間違えられている。「○○だよね?」「ううん、違うよ。」という会話を、何回かそばで聞いたことがある。間違えた人に聞くと、それぞれの知人に似ているという。卵型の顔に目鼻口の小さなパーツがバランスよく配置され、背格好も標準的である。どこにでもいそうなのだが、笑うと別人になる。口元がきれいで、その笑顔に時々はっとさせられる。たぶんククが美しいのを知っているのは、彼女の親しい人達だけだろう。いつも学校では無表情で、なんとなく周りに壁を作っているのだ。


そんな彼女と仲良くなったのは、私が描いた絵を彼女がほしいと言い出したからだった。私は授業中であろうと、休み時間であろうと、ずっと絵を描いている。慣れない入学当初は、こっそりとタブレットに絵を描いた。それをククが目ざとく見つけ、データを家に持ち帰りたいと言った。


私は小さな頃からずっと絵を描いている。他の事は一切不器用で、うまくこなせないのだが、絵だけは別だ。他の子がペンを握ってまっすぐな線を描いていたら、それだけでほめられていた頃、私はもうすでに美しい曲線を描き、身近な人や自然を描くことができた。私にとって絵を描くことは、息をするように自然なことである。魚が水を得て泳ぐような、鳥が空を自由にとびまわるような感覚と、似ているかもしれない。とにかく私は絵を描いている間は、時間を忘れることができた。1日の勉強と作業の後の時間だけでは足りない。St2からSt1の学校に移った当初も、私は絵に助けられていた。初めての環境に慣れなくて不安定だった私を、母が心配してクラスメートの特徴や人間関係を、絵に描いてみるようにすすめたのだ。私はその時感じていたことを、一気に描き切った。気に食わないクラスメートはひどい似顔絵になったが、そっくりで気持ちがすっとした。ある同級生について、「酷薄な内面をうまく絵に表現できている。」と母はほめてくれた。母は以前からその子を知っていたのだ。そしてそれぞれの似顔絵の下に気の利いたコメントつけて、母にみせると母は大笑いした。

「ねぇ、この“ポーク”って何?」

「給食の豚肉もどきを、独り占めしようとしていたから“ポーク”。」

「じゃあ、この変な顔の女の子は?」

「目立つ男子とべたべたしてきもいから、これでいいの。」

この絵は席替えをするたびに描き直すことになる。席替えで近くになった子と仲良くなったりすると、その子がもともとひどい似顔絵だった場合、私の容赦が加えられ、描きなおされることになった。こんなふうにして、だんだん仲良くなったククの似顔絵は、ただの地味な女の子から、美しい少女になっていった。


その日の学校と作業を終え、部屋に帰るとまだ母は帰っていなかった。おそらく作業仲間と立ち話でもしているのだろう。リビングのソファで、支給されたほしイカを食べる。成長期の子どもがいる家庭には、食事とは別にたんぱく源が配られる。食べながら立ち上がり、早めに自分に割り当てられた家事をこなす。昨日の汚れた下着は、洗面室に備え付けの小さな洗濯乾燥機で洗う。それから下着以外の母と私の洗濯物を、St2のランドリールームに持っていき、ランドリーシューターに投げ込む。割り振られたロッカーから洗濯された衣類を持ち帰り、それぞれ母と私のクローゼットにしまう。私の毎日の家事はこれだけだ。後は晩御飯を母と一緒に食堂ですませて、部屋にもどり風呂に入って寝る。掃除は母がやってくれる。だいたいの炊事洗濯は、ステーション全体でシェアされるが、部屋の掃除は各個人にまかされている。男性エリアと女性エリアは基本行き来ができないから、母は父と兄の部屋の心配をしている。おそらくおそろしく汚いはずだ。父も兄もほこりの存在を無視できるのだ。


やっと自分の自由の時間になる。リビングの大きな端末で、昔の世界をのぞく。私はイラスト、アニメ、漫画中心に調べている。部屋の中心の太陽柱は秋の季節に合わせて、いつもより早めに暗くなりはじめていて、流れてくる自然音も今はいない鈴虫中心に変化している。一度この柱が停電で止まった時、しばらく日の光と自然の音がなくて気が滅入った。ペットのAI猫2匹は、充電用のお昼寝からさめ、大運動会をしている。父が仕事で評価され、もらった黒色と茶トラの猫ロボットで、かなりのぜいたく品なのだ。でも父は独りよがりの可愛がり方をして、2匹とも懐かないし、兄も世話をしないので、女子エリアに一緒に来ることになった。


端末でお気に入りのイラストレーターを見つけた。その人の描いた絵をみて、どうやって描いていたのか、どんどん調べていく。端末の中で自分も絵を描く。紙に出力することはできないし、ネットワークで友達とシェアすることもできない。紙は貴重品だし、ネットワークは家族内のみに許可されていて、他人とつながることはできないのだ。時々父親から、夕食をとる時間と食堂の場所を知らせるメールが、手首にまかれたリストバンド型の端末“リスト”に届く。18歳以上の大人には、センターからの伝達事項も時々届いているようだ。


茶トラが足にすりよって鳴いていて、ふわふわの人口毛の感触が心地よい。そろそろブラッシングの時間だが、

「もうちょい、待って。」

と左手で撫でながら言う。大人しい黒は静かに、待っていてこちらに来ない。どんどん調べていくと、途中で画面が真っ白になり、いつもの「お探しのページは見つかりません。」とでてきた。がっかりして、テーブルに頬杖をつき、ふと窓を見る。

窓からあの金色の鯉がこちらをじっと見ている。尾ひれをひらひらさせているが、こちらを見つめてほぼ動かない。リストで写真を撮ろうか、センターに報告するしないは別として、母に見せることはできる。左手首をそっともちあげたとたん、「ただいま」という声がして、あの魚はひらりと暗い海に消えていった。

「もう、今あの金色が来てたのに。ママのせいで逃げちゃったよ。」

「えっまた来てたの。これで何度目?」

母がカギを玄関のトレイにガチャリと置きながら言う。

「おかしいわね、いつもあなたが一人の時だけ来るなんて。」

と母はいぶかしむ。だけどもうセンターに報告するように、母からしつこく言われることはない。その後におこるだろう面倒は、母も嫌なのだ。


「先にお風呂に入っておいて。」

母に言われて、お風呂に行く。首まで湯船につかり、ほっとする。技術向上で1人あたりの、1日に支給される湯量が、50リットルから倍の100リットルに増えた。母の分と合わせて、200リットルのなみなみのお湯に自然と笑みがこぼれる。本物そっくりの猫ロボットは作れるのに、お風呂で肩までつかるお湯が、今まで人口分確保できなかったのだ。何が技術的に難しくて、何が簡単なのかがよくわからない。でも一人暮らしの人は、まだ半身浴がかろうじて可能な湯量になっただけだろう。センターは資源が有効に使える、二人暮らし以上を推奨している。


湯船から上がり体を拭いて服を着る。ズボンのポケットからカシャっと音がする。丸まった小さな紙だ。ひろげて見る。

「きんのこいはみのがして」

思わず脱衣所を見わたす。ここに監視カメラはないよね?

プライベートの住居部分にはカメラはないはずだ。私があの魚を見たことを知っているのは、母とククだけだ。作業中のククとの会話を、誰かに聞かれたのだろうか。貴重な紙と鉛筆が使われている。とても小さな弱々しい字で、まるで小さな子どもが書いたようだ。センターに報告するなってことよね。言われなくてもしないわ。てのひらの上の小さな文字をじっと見つめる。海に淡水魚がいたぐらいどうってことはない。大洪水の日にいろんな化学工場が水没したのだから、生物の遺伝子が傷ついて、おかしなことになっても今さら驚かない。私達人間の遺伝子も、今現在おかしなことに変化しているかもしれないのだ。問題は今の私の生活がおびやかされること。私の小さな世界なりに秩序がある。誰にも邪魔されたくない。でもこの小さな手紙が誰のなんの意図で、どんなやり方で私の手元まで、届いたのだろうか。



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