第28話 遊園地

 ドアが開き、生あたたかい風が吹いた。

 ホームの外に見えるのも深く茂った木立だ。夕闇の中に濃い影を落としている。土埃の混じった風が身体にまとわりつく。喉が痛い。時間が止まってしまったように電車は動かない。

 遠くから音楽のようなものが聞こえた。楽しげな音楽なのに、音質ががさがさで、それがかえって侘しかった。ちぐはぐな調子はずれの音は壊れた玩具を思わせた。

 楽しいところ。

 ――まさか。

 遠くに目を凝らしても、木々の群れに遮られて何も見えない。

 まんまと導かれている、と思う。ここで向かえば彼らの思う壺なのだろう。それを癪だと思う反面、この森を抜けた奥に何があるのか、危うい好奇心も胸の中で燻っている。

「行くの?」

 まひろが不安げに俺を見上げた。

「おれはやだよ」

「じゃあずっとここにいるか?」

 まひろは悔しげに唇を噛んで、黙り込んでしまう。

 突き放すような口調だったのは自覚があった。どうも気分がささくれている。

 俺は電車の外に出た。雲がかかった空はどこか不穏だったが、空気にはかすかに清々しさがあった。息の詰まるような車内の空気に比べればだいぶマシだった。まひろがみっきーに諭されながら歩く気配を背後に感じた。久しぶりの疎外感がざらりと胸をこすった。

 ホームを出た後はほとんど一本道だった。改札らしきものはあったが、電気が通っている様子もなければ、駅員の姿もない。乾いて砕けた落ち葉の山から、雑草が頭を出していた。駅舎は暗く、あちこちに蜘蛛の巣が張っている。

 無人の改札を素通りするのは、どこか悪いことをしている気分だった。駅前の灰皿には煙草が刺さったままで、受け皿に茶色い水が溜まっているのが見えた。道になっているのは一か所だけ。そのまま淡々と歩を進めるが、足取りは次第に重くなる。重力が増していくような感覚。本能が引き返せと告げている。けれど、戻るわけにはいかないと、理性が告げる。

 からすが鳴く。ばさばさと羽音がする。

 踏んだ枝が折れる音すら、神経が過敏に反応する。

 本当に行くの、とまひろは道中で繰り返し聞いてきた。何度も聞くなよ、と言うと、まひろは叱られた子供のような顔をして、うつむいた。けれどそのあとも何回も同じことを言った。返事をしない俺の代わりに、みっきーが「大丈夫だよ」とまひろを慰めた。気休めだということはわかりきっていた。みっきーの声音には、先ほどのような確信はなかった。

 急に視界が開ける。

 風に揺さぶられた梢が、背後で騒々しく鳴った。

 まず目に飛び込んだのは、観覧車だった。

 錆びたゴンドラがぎこちなく回り、風で不安なほど揺れる。カラフルだったはずの塗装は見る影もなく、どれもが薄い赤茶色に退色している。

 次に目に入るのは、ジェットコースター。けたたましい音を立てながら、無人の車両がレールの上を滑る。火花が散っているのが遠目にもわかる。

 それから、雑多なもの。腐って黒ずんだ木のベンチ。券売機が並ぶ建物は、軒先のテントがぼろぼろになっている。城のような建物も、ポップコーン売りの屋台も、つい先日まで営業していたかのような形のまま、長い歳月の中で風化している。

 それから――ところどころが煤けた、灰色のビル。看板はほとんど剥がれていたが、「HOTEL」の部分はかろうじて文字が見て取れる。

 日の名残りはあるものの、空はもう夜に近かった。がちゃがちゃとふざけた雑音は、園内のスピーカーから絶えず流れている。こちらを揶揄ってるみたいだ、と思う。

「ここ、みっきーが前言ってた?」

 俺が水を向けると、みっきーは重々しく頷いた。

「見たことある……」

 ということは、彼はやはり、ここに来たことがあるのか。

 もったいぶった様子で照明がついて、重たい門扉がゆっくりと開いた。誘うように。不快な摩擦音が胸をひっかく。蛾が照明に引き寄せられてひらひらと飛ぶ。

「ね、戻ろう」

 何度目かわからない台詞を、まひろが吐いた。

「どこに?」

 沈黙の間を、音割れしたトランペットが埋める。

 まひろは黙ったまま俺を睨んでいる。

「ここに連れてこられたのが無意味なことだとは思えない。なら解決の糸口はここにしかない。ぐずってたって何も進まないんだよ、違うか?」

「そんな言い方しなくてもいいじゃん!」

 張り上げた声が、きん、と頭痛を呼び起こす。

「あくつは見えないからいいよ。でもここ、何人いると思う? おかしいよ。どう見たって普通じゃない。嫌だよ……」

「じゃあ一人でここにいれば? 俺は先に行く」

「阿久津くん!」

 みっきーのそんなに強い声を、初めて聞いた。

「喧嘩なんてしないでよ……」

 泣きそうな顔に、なぜだかカッと血が上りそうになった。

 冷静になれ、と俺は自分に言い聞かせる。強く当たっている自分の幼さを自覚してしまうのが嫌だった。俺だって不安だ。前に進みたくない。それを言葉にされるのが苛立たしいのは、直視したくないからだ。

 ――こんなの、親父と同じじゃないか。

 俺に半分流れている親父の血が、DNAなんていう鎖が、たまらなく忌々しかった。同じだなんて思いたくない。俺は理性のある側の人間だと思っていたかった。

「みっきーは、行くの?」

 縋りつくように、まひろが言った。

「行くよ」

「なんで?」

「これは僕の問題だから。……巻き込んじゃって、ごめんね」

「なんだよそれ、ずるいっ」

 二人が行くならおれも行くから、とまひろは言った。

「無理しなくていいけど?」

「バカにすんなっ」

 一人で待ってるのが怖いだけだろ、とは言わなかった。さすがに意地悪が過ぎる。

 門扉をくぐる瞬間は、嫌でも緊張が走った。ヨぅコソ、とスピーカーが鳴る。男とも女ともとれない奇妙な声。かすかな笑い声が聞こえた瞬間、派手な音を立てて、背後で門扉が閉まった。

 もう戻れないのだ、と肌でわかった。取り繕ってはいても、臓腑が身体の中ですくんだ。

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