第22話 バカ息子

 火災に経営破綻におびただしい数の怪談――呪われた土地と渡部家の因縁は見えてきたが、もう一つ引っかかることがある。『学校』に出てきた猫だ。未成熟だったり、人間性を欠落させた霊は獣の形をとることがある、というのは伊東談。それが本体なのではないかとも何度か考えたが、まひろが保健室で見たりつ子らしき人影は、ちゃんと女の子の姿をしていた。どうにも釈然としない。

 みっきーは「わたべさん」という、今となってはどこか不吉な名前の猫を飼っている。渡部家のことを鑑みるに、単なる偶然とは思いづらかった。「わたべさん」の出自はというと、気づいたらみっきーの祖父さんの家にいついていた猫だという。本人に聞いても、由来はわからない。物心ついた時からずっとそう呼んでいたらしい。「わたべさん」自身はどこにでもいるような真っ黒な猫で、名前以外に不審な要素はない。写真を見せてもらったが、真ん丸の目が可愛らしい普通の猫だった。

「うち、来てみる?」と言ったのはみっきーだった。恐縮する気持ちはあったものの、実物を拝んでみたいのは事実だった。まひろも乗り気だった。

 みっきーが家の人に相談してみたところ、許可はあっさりおりた。先方はかなりの歓迎ムードらしく、「どうせなら泊ってもいい」ということになった。とはいえ夏休みに入ってすぐ塾の夏期講習がある。時期は夏期講習の前半戦が終わった頃、となりそうだった。つまりはお盆前だ。

 あまりにもとんとん拍子に話が決まっただけに、嫌な予感がした。


 

 友達の家に泊まりに行くと言うと、案の定親父とはひと悶着あった。この頃遊び歩いてばかりだとか、何様のつもりだとか、お前みたいな奴がろくでもない大人になるんだとか、怒声交じりに山のような小言が降り注いだ。親戚との集まりには顔を出すんだろうなと言われたが、あいにくその日はオープンキャンパスとかぶっていた。近隣の大学のオープンキャンパスに行けというのは学校側からの夏休みの課題の一つだった。それを言うと、親父はますます不機嫌になり、「高卒をバカにしている」だの「そんなことを課題にする学校側が異常だ」「お前は学校に洗脳されている」だのと言って怒る。論理の飛躍は指摘するまでもない。指摘すればするだけ火に油を注ぐのはわかりきっている。俺は心中で冷笑するにとどめていたが、追従的にならない限り、親父の気が収まることはない。胸倉をつかんで暴力をちらつかせてみたり、学費は出さないと言ってみたり、あれこれ脅しをかけてくる。

 しばらくして「勝手にしろ。その代わり二度と俺を頼るな」と言い捨てられ、話は終わった。不必要に大きな足音の後で、強くドアの閉まる音がした。とりなす役の奈帆さんに同情がないわけじゃないが、あの人の強く出れない態度が親父を増長させているのも事実だ、と思う。

 夏期講習の間中、親父はずっと機嫌が悪かった。俺はバイトのシフトを増やして、寝食以外のほとんどを家の外で過ごした。受験費用も、そのあとの学費も、親父に頼る気は毛頭なかった。

 その間も親父は俺の「バカ息子」ぶりを針小棒大に喚きたてていたらしく、通りがかった近所の人間からお節介を焼かれた。

「もっとお父さんに感謝しなさいよ。奥さんに出ていかれてつらいのに、ちゃあんとあんたを育ててくれたじゃないの」

「あの人だってカッとなりやすいところはあるけど、根は悪い人じゃないんだから」

 生返事で通り過ぎると、彼らはひそひそと目くばせし合って、何やら呟いていた。「あの子はお母さんに似ちゃったのかしらね」という声だけが、やたら鮮明に耳に飛び込んできた。

「しっかり支えてやんなさいよぉ! もう子供じゃないんだから」

 苦虫を嚙み潰したよう、とはきっとこんな気分なのだろう。どんな怪異よりもよっぽど煩わしかった。

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