第16話 山

 それからみっきーは、もう一つ見た記憶のことを話してくれた。人がちぎれ飛ぶ映像の隙間に、もう一人分の回想が挟まっていた。

 女の子だった、という。歳はたぶん、小学校の高学年くらい。級友から石を投げられ、化け物、といじめられる。焼却炉に鞄を捨てられたり、外で靴を脱がされて、肥溜めに放り込まれたり。やってみろよ、化け物。そう煽られるたび、彼女は悲しみのあまり涙を落とす。

 彼女は孤独だった。両親はまともに口をきいてくれない。唯一優しくしてくれたのは「先生」だけ。保健室に逃げ込むと、優しく相手をしてくれる。若く、穏やかそうな男の人だったという。

 ある時彼女は、「先生」から人気のない場所に誘われる。秘密の相談を聞いてほしいと言われて。それから服に手をかけられる。二人だけの秘密だと、絶対に口外してはいけないと念を押され。これは親密な人との神聖な行為だからと。服を、暴かれ。彼女は固まったまま、何もできない。怖くて、悲しい。泣きそうなほどにつらいのに、身体が動かない。逆らったらどうなるのかという恐怖が勝ってしまう。内臓が裂かれるような痛みと、裏切られた、と思う気持ちと、そんなことは思ってはいけない、という自責とで、ぐちゃぐちゃになる。

 飛んで、誰かの罵る声が聞こえる。お前は人間じゃない。その他にもたくさんの言葉をぶつけられる。背中や腰やお腹に鈍い打撃が襲う。叩かれているのか、蹴られているのか。その言葉にも彼女はひどく悲しんでいる。ずたずたに傷ついている。暗くて狭いところに閉じ込められる。怖い、出してほしい、と暴れて、

 そしてあの、人がバラバラになる映像。

 なんというか……色々後味が悪い話だ。

「その子、念力の持ち主なのかなあ」

 しみじみと言い出したのは、まひろだった。

「……幽霊の次は超能力かあ?」

「PK、っていうらしいよ。先輩の受け売りだからよく知らないけど。でも……だから『化け物』なのかもよ」

 人の力を超えた能力、だから「超能力」だ。なるほど、確かに化け物じみている。

「こんど先輩に訊いてみるかなあ。なんかヒントになるかもだ」

「出れたらな」

「またやなこと言うじゃん……」

 まひろが口をとがらせる。

「てゆーか、三人で相談しにいこ。部長とユウ先輩なら目の色変えて食いつくと思うし。過去の記事とかいろいろストックしてあるからさ、うち」

「……いいのかな、お邪魔しちゃって」みっきーは遠慮がちだ。

「いいっていいって。どうせ暇してるだけだもん。そうだ、あくつのねーちゃんとこの怪しい店にも行こうよ。なんだっけ、イトウさん?」

 これには渋い顔をするしかなかった。まひろは仕返しだとでも言いたげににんまりしている。

 途端、ちりん、と聞き覚えのある音がした。

 音につられて振り返ると、いつぞやの猫がいた。いつの間にか消えていて、またどこからともなく現れたのだと、今更気づく。

「さっきも思ったけど、あの猫……うちの猫に似てるなあ」

「わたべさん? そうお?」

 みっきーとまひろが顔を見合わせる。――にしても猫に「わたべさん」とは。

 猫はゆったりと身をひるがえし、音もなく歩き始める。今度も誘導しているのだろうか。俺たちはまた躊躇しつつついていく。今度は何が起こるのかと自然と身構えてしまう。

 猫はまっすぐ階段を上っていく。最上階を超えてもなお登ろうとする。の先には屋上しかない。屋上は立ち入り禁止のはずだ。そのせいか、階段には塊になった埃があちこち転がっている。

 埃を踏み荒らしながら階段を上っていると、みっきーがまた咳をした。「大丈夫?」「うん……平気」背後で二人の声がする。俺もつられて噎せそうなほどに、埃のにおいが濃い。

 再び視線を上げると、ドアがあるだけで、何もいなかった。猫がまた、目を離した隙に消えている。

 普段なら錠がかかっているはずのドアノブが、手ごたえなく回る。扉もやけに軽かった。慎重に、屋上に足を踏み入れる。久しぶりの外気が清々しい。

 風が強い。屋上には高いフェンスがあるだけで、あとは灰色をした床以外に何もない。「なんだあ?」とまひろも怪訝そうだ。妙なところに誘い込まれたものだ。

 外の景色は意外と綺麗だった。ぽつぽつと民家の明かりが見える。夕飯のいいにおいでもしてきそうだ。あと見えるものといえば、はるか遠くの方にスカイツリーと、あとは山だけ。

「山……」

 みっきーが呟いたのが意味深だった。

 突然、ごおぉとうなりをあげて風が吹いた。目を開けられないほどの強風。なんだ、と戸惑って、腕で顔をかばいながら咄嗟に目をつむって――



 ――気づくと、俺は椅子に座っている。

 目の前には参考書とノート。散らかった筆記用具。喧騒が耳の中に戻ってくる。しゃべり声。足音。ホイッスルの音と、ボールを蹴る音、掛け声。印刷機の音。

 はっ、と顔を上げると、三人ともが同じように顔を見合わせた。困惑が滲んでいる。

 俺たちは戻ってきている。

 安堵と混乱とが同時に襲ってきた。今までのは何だったのか。夢にしては現実味がありすぎるし、現実にしては現実味がなさすぎる。

「ねえ今」タイミングを計りかねていると、まひろがこわごわと口を開いた。「おれたち、へんなとこにいたよね? あれ、嘘じゃないよね?」

 頷く所作が重くなる。あれはいったい何だったのか。まだ脳がぐるぐるしている最中、不意に右手がずきりと痛んだ。

「……あ」

 人差し指の中ほどにかけて、ざっくりと入った傷は、つい今しがた血が固まったような様相をしていた。俺たちはそろって固まる。おい、そろそろ帰れよー、と教師の声がする。

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